Web Masterの日記



再開発

2007年08月31日(金)

今日、銀行へ行く途中に何かの撮影を見かけた。
まぁ、銀座では珍しいことではない。
だがミーハーの虫が騒いで、立ち止まってカメラを向けられている女性を見る。
柳通りの柳の下でポーズをしている女性、一目見て誰だかすぐ分かった。
キャンキャンもモデルの押切もえだ。
背は思ったほど高くなかったが、スタイルは抜群。
そして驚くほど顔が小さかった。
周りにはOLやらサラリーマンやら多くの人が見ていたが、
スタッフらしき人が「写メでの撮影はご遠慮ください!」と
何度も大声で言っているため、携帯を取り出せる雰囲気はなく、
みんな遠目から見る以外できなかった。
押切もえがいるならエビちゃんこと蛯原友里もいるのでは?
何気に探してしまったが、押切もえはキャンキャンからアネキャンの
専属モデルになったのでキャンキャン専属のエビちゃんはそこにはいなかった。

今日は曇りとはいえ、まだ蒸し暑いのに秋冬用の撮影なのだろうか、
冬用のコートを着ての撮影だったが、さすがトップモデルだ、
一滴も汗をかかず涼しい顔でカメラの前に立ってポーズをつけていた。
その後、柳の下に停めてあったミニクーパーと撮影したりしていた。


明日、柳通りより一本銀座よりのマロニエ通りに
「マロニエゲート」がオープンする。
マロニエ通りの入り口に位置するビルなので
「マロニエゲート」と言うらしい。
うちの店はマロニエ通りと柳通りの間にあるが、近いのはマロニエ通りだ。
今、そのマロニエ通りは再開発ラッシュで大きなビルがどんどんできているが、
12階建て「マロニエゲート」は全面ガラス張りでかなり目立つビルであり、
なんといっても、その5階〜9階部分には、あの「東急ハンズ」が入っている。
銀座に東急ハンズとは何か不似合いな感じもするが便利になるのは間違いない。
完成直後は混んでいるので行く気にならないが、
落ち着いたら何か面白い物がないか探してみたいね。

マロニエ通りと中央通りの交差点である「銀座二丁目交差点」は
世界一高い交差点として有名。
ブランドの専門店が揃っているが、今年の暮れにはそこに
ブルガリタワーも完成する。
そうなると「銀座二丁目交差点」の四隅は「ルイ・ヴィトン」「シャネル」
「カルチェ」「ブルガリ」と世界でも類のないブランド交差点となる。
自分は毎日、そこを通って通勤しているものの、
今までどこのブランドビルにも足を踏み入れたことがないけどね。

マロニエ通りを有楽町方面に行くと「有楽町駅前再開発」にぶつかる。
確か巨大な丸井が核となっている複合商業施設の
「有楽町イトシア」も10月中にオープン予定だったような。
有楽町イトシアの地下1階には新宿南口で常に行列している
「クリスピー・クリーム・ドーナツ」の日本2号店が入る。
1930年代から受け継がれたレシピによるドーナツ
「オリジナル・グレーズド」をはじめ、
口の中で溶けるような軽い食感のドーナツが人気で
常に行列の絶えないショップとして有名だ。
平日でも1時間半待ちなので自分は未だ買ったことがない。
有楽町に店舗ができれば少しは分散されて買いやすくなるのかな。
まぁ、機会があれば一度は買ってみたいね。

有楽町も銀座も丸の内もそうだが、地価が下がり、景気も回復してきたので、
どんどん再開発されて便利になっていくが、
その一方で特に有楽町駅周辺の昔からあった飲食店が
撤退してしまったのは、なんだか寂しい気もする。
自分の通っていたホットドック屋も知らないうちに店を閉めていたし…。


ラジコン

2007年08月30日(木)

きっと男なら子供のとき、誰でも一度は抱く「ラジコンが欲しい」という想い。
特に今ほど多様かつ安価なラジコンが世に出回ってはいなかった
70〜80年代に子ども時代を過ごした自分のような世代にしてみれば、
「親に買ってもらえた」もしくは「親に買ってもらえなかった」など、
思い出のひとつやふたつはあるはずだ。

