17番の日記...17番

 

 

原沢さんのお話 - 2003年06月21日(土)

今日は大学で読売巨人軍広報部長兼法務室長の原沢敦さんとお会いすることができた。原沢さんは上智大学卒業後、読売新聞社に入社し、社会部記者として活躍。現在は巨人軍を裏側で支える仕事をされている。話の内容を質疑応答形式でいくつか書きたいと思う。

Qオリンピックで野球の日本代表がシドニーオリンピックからプロアマ混合チームになり、プロとアマの壁が以前より低くなってきてるように感じるが、プロが高校生との接触などを禁じている「プロアマ規定」についてどう思うか

「やはり柳川事件の存在が根強い。2000年にある大学の野球部が雨が降ったため、ジャイアンツ球場(室内)を借りて練習をした日があった。その大学の野球部の投手に春の巨人のキャンプに参加していた選手がたまたまいた。近くにいた巨人の宮田ピッチングコーチ(当時)がその投手に軽く声をかけた姿が写真に撮られ、プロアマ規定に引っかかると問題になった。その結果、その大学の野球部の監督に対し、一年間の指導禁止命令が出された。もはやここまでくるとプロアマの線引きは異常と言える。一日も早く、プロアマ規定の改善を願っている」

柳川事件とは、プロとアマの問題でいつも象徴的に語られる1961年に起きた事件のことである。プロは当時、大金でアマの主力選手を引き抜く一方、退団者の受け入れを求めてきた。社会人・学生側は厳しい規制をかけていた。ルール作りが難航し、無協約状態になっていた時に、中日が日本生命・柳川福三外野手と契約した。これに怒ったアマ側は、受け入れの門を閉じた。プロの選手が高校球児とキャッチボールをしただけで「プロアマ規定」に引っかかる。はたして、これほどまでに敏感になる必要性はあるのだろうか。

Q巨人のチーム名に「東京」が消えてしまうが

 「確かにフランチャイズは東京だが、巨人は全国的にファンが多いため、「東京」を外すことによって、ファンに更に親しみを持ってもらおうというのが最大の狙い」

僕には「東京」を外し、都合上、企業色を強くせざるを得ないとしか思えないが。

Q東京ドームS席についてテレビに映っているようなバックネット裏の最前列付近の席は一般の人では手に入らないのですがどういう仕組みになっているのですか

 「S席のネット裏の一番いい席は企業や政治家が年間シートとして買い占めている。主に接待などで利用されている」

なんとも腹立だしいことである。資本主義の象徴がバックネット裏最前列では存在しているということだ。日本中の野球少年がどれだけあのバックネット裏の席に憧れていることか。別に原沢さんに対して腹が立っているわけではないので誤解のないように。

原沢さんはとても謙虚な方でいい人だった。社会部記者時代のお話も非常に興味深かった。

今日から東京ドームで巨人ー阪神の三連戦。
テレビをつけると、どうしても目線がバックネット裏にいってしまう僕がいる。




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九番目の打者 - 2003年06月19日(木)

阪神の勢いが止まらない。今日の阪神の先発はムーア。ムーアはピッチングだけでなく、バッテリングでも貢献している。この事は僕にとって非常にうれしい事である。

パ・リーグではすっかり定着しているDH制。この制度に対して、賛否両論あるが、僕は賛成である。投手はピッチングに専念できるし、攻撃力が増す。

しかし、セ・リーグでは導入されていない。パ・リーグとの差別化を図ったものだと思うが、僕は導入したほうが絶対に面白くなると思う。

セ・リーグの試合を見ていて、腹が立つ場面がある。例えば、2アウトランナー無しの場面で打者は9番の投手という場面。打者はバッターボックスの端に立ち全く打ち気のない構えを見せる。相手投手が投げる球を見極めようとせず、来る球全てに当たり前のように空振りし、自ら三振しようとする。「早くこの打席を終わらせて、次の回のピッチングの準備をしたい」。この心情をモロに露呈した光景である。

