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2019年11月29日(金)
今朝、元首相の中曽根康弘氏が101歳で亡くなった。 1982年に第71代首相に就任し、在任期間約5年の1806日間は 安倍晋三、佐藤栄作、吉田茂、小泉純一郎に次ぐ戦後第5位の長期政権を担い、 「戦後政治の総決算」を掲げて国鉄や(現JR)の分割・民営化や 日本電信電話公社(現NTT)、日本専売公社(現日本たばこ産業=JT)の 民営化など行財政改革を進めた。 また、戦後の首相初の靖国神社公式参拝や、防衛費の国民総生産(GNP)比 1%枠撤廃など国政上のタブーに挑み、対米関係でも当時のレーガン大統領を 自分の別荘に招いて「ロン・ヤス」の関係を築いた。 その後の日米友好関係の礎になった首相でもあり、他にも日本の現職首相として 初めて韓国を公式訪問し、当時の全斗煥大統領と会談もし、 とてもアグレッシブな首相だった。 1986年の衆参同日選で自民党史上最多獲得議席となる圧勝となり、 その功により総裁任期が1年延長された。 しかし、経済政策ではアメリカの貿易赤字解消のためプラザ合意による 円高ドル安政策を採り、これが結果的に日本をバブル経済に突入させたこともあって 批判の声も少なくない。 また、消費税の元になったと言われている大型間接税の売上税導入を目指したが 公約違反との批判を浴び断念したこともあった。
第一次中曽根内閣では外務大臣に安倍晋太郎、大蔵大臣に竹下登、 官房長官には後藤田正晴を起用。 第二次中曽根内閣は文部大臣に森喜朗を初入閣させた。 さらに第二次改造内閣では海部俊樹を文部大臣に、 自治大臣と国家公安委員会委員長に小沢一郎を初入閣させ、 第三次中曽根内閣で国務大臣に金丸信、大蔵大臣に宮澤喜一、 運輸大臣に橋本龍太郎を起用し、歴代の首相や自民党総裁のほとんどが 中曽根内閣を経験した人達だった。
実は中曽根氏は自分的にとても親近感のある首相だった。 我が母校の第12代総長でもあり、その後は名誉総長でもあった。 そして自分が大学時代の1985年に開催された「つくば科学万博」を訪れた時、 ちょうど当時の中曽根首相も訪れていて、その姿をはっきりと見た。 生れて初めて生の総理大臣を見て興奮した記憶がある。 まして自分の大学の元総長でもあるので親しみを感じてしまった。 余談ではあるが、大学時代、つくば科学万博には2度行ったが、 中曽根首相と会ったのは2度目に行った時。 初めてつくば科学万博に行った時は、なんと当時の昭和天皇が見にいらしていた。 会場内を菊の御紋の付いた御料車に乗って移動されていた。 その直前、会場の通路を封鎖され、全員その場で立ち止まるように指示され いったい何が起きるのかと思ったら、真っ黒な御料車に乗られた昭和天皇のお姿が。 こちらに向かって手を振られていたので感動した記憶がある。
つくば科学万博に行った1度目は天皇陛下、2度目は総理大臣に 偶然にも遭遇するなんて、まず考えられないことだ。 当時、大学生だったが「自分、マジすげーな」と真剣に思ったね。
話は少し逸れたが、昭和に総理大臣を務めた存命の政治家は中曽根氏が最後で 時代の証人がまた一人、この世を去った。 中曽根元総理のご冥福をお祈りします。
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