当時、まだF1はマニアしか知らない世界だったが、
1970年代、2年連続で富士スピードウェイに来た時、
ワクワクしながらテレビにかじりついて世界最高峰のレースを見ていた。
ジル・ビルヌーブのフェラーリがクラッシュして観客が巻き添えで死亡し、
それから日本にF1は来なくなってしまったが、
中学時代もずっと「AUTO SPORTS」などの雑誌を見て、
自分のF1好きは変わらなかった。
当時、ジャック・ラフィーが乗っていたリジェのラジコンが欲しくて、
なんとか親に買ってもらった記憶がある。
あの頃は今のように最初から組み立てられているタイプの
自動車のラジコンはなく、プラモデルのように組み立てるタイプばかりだった。
今は最初から組み立てられていて、コントローラーも片手で持つタイプが多く、
かっこいい本格的なラジコンを玩具売り場で目にすると、
大人になった今でも無性に欲しくなる時があったりして。

ラジコンが面白いのは、恐らく自分の意思のとおりに
自動車やヘリコプターが動くという、予め決められた動きしかしない
オモチャにはない自由度の高さだと思う。
自分が右に動かそうと思えば右に、バックさせようと思えばバック、
ただそれだけのことが、子供の頃には、やけにスゴイことに思えて、
自由自在に操縦している人を見ると目を輝かせたりした。

だが、ラジコンを動かす時に必ず付きまとっていたのは
「どこで動かすのか」ということだ。
車道は危ないのでNG、公園は人が多くてNG、デパートの屋上とかにあった
専用コースは、ちょっとプロっぽい人たちが多いのでNGと、
東京に生まれ育った自分には、ほとんど外で動かせる場所がなかったように思える。
仕方がないので家の中で親に鬱陶しいと怒られるのを覚悟で遊ぶしかなかった。
結果、ラジコンの本来の力や魅力を存分に楽しむというレベルまで、
その世界に浸ることができなかったな。

まぁ、自分もそれなりにラジコンに対する想い出があるわけだが、
当時は全く知る由もなかった法律の存在を今、初めて知ることになった。
実は、電波の混線などを防ぐために、ラジコンを遊ぶ場合には
「建物から500メートル以上離れなければならない」と、
1957年に制定された法律で規制されていたのだ。
500メートルと言えばかなりの距離だ。都市部だったら、公園でも私道でも、
絶対に遊ぶのは無理な話じゃないか…。
ちなみに屋内で遊ぶことは問題はないようというので、
自分が子供の頃、家の中で動かしていたのは法律違反ではなかったというわけだ。

電波法の施行規則(昭和25年電波監理委員会規則第14条)第6条第2号に
次のように書かれている。

○電波法施行規則(昭和25年電波監理委員会規則第14条)第6条第2号の
規定により、免許を要しない無線局の用途並びに
電波の型式及び周波数を次のとおり定める。
・模型飛行機、模型ボートその他これらに類するものの無線操縦用発振器
(以下「ラジコン用発振器」という)又は有線式マイクロホンのかわりに
使用される無線電話用送信装置(以下「ラジオマイク」という)であって、
壁で囲まれた建築物の内部において又は
建築物から500メートル以上離れた場所において使用するもの

つまり、無線の免許を持っていないなら、ラジコンは建物から
500メートル以上離れてやりなさい!という法律だ。
果たしてラジコンを持っている人の何割がこの法律を知っていて、
どれくらいの人が守っているのだろうか?