僕がプロに求めているのは、プロの技術、そして一生懸命にプレーする姿である。まして球場に足を運んでいる観客は入場料を払って見に来ているのである。そのようなプレーが許されるわけがない。

球界では、そのようなプレーが暗黙の了解となっているのだろう。しかし、プロである以上、観客の前では一生懸命なプレーを見せて欲しい。

今日の阪神先発のムーア。右中間を破る二塁打を放っていた。「九番目の打者」として打席に立っていた。

セ・リーグの投手が皆、「九番目の打者」として打席に立ってくれれば僕のような不満を言う人間は出てこないと思うのだが。


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うれしい発見 - 2003年06月18日(水)

飯田橋にある「梟(ふくろう)」というラーメン屋。大学の近くにあるため、よく近くは通るのだが入学後一度も店には入ったことがなかった。

特に「うまい」という評判も聞かなかったし、飯田橋でラーメンを食うとなるとだいたい青葉に行っていた。

今日、思い切って「梟」に行ってみた。塩味が売りということで塩ラーメンを頼んでみた。一口食ってみると思わず「うまっ!」と言ってしまった。チャーシューもばかでかいし、なんとご飯が時間無制限おかわり自由なのだ。

ラーメン屋「梟」。うれしい発見である。ぜひお試しあれ。


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「プロ」としてのモチベーション - 2003年06月17日(火)

蒸し暑い日が続いているが、今年は夏バテする不安は今のところない。どうやらエルゴ効果が絶大のようだ。朝起きたら、まずエルゴという生活パターンがすっかり定着した。

僕は朝マックをする日が多いのだが、なぜ、午前11時まで普通のハンバーガーを販売しないのか、といつも疑問に思う。最近マックが昼に取り組んでいる「1分間にチャレンジ!」みたいな企画なんてどーでもいいから、朝から普通のハンバーガーを販売してほしい。安いハンバーガーは常置しておいてほしい。

それにしても、今年の横浜ベイスターズはピリッとしない。開幕前に期待された古木はイマイチだし、チームに活気が感じられない。

横浜ベイスターズの下部組織に当たる湘南シーレックス(ベイスターズとはユニフォームのデザインが違う)は地域密着を心がけており素晴らしいチームだと思う。三年前に名前が湘南シーレックスとなったこのチームには3つの誓いを掲げている。

1、一つの独立したプロ野球チームとしてこれまで以上に地域に密着した活動を行うことによりスポーツ文化に貢献すること

2、横浜ベイスターズに入団しながら、ベイスターズのユニフォームを着られないという一軍との距離感を実感させることにより選手の意識改革を促す

3、アマチュア野球との積極的交流を深め、現状の日本プロ野球業界に問題提起していく

以上の3つがチームのテーマとなっているわけだが、今回、2のテーマについて触れてみたいと思う。
ユニフォームを別にすることで一軍との距離感を明確にすることは名案だと思う。そうすることによって「一日も早くこのユニフォームを脱いで、ベイスターズのユニフォームを着たい」と選手に思わせ、一軍昇格というモチベーションを高める。しかし、僕はそのモチベーションを高めすぎるがために、一軍昇格を果たした選手は一種の満足感を無意識の内に感じてしまっているのではないかと思うのである。そのため、チームの最大の目標であるペナントレース制覇、そして日本一という意識が他のチームよりどうしても低くなってしまっているように感じる。もちろんそういう風に感じていない選手はいると思うが、チームというのは選手一人一人が集まり形成されるものである。ベイスターズ若手選手の大半の最大の目標は「一軍昇格」となってしまっている以上、チームとしての最大の目標を選手全員に植え付けるのは他のチーム以上に難しい。

