ぼそっ・・と独り言
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2025年05月20日(火) 二季

冬からいきなり夏
いつから日本は四季でなく二季になったのだろうか

ついこの前まで寒い寒いを連発し、某寒がりはディスク下の暖房パネルを実働していた

自分自身、日中多少暖かくても夜は毛布のうわ掛けで机についている有様
寒暖差厳しい
ダウンベストを着なくなって2週間
やっと夜も厚着しなくて良くなったと思った(ほんに2〜3日の間だが)昨今

今日はいきなり29度
夏日を超えて、真夏日になる
春はどこへ行った


2025年05月10日(土) エンチャント

エンチャントは異世界冒険者の漫画とか、ゲームの魔法付与のイメージがあり、スピ系のセミナーでは、水晶とか指定物に「○○のエネルギーを封入する」も習う

現実に物体にエンチャントするのは、昔から日常に存在する
一番身近なのはお守り、お札
それらは紛うことなき神様のエネルギーを封入した物質である
「仏造って魂入れず」はことわざだが、これは例えではなく、実際に「彫った仏に魂を入れる」のだ
神おろしの儀式など、縁がないから知る由もないが、その道の詳細な話は驚くほど複雑で、一般人は詳しいことを知らないに限る

さて・・
人から感謝される・喜ばれる・・もある意味、よい波動のエンチャント
逆もまた然り
何かを創造する際に、どういう気持ちでそれに取り組んだかで、それ自体が持つエネルギーが違ってくる
良い意味でも悪い意味でも、人の思いが強ければ強いほど、残留思念が残る

家を建てるにしても、器を作るにしても、絵を描いても、それには全て作り手の念がこもっている
作者の気持ちが作品にエンチャントされるわけだ
不平不満を感じながらできたものは、運気が良いとは言い難い
だから、ただ真似てつくる偽物にはオーラが無い 

料理を作ってもそう
以前 「気を食べる」で書いたが、気が入った食べ物と、気が入らない食べ物では全然満足感が違う
人は意図せずともエンチャントしているし、されている
不承不承する作業には、よい念が籠りにくい
良いものは、相手が笑顔で喜んでいる未来を見ながら作る作品で、売買相手がいるなら、良好な人間関係であるべきだ
嫌いな相手の物には、触りたくないし、作業する気も失せる
そういう中でできたものは、相手に喜ばれるようような仕上がりにならないことが多いかもしれない

気を付けないといけないことは、呪いとか不幸を意図しないこと。
これを一番に被るのは、自分自身であることを知らないから、その念を出してしまう

自分の持ち物に固執すると「呪いのネックレス」や「○○の人形」とか、不穏なものを作り出し自分のためにもならない
物に執着してはいけない。
あの世には持っていけない物に固執しないに限る


漫画「ハンターハンター」のゼパイルの壺の場面が面白いと思いだしたから付記しておく
ストーリー的には、転売目的にオークションで、(目利きではないから)「念が入ったものを視て」競っていたら、変な壺だけ買いそびれてしまった
実は、贋作師ゼパイルが「昔作った偽物を恥と思って買い戻ししていた」という裏話があり、
普通は偽物には念が入らないが、ゼパイルの贋作には「念」が入っていたという 
「だから凄いよ」的な話だったと思う
漫画では「念」を見ていたが、本物が持つオーラは間違いなくある
付与されたエンチャントが、念なのか オーラなのか 気なのかは知らない


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