しかし、無線技術も飛躍的に進歩し、電波の混線なども
起き難い技術が出てきているため、総務省は50年の時を経て、
時代に即した内容に改正するよう動き出した。
これまであまり知られていなかった法律とはいえ、
知らず知らずのうちに法律を犯していたとなれば、
ラジコン愛好家や子供たちも良い気分ではない。
なので、こうしてようやく重い腰を上げたことは素直に喜びたいところだ。

法律の改正は来年2月頃までに方針を固めるようなので、
まだ少し時間がかかりそうだが、着実に動き出してはいるという。
自宅の庭や私道、公園などで大手を振って遊べるようになるなら
自分も何十年ぶりで、ひとつ本格的なラジコンを買ってみても良いかも。
そんな気分になる身近な法律改正のニュースだ。
一日も早く、ちゃんと改正されますように。


マンゴー

2007年08月29日(水)

今年に入って、やたらとマンゴーがブームのようだ。
お菓子もアイスもマンゴー果汁や果肉入りの商品が店頭に並んでいる。
調べてみると今年は昨年記録した輸入量、輸入額の過去最高のペースを
余裕で抜いてしまう勢いだという。
また高級品とされている国産マンゴーの消費率も過去最高となった。
まさにマンゴー天国ニッポンだ。

そもそもなんでこんなにマンゴーが流行ったのか?
特に宮崎産マンゴーは万単位の値段で庶民には手の出ない高級品だ。
しかし、今年のマンゴーブームは今の日本人の高級嗜好の表れではないかな。
景気もようやく上向きかけ、ゆとりが出てきた証拠なのかもしれない。
景気が良い時は、得てして変わった物や話題性のある物を求める傾向にある。
約20年前のバブル期、エスニックブームやアジアンデザートが流行った。
タピオカやマンゴープリンは、バブル期以前には
日本にはなかったデザートである。
そして、それらの物は日本に定着した。
このバブル時代のブームの流れの中で、パパイヤやマンゴーも日本にやってきた。
中原めい子の「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね」
という曲も流行ったくらいだ。

輸入物の変わったフルーツとして日本に定着したマンゴーは
九州や沖縄の気候ともマッチして日本産も作られるようになった。
そして再び景気が良くなってきた今、消費者に注目されだしたのだろう。
しかし、一緒に入ってきたパパイヤはマンゴーほど定着していない。
マンゴーがこれほどまで日本に定着したのは
今や日本の文化には欠かせないファミレスの存在が大きいのではないだろうか。
バブル期の1980年代半ばからデニーズでは毎年、苺フェアの次は
マンゴーフェアが開催されている。
日本全国にあるデニーズでマンゴーのデザートが必ず毎年提供され、
多くの人がそれを目にしたり、注文したりしていた。
そして4年前、ついに一番人気だった苺の売り上げをマンゴーが超えたという。
今ではデニーズに追随して各ファミレスも4月くらいから
マンゴーをメニューに取り入れ、売り上げを伸ばそうとしている。
またコンビニでも当然のようにマンゴー商品を置きだした。
最初にファミレスがメニューに導入したことが
ここまでマンゴーの認知度を高めた一番の要因だろう。

定価の安い輸入物と相まって、高級品である国産物もブームになっているのは、
日本一のマンゴー生産地である宮崎県の東国原知事がを先頭となって
アピールしているからだろう。まさに宮崎産マンゴーの火付け役である。
それにしても東国原知事になって宮崎県の経済効果は
計り知れないほど上がっているようだ。

マンゴーは加工されても味が損なわれにくいため、
バリエーションが多くつけやすい。そのため商品開発がしやすいフルーツである。
甘さの中にある程よい酸味がクセになる。
今後もしばらくはマンゴーブームは続きそうだ。

先日、沖縄に行った時に実家やお世話になっている親戚の家に
沖縄産マンゴーをチルド宅急便で送ったが、かなり好評だったようだ。
沖縄でも道の駅など様々な所でマンゴーは売っているが、
自分が買ったのは名護にあるJA(農協)の農産物直売センター。
直売なので価格が他の所よりも断然安くて良い品ばかりだった。
東京に戻ってきて銀座にある沖縄物産の店「わしたショップ」にも
沖縄マンゴーは売っていたが、名護のJAの倍以上の値段でビックリした。
東京では沖縄マンゴーも高価な品なんだな。
そりゃあ、実家や親戚から喜ばれるわけだ。


安倍改造内閣

2007年08月28日(火)

