私季彩々
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2002年06月30日(日) 我が部屋の爆発事件

 最近我が家で二つの爆発事件あり。

 1つは、お風呂場で。ウイスキーの角瓶に入れて二次発酵していた自ビールが爆発。角型というのは耐圧製に問題があるらしい。びっくりびっくり。

 2つ目は今日。猫が「そそう」したお茶ガラ枕を捨てようと思ったが、貧乏根性がたたって、棄てる前に洗ってみようと。洗濯自体は、まぁ、できた。すっごく濁ったけれど、お茶ガラなら当然といえば当然。
 で、脱水。これが問題だった。お茶ガラだから、中身は細かいので、包んでいる枕の生地はほとんど穴が無いらしい。洗濯槽でもほとんど空気逃げなかったし。これを脱水にかけると、外に出れない水が行き場を失って・・・・、一気に袋を破って爆発。すごい音とともに、あたり一面お茶ガラが飛び散って、壁はお茶の色に染まってしまいました。もう、日曜日はこれで終了です。うにゅ。

 最近猫がそこらでおしっこをしてしまう。整理整頓能力のない私は服をそこらに散らかしてしまうのだが、その上でいつのまにかやらかしている。洗濯機はその為にだけまわしてるようなものだ。

 なんだかなぁ。やっぱ部屋かたさないと。

今日の写真《バイカモの拡大(富良野鳥沼)》 Home&Photo


2002年06月27日(木) 風来坊のその後

 夕日に映える十勝連峰を見たいと急いだけれど、間に合わなかった。暮れた富良野の街で安くなった肉を買って、鳥沼のキャンプ場へ。鳥沼は富良野盆地の東のはずれにあって、私の行きつけのキャンプ場だ。まだ6月の平日とあって、まばらだが20張りほどのテントがあった。
 マキを燃やしている人が二人いたので、種火をもらいつつお話に加わった。一人は40代くらいで、もう一人は20歳くらい。二人とも自転車とのことだ。私も昔は自転車で北海道を周ったくちなので、その話をしていたのだがいまいち噛み合わなかった。
 その40代の方はいわゆる長期滞在者だ。自転車で走り回るのではなく、富良野にテントを張って、いられる間はここで過ごすわけだ。この時期にここでテントを張っている人はほとんどがこのタイプ。このキャンプ場は、夏の仮設住宅でもある。

 4人の方が集まって話をしたが、40代の人は離婚をして北海道にやってきているとのことだ。話し好きのようだけれど、私とは話が続かない。ちょと避けられている気がした。
 30代の人の1人は、スポーツマンタイプ。曜日感覚を失って久しいとのことだ。テント前にはフォークギターが鎮座していた。
 もう一人は、新しい農薬補助剤の営業をしながら北海道を歩いているそうだ。その新薬もキャンプ場で知り合った人から営業を任されたという話。ベンチャーなのかなと思ったけれど、7,8月は農協でのアルバイトに勤しむらしく、何に本気なのか良くわからなかった。
 ずっと話したのは22歳の男の子。富良野出身だが4年前に名古屋に出た後、2日前にここにやってきたらしい。所持金は2000円。昔の知り合いの農家を回って仕事を探すとのこと。私が買ってきた肉を本当においしそうに食べてくれた。

 私は少し勘違いしていたようだ。ビールやつまみがあれば、みんなで火を囲んでお話ができるなと思って立ち寄ったのだけれど、ここの人たちは数少ないお金をやりくりして過ごす日常生活者であって、旅行者ではない。夏の間とはいえ、ここで長い人ならば10月一杯まで過ごすのだ。
 会話は風来坊的当て無き人生の話が主だったけれど、80年代のそのような人が多かった頃の思い出話がほとんどで、40代の方の話は「早く足を洗え」とのところでまとまる。旅よりもここでの仕事の話ばかりで、とても閉鎖的だった。
 けれど、みんな不器用に生きている人ばかりで、私にとってはとても話がしやすくてうれしかったことも確か。基本的には私も彼らの仲間だと思う。
 学生のように一時を存分に楽しもうという期限も無い彼らは、はたから見れば非日常を生きる旅人的だが、まさに日常を生きている。そんな日常を楽しめる根っからの旅人はそうはいない。期限無き人生の旅人は、このようなところに留まってはいないだろう。

 割り箸を使いまわしてまで節約している彼らは、お互いに携帯電話で登録しあっていた。キャンプ場暮らしで住所不定な彼らも携帯電話は欠かせない。私は持っていない。今日車でやって来た私は贅沢をしているようだが、尺度がちょっと違うだけだ。