僕は中日ファンだから横浜ベイスターズを熱烈に応援しているわけではないが、頑張ってほしいと思っている。今年から横浜ベイスターズのGMに就任した山中正竹氏は去年まで法政大学野球部の監督をしていた。何度かインタビューさせていただく機会があったが、僕みたいな一学生に対してもしっかりとコメントしてくれ、人間的にも非常に魅力的な方だった。このような方が上司だったら最高だなと何度か思った。山中氏にはぜひ横浜ベイスターズ再建を実行してくれることを願っている。

去年まで法政大学野球部で活躍した土居龍太郎、河野友軌も横浜ベイスターズに入団した。実はこの二人、僕が大学で所属しているゼミの先輩。一度だけ飲み会をご一緒したことがあるが、とにかく肉をガツガツ食べていた記憶がある。やはりプロに進む野球選手は食欲旺盛なのだ。二人とも、まだ一軍で目立った活躍はしていないが将来を期待されている選手。ぜひ頑張ってもらいたい。

それにしても今年の阪神の強さ、やはり本物だ。(阪神5x−4横浜)





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大久保の創造性 - 2003年06月11日(水)

夕方5時から始まるのバイトに間に合うように駅の改札を通過した瞬間、あることを思い出した。キリンカップ・日本ーパラグアイ戦が今日だということを。ビデオ録画予約をするのをすっかり忘れてしまった。今から家に引き返し録画予約をするとなるとバイトには絶対に間に合わない。無念さを体全体から発しながら電車に乗った。

今日はバイトが8時に終わった。試合終了は確か9時20分位。バイト先から家まで急いで帰れば50分で着く。少しでも試合をリアルタイムで観るため、全力疾走で帰宅した。

息を切らしながら、リモコンを手にとりテレ朝にチャンネルを変えた。試合は後半30分。得点は0−0。妥協せずに家に帰ってきてよかったと思った。
しかし、日本リードを予想していた僕にとっては意外な展開だった。今回の日本は前回のアルゼンチン戦からメンバーを八人入れ替えたとはいえ、中田英、中村、高原といった攻撃の軸は図太いメンバーがそろっている。一方、パラグアイはチラベルトが協会との対立でメンバーから外れ、エースのサンタクルスもいない。日本にとってはホームの試合であり、当然勝たなければならない試合である。

試合は8対2の割合で日本がボールを支配している。しかし、得点が入らない。試合を途中から観たので分からないが、おそらく試合開始からこの時間までずっとこういった状態が続いているのだろう。日本の選手からは焦りの色が見えている。

そんな時、左サイドから三都主の鋭いアーリークロスがゴール前に入る。そこに大久保がヘディングで飛び込む。待望の先制点!!大久保と同じく、僕もガッツポーズをしてしまった。しかし、この喜びを台無しにしてしまう、実況の角澤アナからの言葉が僕の耳に入る。

「あ〜と、大久保のゴールはどうやらオフサイドという判定です」

スローVTRを観ると確かにわずかであるが大久保がオフサイドの位置にはみ出している。しかし、クロスを上げた三都主も素晴らしいが、大久保のゴール前の嗅覚といのはすごいものがある。ドリブルも本物だがゴール感覚も本物である。大久保の創造性には天性を感じる。

大久保の出身校である国見高校のサッカーは僕は個人的にあまり好きではない。選手全員が丸坊主にしており、全国的にさわやかなイメージもあるため好感度は高い。しかし、展開されるサッカーは勝利主義第一でおそろしくつまらない。

国見高校のサッカー部の練習量はおそらく日本一といえるだろう。信じられない量の走りこみを行い、年内の練習の休日は数日である。これほどの勝てるチームに仕上げた小嶺総監督の実績は尊敬に値する。しかし、このチームには強烈な「型」というものが存在する。

その「型」というのは要するに中盤を省略するスタイルのことである。中盤を経由せずにDFからロングボールで前線にボールを運びFWとMFがそのボールに絡むというスタイルである。この戦略は膨大な練習量に裏づけされるものではあるが、観ている側からすればそれほど面白くはない。