昨日、「安倍改造内閣」の顔ぶれが発表になった。
「第2次内閣」ではなく「改造内閣」というところに、
未だに安倍首相の立場の悪さを感じてしまった。
首相本人は「強力な布陣」と強調しているようだが、
肝心なブレーン(脳)が変わらないことには、
強力も何もあったもんじゃないと思うのだが…。

しかし、参院選で敗北した際に安倍首相をさんざん批判していた
舛添要一氏を起用したのは驚いた。
だが、この起用には何だか腹黒さを感じてしまう。
よりによって厚生労働相のポストに就かせるのが何ともはや。
もし何も出来なかったら辞めさせて恥をかかせようなんて魂胆では?
ちょっと変な目で見過ぎかなヾ(^-^;)

法務大臣に鳩山邦夫氏か…。
どうも今ひとつ信用ならない人物なんだよね。
まぁ、いるだけで周りを暗くしてしまう兄貴よりはマシかもしれないけど。
そして財務大臣が額賀福志朗氏。こいつもかなり胡散臭い人物だ。
引責辞任を2回もやってるのに、また大臣かよ?
しかも今度は財務大臣って…大丈夫なのか?
あと防衛大臣が高村正彦氏なんだが、小泉内閣で防衛庁長官を務めていた
根っからの軍事オタクの石破が良かったな。
だいたい高村は郵政民営化法案の採決の時に、
卑怯な事していたから信用ならんしね。

さて、全体的に見ると、どこを改造したのか判らない内閣。
新鮮味もなければ斬新さもない。また適材適所と思えない布陣で、
これで変われるのかと思うと甚だ疑問である。
与党の議員達も「昔に戻った」とか「旧態依然」とか
安倍改造内閣に異論を唱える人が多数いるようだ。
まぁ、でもこの人達は批判することが仕事みたいなもんだからなぁ。

内閣より少し早く発表された自民党の三役の新しい顔ぶれだが、
幹事長は、やはり麻生太郎氏が就任したか。
これでポスト安倍最右翼となり、次期自民党総裁にリーチが掛かったんだろうな。
だけど総理大臣の器かどうかは微妙だ。
しかしマンガ好きでアキバ系の麻生氏は若者の心をつかんでいるので、
次の衆院選で投票率アップを目論んだ登用ではないだろうか。
選挙戦の陣頭指揮を執る幹事長就任、これがうまくいけば
衆院選では自民単独過半数獲得の可能性もあるかも。
政調会長に石原伸晃氏、総務会長には二階俊博氏が就任。
まぁ、ここらは無難なとこかな。
だけど中国寄りの二階氏はイマイチ好きじゃないけどね。

参院選では民主党が勝ったのだからサプライズで民主党の議員を
何人か内閣に入れたりしたら国会も少しは面白くなったと思うんだけどな。
まぁ、連立しなければ絶対に無理な話だけど。
いずれにしても背水の陣で臨む安倍改造内閣。
もう、以前のようなゴタゴタは許されないだけに
厳しい状況であることには変わらないね。
お手並み拝見させていただこう。

それはそうと突然、僅かの期間で防衛大臣を辞任した小池百合子氏は
やっぱりしたたかな女だった。
沈没する船には乗りたくないのがミエミエ。
もともと新進党や自由党、小泉政権など力のあるところを渡り歩いていただけに
危機回避能力は誰よりも高いし、力のある人に取り入るのも上手だ。
こうゆうタイプの政治家のほうが順調に出世していくんだろうな。


あいのり

2007年08月27日(月)

「あいのり」で番組の最初に出演者の名前と愛称(役名)が流れていたが、
いつの間にか出演者の名前が消えたらしい。
本名を明かすことで実はタレントだったなど、いろいろなことがバレていたが、
それを少しでも抑える狙いなのかな?

