私季彩々
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2004年06月28日(月) 深呼吸は、南を思い、南を離れて。

 村役場は半袖のYシャツとノーネクタイの方々ばかりだった。女性も皆薄手の軽い感じ。窓は開け放たれ、「沖縄ではどこでもクーラーがばっちりかかってますよ」という言葉が当てはまらない、「沖縄」だった。

 村長は不在でまた助役のお話になった。背には島の航空写真。斜めに走る3本の滑走路。シンボルのようでもあり、傷のようでもある。米軍練習用の敢えて完全舗装しない1本、戦中の激戦地となり、米軍に摂取されないように爆破したと言う1本。それらは大きく鉄条網で括られ、米軍基地となって多大なお金を落としている。平和な島の住民は、かつてその2/3を失ったそうだ。

 点在する明りも、見通しが利いてやけに近い島の夜。雲が多く星は見えない。無人島を思い浮かべていると、フラフラとよたりながら過ぎていく自転車。イメージが重なるランニングシャツ。その顔は見えない。ごく近くにあたりまえのようにあるお墓の群れ。目を瞑ると浮かぶのは、漣と集うまばらな人々。沖縄の人々はあたりまえに夜更かしだと聞いた。

 慌しくフェリー乗り場に向かう。この島で一番うまいと言う黄色い看板の中華料理屋が過ぎる。もちろん中には数人分の席しかないような大衆食堂。また来たい場所の筆頭として取っておこう。
 フェリー乗り場には貸し自転車が並んでいた。外国の旅行者が3人、熱心に物色していた。その脇に細い坂道があった。上司がやすんでいるのを確認してちょろっと登ってみた。坂の上には大きな家がいくつか。白壁で瓦屋根。一つは窓が開け放たれ、もう一つは北国の冬並に閉まっていた。道路脇には南国風の木々がまばらにあった。よく見るとパイナップルが小さくなっていた。振り返れば船の着く港。初めて道に座り空を眺めた。太陽は近い。くらくらとする。目を瞑ると赤い血潮に蚊が飛ぶ。感じているのは私ということ。黒いTシャツが一段と暑い。着て良かったと思う。ゆっくりと深い呼吸をする。

 帰りは高速艇だった。正面には民宿の大きな看板が2つ。ここでも「おかえりなさい」「いってらっしゃい」の声がかかり、旅人の交差が見られるのだろう。フェリー乗り場で突然話し掛けてきた若い兄ちゃん。掌を伸ばして広げ、お互い叩いてすれ違った。「沖縄いいとこさぁ」「どこでも案内するさぁ」と人懐っこい声をかけてきた。これから帰ることを告げると、「また来るさぁ」と。肌は黒く健康的だった。今この島で最も白い人間と会話しているなんて思ってみただろうか。再び振り返ると、すでに彼は携帯で誰かと話していて忙しそうだった。

 島は離れていく。艇内のクーラーに嫌気がさしてずっと海風に当たっていた。北の海の風は潮気をたっぷり含んでいるが、それが全く無い快適な風とモーターの轟音。海は空を溶かし込んでひっくり返ったようなスカイブルー。

 本島に着いた。ここで筆を置こう。

 日を置いて思い起こしているが、今回はやはり島だった。居心地は良かった。ゆっくり行ってみたいなと思う。そう思ったのはこれを書きながら。深い呼吸はいつも、しばらくたってから、この埃だらけのパソコンの前なのです。だからこそ、貴重なのです。 Home&Photo