結局何が言いたいのかというと、こういったチーム事情では個性溢れる選手が育ちにくいということである。「型」に縛られては、高いポテンシャルを秘めていても発揮せずに終わっていく選手が存在してしまう。

確かに国見高校からは多くのJリーガーが生まれている。しかし、本当の意味でプロに行く実力を持っていた選手というのは永井秀樹、路木龍次、三浦淳宏、そして大久保嘉人の4人だけではないかと僕は思うのである。「型」にはまり過ぎずに、自分の創造性というものを大切にしながら国見高校での3年間を過ごしたのはこの4人だけではないのかと思うのである。三浦淳宏の同期に永井篤志という選手がいたが彼のポテンシャルの高さは小野伸二に匹敵するものがあったように思う。プロに入ってから伸び悩み、現在はJ2のチームに所属している。彼がもし、清商のような選手の創造性を大切にする指導を行う高校に行っていたら・・・と僕は考えてしまうのである。

日本ーパラグアイ戦は結局0−0で引き分けた。

大久保の創造性に、僕はこれからも魅せられたい。




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法大・大引選手インタビュー - 2003年06月09日(月)

日曜日に法政大学野球部合宿所に行った。初めて中に入ったがまず思ったことは「とてもきれい」だということ。まだ建って数年しかたってないということもあるが、とても野球部員何十人が生活している所とは思えなかった。

合宿所に行った目的は、野球部の大引啓次選手にインタビューするため。僕は、大学で学内新聞を作るサークルに入っており、そこで学内スポーツを担当している。今回、一年生ながら、東京六大学春季リーグ戦に全試合スタメン出場を果たした大引選手にインタビューする企画を僕が立ち上げた。

今年の法政はスター選手がいない中、守備重視の野球を強いられた。そんな中、今年入学した有望な一年生の起用が目立った。その一年生の中で特に有望視されているのが大引選手である。

大引選手は浪速高校二年春、センバツに出場し、ベスト8進出。二年の時からプロ球団から声をかけられるようになり、三年では明徳義塾の森岡(現・中日)、東海大望洋の長田(現・巨人)と並ぶ超高校級遊撃手の評価を受け、その年のドラフト候補にも上がった。高校通算15本塁打。

学内新聞に掲載する前に、一足先にこの日記でインタビュー内容を載せたいと思う。

Q春季リーグ戦を振り返ってどうですか
 「自分の思い描いていた通りの神宮の雰囲気でした。あっという間に終わってしまったという感じです」

Qリーグ戦に臨む前の気持ちはどういうものだったのですか
 「まさか自分が全試合スタメン出場できるなんて思っていませんでした。出場したら少しでもチームに貢献しようという気持ちで準備していました」

Q開幕スタメンに選ばれた時はどんな気分でしたか
 「試合が始まる前はそれほど緊張しなかったんですが、実際に試合が始まってから緊張してきて、地に足が着いてない状態でした」

Qリーグ戦打率‘263について、どう感じていますか
 「周りの人からは一年生だし、2割打てたらいいよみたいなことを言われましたが、自分の中では一打席一打席大切にする気持ちで臨んでいたのでもっと打率を稼げたんじゃないかなと思っています。どんなにいい投手でも必ず一打席一球は甘い球が来るので今回その球を見逃してしまった場面が多々あったので、悔いが残っています」

Q大引選手が自信を持つ守備について、なにかこだわりはありますか
 「捕球してからの送球する動作を速くすることを心がけています。魅せるプレーより、堅実なプレーを目指しています」