 次の朝起きると、60を越えている人が数人顔を洗っていた。そんな中、さわやかな女性が犬を連れてやってきて、夫婦でデイキャンプをしていた。その対比は一種異様だった。

 このキャンプ場は私の大好きな場所なのだが、この雰囲気を敬遠して避ける人も多いそうだ。40代の人に、私もここのタイプではないといわれた。彼は間違っている。公の場所でタイプなどという言葉を使って閉鎖空間を作るべきではない。
 近くを流れる小川で写真を撮っていると、その人が「何かいる?」と声を掛けてきた。この澄んだ川一面でゆらめく金魚藻の美しさに気づいているだろうか。絶対に気づいていた時期があったはずの人なのだから。

今日の写真《金魚藻ゆらめく小川(富良野鳥沼)》 Home&Photo


2002年06月26日(水) 霜にやられた花の湿原

 月曜日火曜日と寒い日が続き、知床峠では積雪が観測されるし、旭川では最低気温が2度と霜が降りたところも多かったようだ。作物は大丈夫だろうか。

 今日になってようやく天気も良くなって、気温も上がりそうだったので、雨竜沼まで言ってみた。北海道で最も大きい(一周小一時間程度)高層湿原だ。去年行ったのは6月21日で、湿原はまだ雪に倒された草の茎が乾いて残る時期だった。

 登山道は一時間強の道のりで慣れていればあっというま。けれど、何の花も咲いていない緑一色。もしかして・・・と思っていると、一人の紳士と出会った。ロマンスグレーに赤いベストを背負ったその人は、休んでいる私の横に座って、「昨日のしばれでみんなやられてしまったよ、エゾカンゾウも立ったまましおれて」とのこと。うにゅ。やはり・・・。
 去年登ったときの登山道の記憶と重ねても花はほとんどない。マイヅル草があるくらいで、ヤチブキもしぼんだのが幾つかあるだけ。
 湿原は青草が多くてさわやかな雰囲気だったけれど、ワタスゲがあるくらいで、ショウジョウバカマ一本生えていなかった。あまりにあっさり終わってしまったので、名残惜しくて木道の休憩場所でお昼寝。日光で暖められた木の感触が心地よい。通り過ぎるおば様たちの声を聞きながら腕を目に当てて目隠ししながら。日に雲がかかると一気に寒くなる。日光がまず地面を暖めることを体感。
 帰り道はさらに高速モードながら、しばれに負けず咲いているつりがね草がいくつか。

 若い山小屋&キャンプ場の管理人の方と話をすると、どうやら花はかなりの痛手らしく、7月盛りのエゾカンゾウの黄色い群落はどうなるかわからないとのこと。咲き初めのものは駄目だろうけれど、これからのものは何とかなって欲しいと期待していた。
 日がな一日山奥の管理人というのは退屈らしく、いろいろ話をしてくれた。ハイシーズンの週末になると、狭い林道を超えて大型バスが連なるらしい。中高年はお金持ちで暇があってうらやましいと二人で納得。逃げ切られてしまったかな?

 北海道の山奥には珍しい設備の整った山小屋もあって、しかも一泊700円。泊まっている方々も中高年の単独行の方4人ということで、管理人さん含めてお話したら面白いだろうと思いつつ、食料の用意がなかったので、次の機会にということで撤収。けれど、天気も良かったので、富良野まで足を伸ばしてキャンプ場泊りにしてみた。 続きは明日。
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2002年06月23日(日) 真っ暗になりきらぬ部屋の猫の目の朔にたゆたうエメラルドの海

 起きるとやっぱり曇り。予定通りお出かけもせずに不健康な生活を送る日曜日。どんどん曇天。嫌いじゃないのだけれどさ。

 部屋の中でも半袖じゃぁ寒い。だからといって一枚羽織るのも面倒。膝に猫を抱いてみる。
 NHKスペシャルの「アジア古都紀行・京都」をみる。京都って水の都なのね。大きな盆地の水溜りに土が乗っかってて、その上に浮かぶ舟の上で住んでいるようなものなんだ。街というのはそういうところにあるものなのかもしれない。
 「鴨脚」とかいて「いちょう」と読む水を守ってきた一族の方がでていた。そういうのってすごいな。守るべき価値あるものは守るべきもの。水の文化は守りたいもの。昭和の時代に入って失われかけているものは、きっと守るべきものたちなんだ。守らないと。

