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2022年07月30日(土)
今日、7月30日は昔、沖縄で大イベントがあった日であり、 沖縄では今も730(ナナサンマル)と言われている有名な日だ。 アメリカ軍に占領された沖縄の道路は戦後、右側通行だった。 1972年に日本へ返還された後もそのままだったが、 1978年7月30日、本土同様の左側通行に変更された。 このイベントは日付のゴロから「ナナ・サン・マル」と呼ばれていた。 交通方法の変更なんて、世界を見ても当時の沖縄県民以外、経験したことが無いだろう。 今後も交通方法が変更されるということなんて無いと思うし。
交通方法が右から左に変更となることによって何が変わるか? まず、分かりやすいところからいうと信号機と交通標識が反対になる。 当時のナナ・サン・マルの前には両方の車線に信号機と交通標識が取り付けられ、 左側通行用の信号機と交通標識にはカバーが掛けられていたという。 交通方法が変更になると、今度は右側通行用の信号機と交通標識に カバーがかけられ、その後は順次撤去されていった。
ちょっとマニアックな話だが、車のヘッドライトは対向車が眩しくないように 光軸が少し外側(歩道側)を向いているという。 右側通行用の車が左側を走ると光軸が対向車に向かうので、 7月30日以降、走行する車は調整が必要になった。 対象の車は整備工場でヘッドライトを左側通行用に調整し、 右側通行の間はヘッドライトの一部をテープを覆って、 対向車が眩しくないようにしていたとか。
そして、もっとも大変だったのはバスである。 交通方法が変更になるとバスも全て新しくなった。 なぜなら、バスの乗降口は歩道側の側面に付いているが、そのまま古いバスだと 乗降口が逆になってしまい、不都合が生じるから。 鉄道の走っていない沖縄県でバスは唯一の公共交通。 それがすべて一新されるって今、考えるとスゴイことだ。
1978年「ナナ・サン・マル」の前日29日は台風の影響が残っていたらしいが、 22時からは緊急車両を除く沖縄県内の車両の全てが通行禁止となった。 そこから信号機のカバーの付け替えや交通標識のカバーの付け替えなどが 夜を徹して行われ、30日の午前4時過ぎには切り替え作業が終了。 交通規制は一旦解除され、午前5時50分には再度、交通規制になり 全ての車両が停止し、主要な交差点では警察官の誘導により右車線から左車線へ 車両を移動させ、午前6時のサイレンの合図とともに左側通行がスタートした。
この日、7月30日の関心は右側通行から左側通行へ切り替え後、 最初の事故についてだったが、ドライバーは皆、おっかなびっくりで運転していたので 大きな事故は起こらなかったらしい。 しかし、景色は昨日と同じなのに、車が反対車線を走っている風景って、 なんだかとても奇妙なものに映っていたんだろうな。 自分は1975年、沖縄海洋博のあった年、人生初めて沖縄に行ったが、 その時はまだ右側通行で不思議な感覚だった記憶がある。
車の通行が逆になったことの影響は様々なところに出たらしい。 夕方、バスで帰宅する人が立ち寄っていたバス停前の本屋は、 交通方法変更後、バス停が逆になったために客足がばったり減り閉店したとか、 ファーストフードのA&Wの牧港本店は北に向かい国道の右側にあるが、 右側通行時は那覇から北部にドライブに向かう際、立ち寄りやすかったのに 逆の左側通行になったため、反対車線にあるので立ち寄るのに不便になったとか。 生活自体も変わってしまいそうな交通方法変更だが、 沖縄にとってはアメリカ軍の占領下から日本へ戻った証でもあったんだと思う。 こんな大規模イベント、今後はもうないだろうね。
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