Q打順のこだわりはありますか
 「特にないです。どの打順に入っても一打席一打席大切にする気持ちは変わりません」

Q他大学の同学年の選手でライバル心を燃やしている選手はいますか
 「今は自分自身のレベルアップとチームに貢献することで精一杯なので、特にいないです」

Q話が前後しますが、法政を選んだ理由はなんですか
 「高校進学時に、大学に行くつもりで浪速高校に進みました。最初は関西六大学野球に興味があったのですが、高校の先輩で、僕の尊敬する新里さんが法政にいるということを知り、法政で野球がやりたい気持ちが強くなりました」

Q進路選択の際にプロに行こうとは考えなかったのですか
 「高校の監督のところにプロの話が来てたようですが、僕自身、大学で野球をしたい気持ちが強かったので、その時点でプロに進もうとは考えなかったです。僕の親も大学に行くことを勧めていましたし、この決断は僕自身も納得しています」

Q高校二年の春に出場したセンバツは今振り返ってどうですか
 「甲子園は自分の持っている力以上のものを引き出してくれる場所でした。準々決勝で宜野座高校に延長で負けてしまいましたが、甲子園では本当に気持ちよくプレーできました。センバツが終わった後、修学旅行があって沖縄に行ったのですが、その時に宜野座高校と再び交流があったりして、そういう意味でもいい思い出として残っています」

Q高校三年の夏の大阪府大会で大会通算5号本塁打を記録し、清原選手(巨人)の持つ記録に並んでいるわけですが、実感はありますか
 「今でも全然実感はないです。その時は4回戦で負けてしまい、その悔しさの方がはるかに思い出として残っています。やはり、本塁打を打つことより、試合に勝った方が嬉しいですから」

Q大学に入り、合宿所生活には慣れましたか
 「だいぶ慣れました。先輩方もやさしくしてくれますし、とてもいい環境だと思います」

Q部屋はどの選手と同部屋なのですか
 「4年生の植山さんと同じです。同じ関西出身ですし、とても親切にしてもらってます。ご飯にも連れてってもらったりしてます」

Q休日の日は何をしてますか
 「基本的に部屋にいますね。昼寝してるか、先輩に借りたマンガを読んだりしています」

Q目標とする選手は誰ですか
 「巨人の二岡選手です。堅実なプレーをしますし、憧れの選手です」

Q秋季リーグに向けての目標はなんですか
 「チームの優勝と、個人的には現在の三冠王獲得の記録(早大・鳥谷、法大・後藤が持つ二年春)を抜きたいという思いがあります。やはり目標は高く持っていたいです」

Q最後に、将来の目標はなんですか
 「大学で実力をつけて、プロに行きたいと思っています。できれば地元の関西の球団でプレーできたらいいなという気持ちが強いです」

以上がインタビュー内容。

大引選手はインタビューの際、目線をしっかりと僕の方に向けてくれ、とても一年生とは思えない落ち着きぶりだった。

謙虚で、相手を思いやる気持ちを持っており、人間的にも魅力的な人だった。これからも謙虚さ、相手を思いやる気持ちを忘れずに頑張っていけば間違いなく、将来ドラフトで自由獲得枠でプロに行ける素材である。これからも応援していきたい。

ちなみに、大引選手の実家は神社らしいです。





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ボクシングジムの日常 - 2003年06月03日(火)

今日は学校の帰りに友人と大塚に行った。友人が用事の最中、一時間程時間があったので駅周辺を散歩していたら、ある建物の中から激しい音が聞こえてきた。

その建物の周辺には、中年の男性や僕と同年代位の若者がガラス越しに建物の中を見学している。近づいてみると、そこはボクシングジムだった。

角海老ボクシングジム。元東洋太平洋王者・坂本博之をはじめ、多数の有力ボクサーを輩出し続けるジムである。坂本博之、前田宏行、榎洋之、阿部弘幸の「ひろゆき四天王」が在籍している。

トレーナーはエディ賞を受賞している日本屈指の名トレーナー田中栄民やソウルオリンピック銅メダリストのフセイン・シャーが務めている。

このジムには外にちゃんとした見学スペースが設けられている。ガラス越しだが、手の届く所にリングがある。僕が見に行った時間帯はガラス窓が開いており、僕もジムの室内にいる感覚で練習を見ることができた。