 裏千家の家元が、元旦に汲んだ水でお茶を立てて先祖と話すということをするそうだ。ふと疑問に思ったのは、明治になって旧暦が新暦に変わったときに、それまでの習慣を新暦にそのまま持っていったのだろうかということ。

 連綿と続いてきた暦の行事は新暦に移って1月ほどずれた。今では当然のように思えるけれど、移った瞬間はどうだったのだろうか。そんなに簡単に受け入れられるのだろうか。
 中国とかだと今でも旧正月の方が盛大だ。イスラムならば太陰暦が当然の暦。確かに太陽暦の方が補正も少ないし、世界経済の大勢にもかなっているから便利なのはわかる。けれど、月の形をみながら、潮の満ち引きを見ながら暦を読むのも棄てがたい。
 満月を過ぎると、昔の人は月の出を心待ちにしたのだろうか。立待、居待、寝待、更待・・・。月が現れるのを待ちくたびれているうちに、だんだん床に近くなっていく。23夜に願いをかけると月が拾って持っていってくれるとか。

 天照すまぶしき神様よりも、日々変わる月に惹かれる人も多かろう。月派に猫派は賛同者が多いのではと思いますがいかがでしょう。

 今宵十三夜。一説では満月の次に美しい月の姿とか。あいにく札幌は曇り空で何も何にもみえません。けれど曇り空のほうが、町の明かりが反射して明るいものです。
 夜の猫目は十三夜。そんな時間です。


 真っ暗になりきらぬ部屋の猫の目の朔にたゆたうエメラルドの海
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2002年06月21日(金) よさこいの街

 内地(北海道では本州のことを内地と呼ぶ)は梅雨との事ですが、北海道にもエゾ梅雨というものがあります。今週は遠出しようと機会をうかがいつつ、結局ぱっとしない天気だったので延期しました。来週はどうかなぁ。体なまってるなぁ。

 よさこいソーラン祭りが始まって、市内は賑やかでしょう。顔に色を塗った原色な方々が地下鉄や各店を占領していることでしょう。この祭り始まって10年くらいでしょうが、今年は若干参加チームが減ったとのこと。私的にも大分興醒めしてきてるので、妥当なところでしょうか。
 私がこの祭りを始めて見た時は第2か3回目で、まだまだこじんまりとしていました。通りで踊っている連中を、何してるんだと見ている人も多く、けれどなかなか熱気があって気持ちが踊ったのを覚えています。
 それから数年たって、某団体のカメラ担当ということで写真をとりました。どんどん派手になる祭りは交通規制も厳しくなって、誰でも好きに写真を取れる状態ではなくなってきていたので。腕に腕章をはめて、規制を堂々と超える気分というのはなかなか良いものです。ファインダー越しに見て思ったのは、この祭りはまさに踊る人のための祭りだなということ。反面見ている人との距離感が広がってきたのもこの頃からかなと、今になって思います。

 今日銭湯に行くと、おじちゃんが「交通規制でススキノは麻痺してるでや。店も祭りで逆に人はいらん。サッカー中継してればそれでまたはいらんし、わやだ。」と明るく話していました。

 当時の街も夜になるとかなり寒かったのを覚えていますが、今日は最高気温14度とか。夏至を越えても盛夏はまだですが、きっと駆け足でやってきては通り過ぎることでしょう。
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2002年06月19日(水) 昼下がりの眺め

毛だらけのシャツを着たあいつは
いつもモテモテ
「にゃぁ」となく彼女等に
いつも弁当をわけている

帽子をかぶっている彼女は
いつもまぶしげ
かざした白い手には
大きなスケッチブック

しまった体のおじさんは
いつもはつらつ
川面きらめく河川敷を
過ぎていくのはいつも2時

日傘くるくるおばさまは
いつも大声
向かいから来るおばさまと
いつもベンチで「おほほほほ」

おばさま方につれられた
犬はたいくつ
通り過ぎる自転車を
うらめしげに眺めてる

誰もいない河川敷は
いつも雨降り
黴の臭みの橋下に
今日は一人でかくれんぼ Home&Photo


2002年06月18日(火) テレビブロスとタモリ倶楽部

 今日は講義の日。寝ている学生さん達を見ながら、まぁ半分は起きている。悪くないね。こう見るとみんな若々しくて。女の子はみんな明るいさわやかなカッコをしているなと感心しつつ。