「あいのり」出演者のほとんどは劇団に所属するタレントの卵や
イベントコンパニオンやレースクィーン、
三流モデルなどだということは周知の事実。
そして綿密に演出された台本があるということもバレバレである。
全てが製作者側の演出なのに視聴率が高いのは本当に不思議な番組だ。

この番組の上手いところは決して「ドキュメント」とは言っていないとこ。
それどころかタイトル「あいのり」の前に
「恋愛観察バラエティ」と付けているのが上手い。

そもそも「ドキュメント」ならヤラセは一切ない内容でなければならないが、
「バラエティ」なら台本に基づき、ヤラセやお約束も当然なのである。
なので出演者が演技をしていようが、ヤラセをしていようが
非難を受ける必要はない。
別にタレントがバラエティー番組に出て演技をして何が悪いのか、ということ。
以前、「ワンナイ」でガレッジセールのゴリが
ゴリエになって「ペコリ」と言っていたのと同じ図式だ。
重要なのはドキュメンタリーかバラエティーかどうかということだけ。
もっと極端に言えば「ドキュメンタリー」が
制作側が用意した演出をやったらヤラセとして世間から非難されるが、
すべてが演出として用意されたものであるバラエティーには
元々ヤラセというものは存在しないことになる。
なので出演者がタレントで告白もすべて台本通りだからといって
「あいのり」はヤラセだ!と非難を受けることはないのかもしれない。

そう、最初から「バラエティ」と言っている時点で「あいのり」に関しては
全てが台本通りの演出と考えて何も考えずに観ればいいだけ。
まぁ、過去の出演者の何人かは台本通りに演技していたとか、
ラブワゴンの座る位置までディレクターに指示されていたとか、
旅の途中に何度も帰国して打ち合わせをしたとか、
好きでもない人とカップルになるように指示されたとか、
台本通り日記を書いておけと指示されたとか、
様々なことを暴露していたので今さらという気もするけどね。
多くの視聴者も出演者がコロコロ変わるバラエティドラマとして
開き直って観ている人も多いのだろう。
この番組をステップに何とかメジャーになりたいという
出演者の鬼気迫るハングリーな演技が
高視聴率の要因になっているのかもしれない。

しかしながら、売名を狙ってきた三流タレントでもある参加者には、
今回の名前が消えたことは、たまったものではないことも事実だろうけど。
ちなみに自分は安っぽい台本のドラマと思っているので
「あいのり」はまったく観る気がしないけどね。


仮面ライダー電王

2007年08月26日(日)

自分は仮面ライダーのリアルタイム世代である。
技の1号、力の2号、そしてV3に異色のライダーマン、Xにアマゾンと
すべて再放送ではなくリアルタイムで観てきた。
さすがにストロンガーの頃には観なくなっていたが、
それなりの知識はいまだに持っていると自負している。
今、思い起こすと仮面ライダーって1971年〜1973年までやっていたんだね。
自分が8歳〜10歳の頃なのでモロにリアルタイムだったな。
1973年からV3で、ストロンガーが終わったのが1975年の末、
その頃には自分も中学生になるので観なくなったような気がする。

その後、数年のブランクを経て1979年にスカイライダーの放映が始まった。
その後もスーパー1だのZXだの、自分の知らない世界となり、
1987年にはBLACK、1988年にはBLACK RXが放映されているが
ほとんど観たことがない。
時代が平成に入ってからはクウガ、アギト、龍騎、555、剣(ブレイド)、響鬼、
カブトなどの仮面ライダーシリーズは毎年日曜の朝に放映されていたが、
これも、ほとんど観たことがなかった。
仮面ライダーシリーズの前に放映されている戦隊シリーズは
野球に行く前に何気に観ていたというか、テレビから流れていた。
特に好きだったのはデカレンジャーかな。
戦隊シリーズの次に仮面ライダーシリーズが放映されるが、
戦隊シリーズが終わってからグランドに向け家を出ることが多かったので、
平成仮面ライダーシリーズの知識は、ほとんどないに等しい。
まぁ、いつの間にか仮面ライダーシリーズはイケメン俳優が演じ、
子供相手というよりも、そのお母さん相手の番組になっていたようだし、
なんか好きになれなかった。