2004年06月27日(日) 沖縄での浅い呼吸

 降って沸いたように沖縄出張となった。降って沸いたのだから、もちろん急な話である。1泊2日。目的地は本島ではなく、フェリーで30分の伊江島という離島である。

 千歳9時発。羽田乗換えで那覇空港着が2時ほど。久々のフライトはあっけなかった。もうスチュワーデスとは呼ばなくなった客室乗務員がそこまでせずともと思いながら飲み物や飴を配っていた。いっそのこと缶ジュースでも配れば楽なのにと思うが、眠っている客の前に伝言を置いていく心遣いに嬉しくなったりもする。飛行機という乗り物が特別なんだなぁ、と。私の中ではまだまだ特別である。
 沖縄は、日本だった。空港から一歩でて、暑い、と言ってはみたものの、別に格段違う土地に来た印象は無かった。暑い。でもそれだけだった。
 かなり前に大分に渡ったときは、街路樹や街の雰囲気に南を感じた。今回は歳をとって冷めてしまった私。それでも、じわじわと吹き出てくる汗。同行の部長はすでにグロッキー気味だった。
 と、いきなりセスナをチャーターして島へ向かうことに。6人乗りのオンボロセスナは沖縄本島の南を旋回して北へ向かった。島は驚くほど建物が密集していて、森も林もほとんど無かった。昔ニュースで見た通信施設。酷暑の中まばらに客の集う野球場、やけに広々とした白い民家の区画と雑多な地域。それを覆う島のリーフの素晴らしい水色。その色と環の美しさ。南の色。これだけは北にはない。私はそれをいつまでも追って、振り返っていた。行き先には島がいくつか現れ、同じ環を従えている。向かう島へは何故か大きく旋回してついた。
 無人の飛行場に待合室。3ヶ月前の祭りのポスター。その頃札幌はまだ雪が残っていたはずだ。

 島には1BOXカーが待っていた。クーラーをしっかり効かせた車内から島を眺める。タバコ、菊が主な産業と聞く。さとうきび畑も散在していた。たまに見る牛が全て黒い。ホルスタインなど居るはずも無い。土は何となく赤茶けて色が無く、痩せているように思えた。平べったい島に一箇所だけ飛びぬけた岩山が目立つ。そして、妙に立派な墓群。昔の古代日本に見られたとか言う形のような。天皇家が南からやってきたとか言う故事を髣髴とさせた。
 ホテルに着いてから、少し周りを歩いた。ビーチには星の砂ならぬ珊瑚の欠片で出来た白浜が連なる。青い光沢を放つヤドカリがちらほら。
 その後、目的である養殖場視察と島内観光。離島と言うことで、ゴミ処理場から空港、病院まで全てが小さいながらも揃っているとのこと。経済的にも農業がうまくいっていることと基地収入で安定しているようだ。
 夜、地元の助役さんらと接待飲み。世間馴れしていない私は自分の名詞も忘れ、泡盛を勝手に飲んだくれていた。20度という薄さ。飲み足りない。おまけに沖縄らしい料理が全く無く、情緒も何も無かった。
 帰り、車で送ってもらった。平らな島に点々と明りがともる。同乗者はこの島に1月滞在している北海道の人。定年間際の1月間。

 沖縄を舞台にした映画がちょっと気になっていた。暑い最中、麦藁帽子を顔にかけて5分でいいから寝転がってみたいな、なんて思った。夜も暑く、けれど私は苦にならなかった。適応力はありそうだ。
 ホテルはやはり冷房がかかっていて快適。何の不満も無く、けれど何か違うような。明日帰るけれど私は何も見ていないことだけは確か。それに気付けているだけまだましというものだろう。
 テレビをつけるとかわりの無いNHKのニュース。ここは日本。少なくとも現在のくくりでは。私のくくりでは。私の感じるところでは。それに私はやはり安心している。深呼吸はまだしていない。 Home&Photo


2004年06月26日(土) 畑 追伸

ほうれん草は芽が出ません。何故に・・・・。
水菜が超元気。んまい。
大根も元気。どうするんだこんなに。
サニーレタスも順調。やはり雑草は敵だった。
よくわからないのがたくさん。取り合えず食べてみる。
虫がわんさか。気にせず収穫。いそがにゃいかんが口が足りない。
ご近所から勝手にラデッシュ頂戴。
気がつけばキュウリ巨大化。