僕は大学で学内新聞を作るサークルに入っており、そこで主に学内スポーツを担当している。以前、大学のボクシング部に取材しにいったことがあり練習を生で見るのはこれが二度目である。

しかし、プロボクサーの迫力はやっぱ違う。
僕が練習を見学し始めてから数分後、僕と同年代と思われる小柄だが筋肉質の選手(白)と長身でリーチの長い選手(黒)とのスパーリングが始まった。最初は様子見な感があったが次第に激しさを増していく。白の選手が黒の選手の懐に入り込みパンチを連打する。黒の選手のスタミナが切れ始め、白の選手得意の左ストレートが面白いように顔面にヒットする。実力差は明らかだった。黒の選手の鼻や口からは血が噴き出している。それでも黒の選手は懸命に対抗し続ける。リングには血がこぼれている。僕の数メートル前で流血戦が繰り広げられている。リングには殺気が乱れ飛んでいる。

スパーリングが終わり、お互い何も無かったかのように坦々とヘッドギアとグローブを外し、リングから降り、また違う練習へと移る。

これがボクシングジムの日常の風景である。流血しようがそんなものは関係ない、というような空気がジム内では流れている。

僕はこの練習見学で終始圧倒され続けたが、同時に拳一つで勝負を決するボクシングの魅力にハマっていた。

家に帰り、インターネットで「後楽園ホールHP」を検索し、早速「お気に入り」に追加した。

僕が後楽園ホールに行って、ボクシングを初生観戦する日は、それ程遠くない。


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早慶戦 - 2003年06月01日(日)

二日酔いで目が覚める。しばらく寝ていたいが、今日は楽しみにしていた六大野球早慶戦。コンビニでおにぎりを買い、いざ神宮へ。

六大野球の早慶戦は今年で100周年を迎える。
1903年(明治36年)、それは一枚の「挑戦状」から始まった。早稲田・橋戸信、押川清の二人は慶應・三田山上の万来舎を訪ね、宮原主将に試合申し込みの手紙を渡した。それから16日後の11月21日、三田網町の球場で「第一回早慶戦」がプレーボール。第二次世界大戦など、2度の中止期間を挟んだが、「伝統の一戦」は今年で節目の100周年を迎えた。

神宮球場の上空は曇り空。早稲田が連勝すれば文句なしの優勝。慶應が連勝すれば慶應の逆転優勝。慶應が2勝1敗だと早稲田、慶應、明治による優勝決定戦にもつれ込む。早稲田、慶應の両チームそれぞれに好きな選手は多いのだが今回の早慶戦に関しては慶應側の人間として観たいと思う。六大野球を盛り上げるためにも。

先発は早稲田が清水、慶應が清見。一回、早稲田は六番、好調の由田がタイムリーを放ち二点を先取。しかし、慶應も二回に追いつく。そして三回の慶應の攻撃。今日の清水はストレートが高めに浮き、危険な空気を感じていたが、三番・池辺がその高めの甘いストレートを見逃さなかった。ライトスタンドに飛び込むソロホームラン。3−2と逆転に成功した。昨年までの池辺は体勢を崩されてうち取られるケースが多かったが、今年の池辺は体勢を崩されながらも打球をヒットゾーンに持っていけるようになった。池辺の潜在能力はやはり高い。

しかしその裏、早稲田は七番・山田悠、八番・坂本のタイムリーで三点を追加。3−5。清見は三回で降板となった。やはり今の早稲田打線は誰も止められないのか。四回表、慶應は先頭の七番・安藤がヒットで出塁。八番・福田が送り、九番・杉吉がサードエラーで出塁。ランナー1、2塁。一番・松田は三振に倒れるが、続く二番・堤野。清水の外角ストレートを芯で捉え、センターオーバーの2点タイムリー。5−5の同点に追いつく。早慶戦第一戦は打撃戦となってきた。