しかし、自宅近くの夢の島で試合があった日曜だったと思ったが、
家から数分で行ける場所なので、今の戦隊シリーズ「ゲキレンジャー」を観た後、
そのまま「仮面ライダー電王」を観る時間があった。
観た感想はただ一言、面白い!
それから、すっかり仮面ライダー電王にはまってしまい、
毎週録画予約して観ている。
今までの平成仮面ライダーシリーズとは違い、
大人も子供も単純に楽しめるストーリーなのが良い。
しかし、途中から観たため、謎の部分も多かった。
偶然にも4歳の男の子の母である実妹が一話からDVDに録画してあると言うので
恥ずかしながら最初から借りて、ようやく全部観ることができ、
謎の全ても解明できた。
これからも週に一度の楽しみな番組である。
だけど、最近はチョットお笑いに走っている内容になってきた気もするな。

現在公開中の映画「劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!」も
ものすごく気になっている。
今までにないテレビ版とリンクした映画なので、
観たいと思いつつも、一緒に観に行ってくれる人がいない…。
夏合宿のときに実は則ぞーも1話からDVDに録画していることを知った。
チャーミンも少し興味があるようだ。
テッチャンとこの拓と一緒に子供1人に対して大人4人で
電王の映画を観に行ったら少し変かな(・ω・;)
まぁ、DVD化したら借りるしかないな。

余談だが、電王のヒロイン・ハナ役の白鳥百合子は、かなり良いね。
彼女のブログは、まだ素人時代から続いているもので、
女優を目指しながら上京し、芽が出ない時期から、
大きなオーディションに優勝して大手の芸能プロに所属、
グラビアから少しずつステップアップ、そしてついに仮面ライダーの
ヒロイン役を掴む。というシンデレラストーリーが
このプログを最初から読むとよく分かる。
そして、ブログでは彼女の人柄にとても癒される。
ものすごく生真面目で心優しい人柄が文面から伝わってくる。
ハナとは全く違う、このギャップにやられてしまったかも。
この宝物ようなブログは今後、どんなに出世しても続けてもらいたいと思った。
しかし、現在は体調を壊して電王を含むすべての仕事を休んでいるようだ。
テレビを観ても彼女が演じるハナの出番が少なくなってきているように思える。
早く元気になって再び我々の前に元気なハナを演じてもらいたいものだ。


食品の値上げ

2007年08月25日(土)

食品の値上げのニュースをよく目にする。
まぁ、食品だけでなくガソリンやトイレットペーパーなどの日用品も
軒並み値上げしているけど。
とりあえず今日は食品だけに限って書いてみる。
というのも、うちの店で使っている焼きそばの生麺や鰹節の業者から
価格改定のお願いが郵送されてきた。
両社とも9月から値上げされるという。

食品の値上げの原因を考えると様々な要因が考えられる。
まずはバイオエタノール燃料の普及だ。
原料となるトウモロコシの急騰→家畜の餌が高騰→肉や乳製品が値上げ。
バイオエタノールを作り出すだけで、このような構図ができてしまう。
また、トウモロコシが儲かるからと、大豆やオレンジを作っていた農家が
トウモロコシ畑に転作してしまうことで
大豆やオレンジも高騰してしまうケースもあるという。
ふたつめにBRICsの影響も大きい。
典型例は日本人の大好きなマグロである。
中国の中産階級が増加→健康食への注目で寿司や刺身が人気に。
また狂牛病や鶏インフルエンザによって肉類が避けられ、魚類の人気が上がり、
その影響で日本に入ってくる量が極端に減った。
そして原油エネルギーの高騰の影響も。
海上輸送費がアップすれば当然、コストアップで製品の価格に上乗せされる。
最後は密輸や乱獲問題。カニやウナギはこれに当たる。

しかし、実は食品の値上げ問題は最近に始まった話ではない。
もう何年も前から「また値上げ」というニュースは流れていた。
それもそのはず。そもそも世界の食糧は、かなり逼迫している状況なのだ。
国連食糧農業機関(FAO)は、穀物在庫率の最低安全水準を
17%〜18%としているが、世界の穀物需給は消費量が生産量を上回り、
最低レベルの16.4%になってしまった。
これは世界的な食糧危機と言われた1970年代の水準である。