 で、4コマで終わるのをいいことに、サッカー観戦に帰宅。でも、すぐに点を取られる。布団に横になりながらだと眠気が襲ってきて、実は寝てました。ははは。というか、スタメンの発表時にトルコのメンバーの時にブーイングが起きたのが気に入らなくて。まぁ極普通なのだろうけれど、ホスト国として試合開始前と開始後は尊重しあうというのが日本的武士道精神ではないでしょうか。そこですでに興ざめしていたのが実際なのですが、負けてしまったなぁ、やっぱり。

 その後は夜のバイトへ。もう高校の勉強は教えられないかな。予習をすれば何とかなるけれど、あまりそこまでする気力はないなぁ、と。

 帰りに本屋へ寄って立ち読み。愛すべきテレビブロス。テレビ雑誌とは思えないマニアックな特集に種種のコラム。忌野清志郎の自転車コラムいいです。私も自転車再開しようかなー。浅草キッドのコラムもいい。何故海洋堂特集? 「とりみき」の9コマ漫画も最高。北海道版開始時よりの読者ですが、ブロスとタモリ倶楽部は欠かせません。タモリ倶楽部系芸人は最後の砦ですし。いつまでも応援しますぜ。

 そんななか、併設のCD屋から流れる宇多田ヒカルの最新アルバムに惹かれて。ヒッキーかなりすきなのですが、貧乏で買っておりませんが、今回のはかなり惚れてるんですがねー。決断つかず。そjんななか、6万円も払ってしまった諸税&保険料。税金より高い支出がないというのは寂しいな。

 気がつけば、10年続いたのはテレビブロスとタモリ倶楽部のファンくらいかという駄目人間な私。いや、駄目ではなく、そん感性は密かに密かに大事にしたい。
 今日はサッカーのニュースを聞きたくなかったので、車内ではテープをかけてみた。いろいろ引っ張り出して、聴いたのは谷山浩子。いつの時代だー、と自己つっこみしつつ、やっぱいい歌なんだわ。こんなテープを持っているだけでも結構俺っていい奴じゃん、と思っていると、テープの調子が悪くて倍速再生しかできない非常事態。なんでやねん。

 時代は流れ歳をとり、若い人には置いていかれつつ、私的良いものは大切にしよう。外見はどうしようもなく、性格もいかんともしがたいけれど、素敵なものは棄てずに取って置きましょう。

 山田教授、あなたはいつまでも素晴らしい。そんな私の感性についてきてくれる素敵な方募集中、まる。

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2002年06月17日(月) 厚田浜益紀行

 午後時間があったので、ちょと遠くの風呂に出かけた。札幌から北に60kmほど行く浜益温泉だ。

 昼間のドライブも久々だったので、普段は行かない道を色々と通ってみた。札幌から石狩川を越えたあたりからは、かなりの断崖絶壁が続く荒々しい風景なのだが、高台を通る国道からは日本海が一望できる。そんな中わずかに残る砂浜は海水浴場になっていて、小さな道がついている。まだまだ早い時期に降り立ってみると、潮風が心地よかった。本当に久々。素直に「気持ちいい」と声が出た。その空にはパラグライダーがふわり。海から吹く浜風に対峙して、海に向かって見事に静止している。いろんな事をする人がいるものだなぁ。
 この海岸の高台は別荘地になっていて、ログハウスが海に向かって立ち並んでいる。吹きさらしの風が似合う風景を行くと、突然風車が2基現れた。聚楽台を降りると道路の直線状にすらりと。
 風を集めて通り抜ける殺風景な光景は、初夏のうっすらと緑が覆った風景に良く似合う。この風車、ロケーションとしてもなかなかいいね。夕日時に見たい。みにこよう。

 厚田の街を越えたあたりからは、木々も多くなってきて道も入り組んでくる。その中には、濃昼(ごきびる)や送毛(おくりげ)といった海岸沿いの小さな入り江にある忘れられたような小部落が残っている。江戸時代の船が主力だった頃からあるであろう部落だ。木造の建物が意外とあって、古くからの墓地が集落に接して存在している。

 送毛の部落から海岸沿いの未舗装路は工事中のため通れなかったので、浜益側から高台に向かった。「千本なら」という新・日本名木100選の1つとのこと。けれどだぁれもいない。こんな道の奥にそんなものがという場所なのだ。
 地味な看板一つしかないその木は、道から少し下った斜面にあった。荒縄が結ばれた木が3本あって、そのうちの一本がかなり太いけれど、幹の半分が朽ちて倒れてしまっていた。
 何故かしゃもじがたくさん供えられていて、いろんな願い事がかかれている。中には繰り返し来ている人もいるようで、ご利益がありそうな。霧が海側から立ち昇ってきて、あたりは木々の香りに包まれて荘厳。なかなか素敵な場所。