というわけで、誰かもらってくださいな〜。 Home&Photo


2004年06月17日(木) 危うげな強気

「解雇」ということば。社長に当たる方に言われた。条件付で。思いつきで。

『大変光栄に思います。やってやろうじゃないの。やれるものならやってみなさい。』

 基本的に、短期で、勝負師で、無法者です。

 繰り返します。
『大変光栄に思います。やってやろうじゃないの。やれるものならやってみなさいよ。』

 ほっほ。 Home&Photo


2004年06月12日(土)

 宗教に対しては、実は結構感心がある。

 日本人らしく、無宗教である。線香を寝せるか立てるかの違いで浄土宗なのか浄土真宗なのかを区別する程度である。その区別が本当かも知らない。
 家には「矢」があった。アイヌの神事で用いるものらしいが、それの方がよっぽど意味ありげに思えた。
 9.11以後、世界がわかりにくい見えにくい小さな点をテロと呼び戦争を仕掛けるようになった。それを時に宗教戦争だと呼んでみたりするようだが、そもそも戦争と宗教が結びつくものなのだろうかと思ってみたりする。
 太陽にしろ、神様にしろ、1つにしろたくさんにしろ、敬うべき存在というのは確かに存在する。日々、感謝を捧げる対象を私は欲しい。恍惚に震える衆の中よりも、私は静寂と無言の中にそれがあって欲しいと願う。

 曹洞宗の宮崎住職の特集がNHKであった。「禅」。あるべき姿。物の形。人の形。住職は只それを追い求めているが、決して俗世間から乖離しているわけではない。
 「べき」という言葉。義務を現すようで私は嫌いだが、本来の意味はそうではないのかもしれない。自然であるということ。そこから人は乖離していく。変わらないのは生死の営みくらいである。いや、「くらい」ではない。それが全てなのに、私はその程度にしか思っていない。
 座禅というわけにはいかないが、横になっているときも、椅子に座っている時も、奥底に高みに真中にある考えている暇も無いほど大切な何か、それに還ること。そういう人たちのなんと厳しく寛容なことか。

 囚われの身でありつづける私に、その糸のありがたみを教えてくれるもの。ただ座るだけで近づけるなら、その道に興味がある。もちろん、「ただ」という言葉の重みを承知した上で、その静寂を承知したうえで。 Home&Photo


2004年06月07日(月) 負け試合

 農園を借りて、いろいろ植えてはいるんです。

 じゃがいも、セロリ?、小松菜、キャベツ、とうもろこし、みょうが、大根、トマト、ナス、かぼちゃ、メロンなどなど。広すぎるので手当たり次第なのですが、なかなか行けないことも手伝って、現状は・・・・・。
 雑草、雑草、雑草・・・・、のオンパレードなり。すでに敗退もいくつか・・・・。

 これではいかんと思いつつ・・・・。

 すっかり長くなった夕刻の光を受けながら、ゆったりの伸びた波長に影を落としつつ、大根の周りの雑草を取っていきます。時折通り過ぎる低い風に癒されながら、目を水平に戻すと広がる平原。ここは開拓時代最も早く拓けた原野の一つのはず。鬱蒼と茂る木々の中だったことでしょう。

 バケツに溜まった雑草は切り無く捨てていきます。近くに飼われた山羊達に運びに行くと、先を争って食いついてきます。そんな魅力に飽きてしまうほど、雑草たちは際限なく存在しています。

 すっかり着なくなっていた大学時代のつなぎを引っ張り出して、夕闇と競争をしながら、明らかな負け試合を愉しんでいるわけで。相手を思えば実に微笑ましいものです。
 どうせ戦うなら、懐深い相手とやりたいもの。間違いなく、愉しくも成長ある時を過ごさせてもらえることでしょう。

 そんな負け試合に参加してくださる方、大募集中です〜。 Home&Photo


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