四回裏、清見から継投した日暮が連続四球。鬼嶋監督はすばやく日暮から参鍋にスイッチ。この継投がズバリ的中する。ノーアウトランナー2,3塁。三番・鳥谷には四球を与えるが、四番・比嘉を三振、五番・武内をサードゴロ、六番・由田を三振と素晴らしいピッチングを披露。最大のピンチを切り抜けた。参鍋はサイドスローからバッターの手元で変化する球を得意とするピッチャー。早稲田打線はその変化にタイミングが合わず、参鍋の術中にハマった形となった。

五回裏、早稲田は七番・山田悠がヒットで出塁。八番・坂本が送りバント。1アウト二塁でピッチャーの清水に代わり、代打・米田。当たりは良かったがレフト正面。しかし、続く一番・田中。参鍋の低めの変化球をうまくバットに乗せ、センター前タイムリーヒット。再び逆転に成功した。

六回にも早稲田が由田のタイムリーで一点を追加。この回は早稲田のチームプレーの徹底ぶりが垣間見えた。四番・比嘉がノーアウトランナー1塁で送りバント。この日の比嘉は三回にタイムリーを打っており、今日は当たっているといえる。その比嘉に送りバントを指示するあたり、野村監督のチームプレー重視の姿勢が見えてくる。この回から登板した慶應の小林基は打たれはしたがそこそこのピッチングを披露した。僕の目には小林基はどうしても必要以上に力んでいるように見える。この力みが彼の潜在能力開花の邪魔をしているような気がする。もう少し余裕を持ち野球を楽しむつもりで投げてもらいたい。そうすれば必ず結果を残せるピッチャーになれると思う。

早稲田の二番手ピッチャー吉井はなかなかいい球を投げる。僕は吉井を見たのは今回が初めてだが、どっしりと踏み込むフォームから放たれる重い球はなかなか見応えがある。そして、コースギリギリに決まる鋭いスライダー。ストレートの球速こそ130キロ後半だが、バッターは球速以上のスピードを感じると思う。

七回表。慶應は先頭の三番・池辺が四球で出塁。不調の四番・早川が送りバント。五番・中村がうまく引っ張りレフト前ヒット。六番・結城がライトへ深々と上がる犠牲フライを放ち、一点を返す。6−7となり試合の行方はまだまだ分からない。

しかし、八回裏。粘る慶應に対し、早稲田の五番・武内がトドメを刺す一発を放つ。スリーランホームラン。試合を決定づける一発となった。九回表に慶應が一点を返すが反撃もここまで。7−10で早稲田が先勝した。

しかし、今日の慶應には勝利への執念が十分に感じられた。

早稲田は近年、奥島前総長の「スポーツ早稲田の復活」を掲げた取り組みで高校時代に実績を残したスポーツエリートをどんどんと入学させている。その結果、ラグビーは日本一、アメフトは関東制覇など、低迷していた部を復活させた。野球部も去年はリ−グ戦春秋連覇、大学選手権では準優勝と結果を残した。今年度も昨年のセンバツ優勝投手・報徳学園の大谷などの甲子園で名を上げた選手が入学してきている。

対する慶應はスポーツ推薦は行っていない。池辺や堤野は確かに甲子園で活躍したスターだが、智弁和歌山はもともと進学校。一般の推薦入試で入学してきている。現に池辺は一回目の推薦入試で不合格となっており、二度目の挑戦で合格している。あの怪物・江川卓も慶應に不合格となり、結果法政に入学したというのはあまりにも有名だ。そういった「スポーツだけ出来るのでは駄目」というプライドのもと慶應大学体育会は存在している。僕が慶應を応援するのは、こういったチーム事情であることも理由の一つだ。

明日以降、慶應が連勝することを願っている。




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