 その後は温泉に。ここはまぁ普通の公衆浴場なのだけれど、露天風呂が好きなので。ここのパンフレットで「千本なら」の由来が。枝が千本あるからだそうだ。
 小さな枝が無数に生えるのは、木の状態が悪いということ。樹齢800年。寿命もすぐそばにあるのでしょう。

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2002年06月16日(日) 人波に溶けぬ私は唯一人祭りの空のヘリコプター観る

 調子に乗って毛布を洗ったら脱水機に入りません。無理やりベランダで干していますが、いつまでかかるやら。ベランダあって良かった。

 そうはいいつつ洗濯日和かといえば、そんなことはない120%完璧な曇天。今日もどこかへ出かけようと思いつつ、空を見て早々と二度寝。いかんねー。
 そんななか、なかなか成長しないベランダ農園の中で、カボチャだけが体積を増しています。カボチャなんて買ったこともないのですが、メロンの贅沢はカボチャの煮付けに化けそうです。

 今週末は札幌まつり。北海道神宮のお祭りだから、北海道にしては珍しい由緒ある祭りだけれど、中島公園の馬鹿みたいに混んだ夜店しか思いつかない。昨日昼間ちょっと歩いたけれど、50mも歩かずにダウン。今日も横目で覗きながら、職場に小用を足しに行きました。ああいうのは家族やデートで行くものね。むかぁしそういうことで行ったけれど、あっという間に外れて夕涼みだった。それも楽しかったけれどさ。

 ワールドカップ、神宮祭ときて、今月末はよさこい祭り。6月はイベント真っ盛りです。北海道の運動会は6月だし、お父さんも大変でしょう。

 中島公園には地味だけれど天文台があります。こんな街中にと思うけれど、お月見や惑星観察くらいなら十分可能です。たまぁに公開観望会のようなものをやっていることもあるようです。
 そういえば、星空を最近は見ていません。大学はいる直前まで、宇宙物理か生物系かと定まらなかった私の進路を象徴するかのように、大学に入って星観の仲間と夜空探索に出かけたものですが、15分もすれば満腹して飲み会に変わりました。植物観察も聞き流しながらだったのですが、そういう興味が今になってようやく本当の興味に化けてきました。あと10年早かったらと悔やまれてならないけれど、まぁ仕方がないさね。

 屋台の灯りが人込みの流れに揺らめく光景を、真上からボーっと眺めてられたら、なぁんか幸せな気分になれそうな気がします。そんなホテルもないわけではない都会なのですが、もっと真上から。
 「うち上げ花火、下からみるか、上からみるか」。岩井俊二の作品ですが、正確には「うち上げ花火、下からみるか、横からみるか」です。ずっと前者だと思っていました。どっから見ても花火は花火ですが、背景は大きく変わってきます。私はaikoの歌のように、見下ろして見たいなと、思う夜。ひときわ暗い天文台が本来そうあるべき姿を見せてくれるでしょう、相対的に。まる。
 雲とはいわない。あのヘリコプター乗せてくれないかな?


人波に溶けぬ私は唯一人祭りの空のヘリコプター観る


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2002年06月15日(土) 税金の請求に思う

 税金の請求がきた。200万円を切るアルバイト生活者の私にとっては痛い話だが、まぁ払えない額ではない。ま、国民の義務だし。
 で、一緒に来た国民健康保険の請求額が年13万ほど。これは痛い。国民年金も同じくらいだから、この2つで年収の15%になる。
 給料取りだった時代の所得税は月1万円くらいだった。住民税とあわせれば、一人暮らしの年収350万円程度で年10%くらいだろうか。基本的には収入は全て支出にまわるのだから(将来を含めて)、15%程度負担していることになる。
 どのくらいから税率が跳ね上がるのかはわからないけれど、平均的な世帯で500万くらいの収入があったなら。30%程度の負担は妥当かなー、とか思う。
 けれど、保険料というのはどうなのだろう。上限は決まっているとはいえ、税金の10倍近い額が請求されると驚いてしまう。年金も、労使負担の厚生年金とは違って定額だ。年々1割ほど高くなっていく。多くの人にとって、税金よりも年金や保険料負担の方が切実だ。
 景気の問題で減税がどうとか出ているが、代わりに保険料が上がっていたのではほとんど意味がないと思うのだが。それは低所得者のエゴなのだろうか。多くの給与所得者にとって、税金と保険料の感覚に差がもてることはないだろう。
 学生が国民年金を負担して、主婦が免除というのもわからない。声が小さいとだれも耳を貸さないのだろうか(申請すれば卒業後払えというお達しが来る)。
 パート労働についても、130万円の壁とか言うわけのわからないものがいつまでたっても存在する。いろんな控除がありすぎて、税負担にたくさんの階段が出来てしまっている。コンピューター全盛の時代なのだから、連続な曲線的に税負担のあり方を論じてもらいたい。出来ない話じゃない。
 同じ100万の収入でもいろんな負担が異なってきて、所得の比較が出来ないのはおかしいと思う。手続きがわかりにくすぎて、行政書士だとか税理士だとかそんな専門家ばかりが増えていくようなのは絶対おかしい。

 私は低所得で総合的に見れば恩恵にあづかっているわけで、ありがたいと思っている。けれど、税金を考えて労働時間を計算しているパートや経営者。障害手帳を持ってさまざまな給付金を受け、諸所の税金を免除されながら、そのお金で高級車を買ったり土地を買ったりしている人とか、矛盾が多すぎる。
 私が働いていた職場で左手の指がほとんどない奇形の人がいた。色々大変だろうし、経済的にもきついのだろうといろいろ世話をしたが、ある日ものすごいスポーツカーに乗ってあらわれた。何かおかしいと思った。

 一旦制度が出来るとあとはそれに従うだけで、しだいにその抜け穴を見つけてうまい汁を吸う人が増えてくる。私だって節約できるものなら進んでやる。制度やシステムの寿命はそうして崩れるものだ。

 国の基本実務は税、年金および保険料を主とした所得の再配分だ。一旦全ての控除を廃止して、何を優遇するのか、何を保護すべきなのかをはっきりして一元化してもらいたい。内々に不公平感を湛えているような世は不健全で、みんな自分が不遇を受けているように思っているのは不幸だ。

 扶養控除を見越して働く時間を減らすこと、子供のいない専業主婦(夫)が母(父)子家庭よりも優遇されることをまず是正してもらいたい。保険料に関しても、同じサービスを受けながら国保は3割で他が2割、月給ベースから年収ベースという不公平がなくなった野は良い。でも、医師の医療保険とかも3割になったのだろうか? Home&Photo


2002年06月13日(木) 洗いたての布団で先に寝入る猫 幸せそうで除けられぬ主

 いつか部屋に友人を泊めたときに出した布団がかなり汚れていたのが恥ずかしかった。ついつい布団カバーをせずに使いまわしてた布団しかなかったので。
 綿布団や羽毛布団は洗えないものと思い込んでいましたし、実際布団も安くなってきましたから気を使うこともなかったのです。クリーニングは高いしめんどくさいし。
 で、布団の洗濯表示を良く見ると・・・、洗濯機OKが結構あるではないですか。羽毛も、綿も、毛布も。こりゃすごい。ということで、洗濯洗濯。

 38Lで一杯の二層式洗濯機には窮屈ながら何とか回ります。完全には落ちませんが、そこそこは落ちますし、縮みもそんなに感じない。おお、素晴らしい。
 普通は布団カバーをつけて、干しながら使うものなのでしょうが、カバーも結構高いのよね。今後は洗える布団を買うことにしよう。敷布団を洗うのはちょっと無理そうだなぁ。

 で、新しい布団で寝ようとしたら、猫が真っ先に寝ています。今までの毛布を猫用に用意してるのに、何度その上につれてっても戻ってきます。昨日までは喜んでその上で寝てたのに・・・・。

 嘘を決してつかない動物が態度で示すのですから、さぞ心地よいのでしょう。明日も洗濯機をまわしまひょ。


 洗いたての布団で先に寝入る猫 幸せそうで除けられぬ主 Home&Photo


2002年06月11日(火) 生徒さんはホステスさん

 アルバイト先からの帰り、丁度帰るところの生徒さんを送っていくことになった。
 週一回の授業を受け持って2ヶ月強になるけれど、顔も名前も全然わからない。黒板を書きながら勝手にしゃべってるところが多いからなぁ。今日は来年の講師紹介用の写真を撮るということだったのだけれど、なかなか難しいものだ。問題の解答をやっているとき以外に生徒さんの方を向くことはあまりないから、写真に撮るようなシーンがないといわれた。真正面を見据えるのも変だし、困りました。
 そんな話を車中でしながら、先生の話は難しいとか言われてへこみました。そかぁ、かなり砕いているつもりなんだけれどなー。でも、そういう話が出来るのってうれしいもので。情報がないと何も改善できないもので。

 で、彼女は大学を辞めて専門学校に来ているとのこと。現在はアルバイトをしながら学費を自分で出しているとのことだった。がんばってるねー、と話しながら家まで送った。
 その夜彼女から、メールが入っていた。礼状みたいなもの。ついでにMSNメッセンジャーの登録要請(という感じのやつ)が来てて、ついついOKしちゃった。生徒さんに夜更かししてパソコンを使ってるのがばれるのはかなり気恥ずかしいので、ちょと弱ってしまってます。おまけにチャットにまで付き合わされてしまって。講師失格ですな。
 で、その中で、彼女は深夜二時近くまでススキノで働いているとのこと。いわゆるホステスですな。30近くの男に人気があるとか。ありゃぁ、童顔の学生さんかと高をくくっていたら、もう私のほうがよっぽど世間知らずな感じです。ちょっと驚きつつも、年100万円以上の学費と一人暮らしの費用を稼ぐとなれば、それくらいの努力も必要なのは私にはわかります。同じ苦学生の経験があるわけですし。
 まだまだ幼いからと職員室で話している会話の対象は、実はしっかりと懸命に生きているわけで、退職教師や薬剤師みたいな超安定路線を生きている講師陣よりも、よっぽど語るべきものを持っているのかもしれません。

 薬局で働きたいという彼女は、夜の仕事は近々やめるつもりとのこと。普段はとっても明るい彼女だから仕事も真っ先に決まるだろうとの職員一致の意見だけれど、すでに3つほど落ちているようだ。
 授業中に、これができたら寿司をおごるという約束を果たしてくれたので、約束どおりご馳走することになった。だけれど、ススキノのお客さんにいろいろご馳走してもらってる彼女におごるほどの財力もないのだけれどねー。ま、昼休みのラーメンくらいで手を打ってもらおうかな。まさか、生徒さんのお店に行くわけにもいきませんからね。

雨竜沼湿原(昨年6月)写真大幅追加 Home&Photo


2002年06月09日(日) しおれ観葉植物閑話

 名前も良くわからない観葉植物が部屋にあります。植物を含めて生き物の気配が無かったこの数年の私の暮らしの中で、唯一の仲間といえたものです。といいつつ、ほとんど世話らしいこともしなかった。水をあげるのも気がついたときだけで、週に一度あるかないかだったし、冬の寒い最中も全く何もしなかった。それでも成長こそしなかったけれど枯れることも無く、色落ちもしないで今日まできたのです。たまに枯れた葉もあったけれど、数枚は常にあったから、地味に成長はしたのかもしれません。
 今年度に入って、ベランダ農園を始めた時に買った固形肥料を二粒足してみました。なんせ数年ほっといたのだから、少しくらいの栄養をとの親心。ところがその途端、それまで見た目は元気だった2枚の葉がみるみる枯れていきました。しばらくたってから鉢の土を入れ替えようと鉢から出してみると、土はボロボロと落ちてしまいました。根がほとんど無くて槌を捕まえていなかったのです。もともと根があったのかわかりませんが、よくまぁ生きてるなと感心。もう死んでいるのかもしれませんが。
 で、現況は、残った2枚の葉が元気なくしおれています。果たして復帰はあるのでしょうか。鉢を変えて、土を足しても変化ないので栄養剤を足してます。逆効果かもしれませんが。

 この観葉植物は、かなり以前に付き合っていた人からもらったもの。その人も友人からもらったとのことで、私は3人目ということになります。人は移り変わっても、植物は何もいわずにそばにいるもので。しおれかかった姿を見て、慌てて寂しがっても遅いのですが。
 一緒にいることが苦痛になること。好きでも一緒に同じ空間を共有しつづけられなかったなと。幸福感に浸りながらも時折訪れる”間”に逃げ出した頃を思い出してしまいます。

 私は本当に心の底から好きなことや、好きなものに出会ったことがありません。好きな人に出会ったことはあると思いますが、それが本当かの自信も実はありません。山好きではありますし、森を歩けばいくらでもいられますが、それは至極最近になってのことで、長年好きになりたいと騙しつづけていた自分がようやく騙されてきたなというのが本音です。それはそれでいいと思っているのですが。

 しおれているのに緑色はかわりません。ベランダのメロン達を見ても、本格的に枯れることは滅多になくて、成長がぱったり止まってしまうことが多いようですから、すでに先はないのかと思います。
 ずっとそばにいてくれたのにね。なぁんにもしなかったけれど、それが私にとってとっても居心地が良いお付き合いだったことも確かなようで。私はそんな人を求めていたのかもしれません。それを人と呼べるのかは大いに疑問ですが。

 でも、できることなら。できることならもう一度元気になって欲しいな。そうしたら私ももう少し変われると思うのだけれど。

 外では突然ぱらぱらと降りだしました。プランターに張ったビニル袋から雨音が聴こえます。
 とっても気持ちよくて、哀しい音。

《今日の写真 しおれた観葉植物》 Home&Photo


2002年06月07日(金) 札幌の街に異人さん

今日はイングランドvsアルゼンチン@札幌。

 仕事で深夜帰宅となりましたが、ススキノの街は賑やか。ススキノに向かうバスからは外国の方が多数で歓声を上げておりました。その周りをパトカーが取り囲んで本当に対照的。そんな心配要らないって。

 札幌に欧米の人が多数集まる機会ってそうはないから、なかなか面白い光景なのだろうな。あんまりかかわらなかったけれど。

 そういや、チケットの当日売り、札幌では手に入らずに、東京か仙台に取りに来いという何考えてるのだかわからない対応。やるならどうしてそんな中途半端なのかねー。俺が責任取るって、首覚悟で英断下す責任者いないのかね。フーリガンがどうこうより、チケット問題の方がよっぱど治安上重要な気がするけどなー。

 そんなこんなで、次はよさこい祭りか。イベント目白押しね。あたしゃは森に行ってのんびりしていることでしょう。そろそろ山に行きたいなー。

《ベランダ園芸日誌更新》
《今日の写真 苔むした樹皮上の森》 Home&Photo


2002年06月06日(木) 朽木の森

 久々に図書館に行けて幸せです。やっぱいいなぁ。そういうところに住みたいわぁ。

 で、行きつけの森にも足を伸ばしまして。鳥の声でむせ返るような感じ。緑はとっても濃くて、小さな花々はすでに脇役な感じ。蘭が盛りと聞きましたが、サルメンエビネは見つけられませんでした。
 デジカメをもって歩くのですが、いかんせん夕方が多くて光が足りません。フラッシュをたくと間抜けな写真になってしまいますし。去年は300万画素のデジカメを借りていて、それがまた高性能で写りも素晴らしかったのですが、今のは25万画素でパンフォーカス。なかなか厳しい。

 まぁ、そんなことを気にするのは一時のことで、逆光の最中で目を奪われた後に広がる一本道にたたずんでみたり、あまり気を使ってない伐採跡に腹を立ててみたり、この切株持って返りたいな、とかとか、余計なことを考えながら2時間ほど歩いてみたわけです。その間誰にも会わないのだから、独占状態な訳で。これだけ歩いて誰にも会わないなんて、そんなことって滅多に無いなと。

 あまり花は見つからなかったけれど、倒れた木についた苔がなかなか綺麗。蟻がその中でせっせと何かを運んでいたりします。柔らかく朽ち行く樹皮が土に返る第一段階は、思いの外豊かな色彩に溢れております。大人の目、子供の目。鷹の目、蟻の目。はっとする瞬間というのは転がっているものです。それは何も景色だけではなく。目を失っても見えることもあるのでしょう。美しいものも恐ろしいものも紙一重。私にとっては、まだまだ見えないものが怖いという臆病者なのですが、きのこの傘の下で、苔の布団に包まるのもわるくないかも。
 でも、やっぱり蟻サンは怖いからこないでね。

今日の写真《朽木の森》 Home&Photo


2002年06月02日(日) 雨の朝

 今日は起きたら出かけようと思っていたら、雨。そのまま布団に潜りつつテレビ鑑賞。遅い午前は政治ネタが多いけれど、実は結構好き。ついでに将棋がやってたりして、これも好き。あぁ、ほんとにおじさん入ってるなぁ。いいのだけれど。

 サッカーも日本全国いたるところでやっているようで。韓国でもか。昨日のサウジアラビア対ドイツはかわいそうだったなぁ。でも、なんで8時半キックオフなんだ? すすきので飲むには遅すぎるやん。経済効果大きいんとにがうのかなぁ。
 といいつつ、試合自体はやっぱりレベル高くて面白い。NHKでやってたナイジェリア対イングランド、前半特におもろかったなー。

 そんなこんなで雨の日ものほほんと。森歩きは出来なかったけれど。蘭おわっちゃうかなー。暇見つけていこう。

 そういや同期の友人が結婚するって人づてに聞いた。一番もてないといわれた奴何だけどなー。やばいなぁ、という感情も含めて、おめでとさん。みんな幸せになってね、私の分まで。 Home&Photo


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