日本では少子化で年々、人口が減少しているが、世界の人口は今、急増している。
現在、地球人口は約62億人。
これは1970年代の倍の数字でもある。
そして2050年には今の1.5倍の89億人に膨れ上がることが予測されている。
ところが、地球上の穀物の作付け面積は、ここ30年間ほとんど変わっていない。
要するに人口は増えても取れる穀物は増えていないのだ。
これを計算すると2030年には、中国だけで6億人から10億人分の
穀物が足りなくなるという予測も出ている。
しかし、これは何もないままでの計算であるが、
ここに環境問題が追い打ちをかける。
砂漠化により作付け面積の縮小、温度上昇、豪雨、干ばつ、大気汚染等々。
これらの影響を受ければ計算よりも早く食糧は足りなくなっていくのだ。
よって値上がりは当然、必至なのである。

世界的に見ても豊かな国である日本に住んでいると実感できないが、
世界規模の食糧在庫不足は着々と進行し、それを解消する策は
今のところ何もないのが現状である。
日本は豊かな国のために多少、値上げしても大丈夫と油断してはいけない。
なぜなら日本の食糧自給率は世界最低レベルなのだ。
四方を海に囲まれているから魚貝類の自給率が高いと思われがちだが、
実は魚貝類の自給率は野菜類よりも低いのだ。
マグロは30%、カニは27%、ウナギは20%、エビなんて僅か5%しかない。
タイ、ヒラメ、アジなども50%を割っている。
100%を超えているのはサンマとホタテしかないのが現状だ。
要は肉、魚はもちろん、ほとんど他国からの輸入に頼っているのが現状である。
今は高くても世界各国から様々なものが入ってくるが、
食料不足のために、その世界各国からの輸入がストップした場合を考えると…。

これからの日本、いや地球で暮らすことは厳しい時代なのは確実だ。
未来を背負っていく子供たちにとって
厳しい現実しか待っていないのかもしれない。


夏の甲子園総括

2007年08月24日(金)

仕事が終わって帰宅する時にパラパラと降った雨。
嫌な予感がして傘を持って帰ってきて良かった。
東陽町に着いて外に出たら、まるでバケツをひっくり返したような豪雨。
家に着いてからしばらく降り続き、バルコニーから外が見えなくなるほど降った。
日曜の三郷は大丈夫か?おもわず心配してしまうほどの雨だったが、
どうやら東京23区の東部しか降っていなかったようだ。
23区東部には大雨洪水警報まで発令されたほど。
深夜0時半頃にはすっかり雨はあがり、星も見えた。
いったい、あの雨は何だったんだ?

さて、佐賀北の初優勝で幕を閉じた夏の甲子園大会だが、
自分なりに今大会を総括してみたいと思う。

大阪桐蔭の中田翔選手が予選で姿を消し「主役なき大会」などと
大会前に言われていたが、中田選手がいなくても、
やはり甲子園のヒーローは誕生した。
その一番手は、やはり仙台育英の佐藤由規投手だろう。
初戦で強打の智弁和歌山相手に17奪三振の快投劇を演じ、
敗れはしたものの2回戦の智弁学園戦では甲子園最速の155キロをマーク。
中盤の乱調が命取りになってしまったが、
できれば1試合でも多く見たかった投手だ。
だけど2回戦敗退なのにアメリカ遠征のメンバーにも選ばれたね。

前回大会では60本を記録したホームラン数も今大会は24本と激減。
低反発の飛ばないボールを使った効果もあったかもしれないが、
その分、大味な試合が目立った昨年の大会よりは今大会の方が
引き締まった好ゲームが多かった印象がある。
実際に優勝した佐賀北を筆頭に、守備が安定していたチームが多かった。
打撃を鍛えることも大事だが、やはり強いチームを作る為には
守備力を鍛えることの方が大事であるということを教えてくれた大会でもあった。

優勝した佐賀北は超高校級の選手こそいないが、安定した投手陣に
堅い守備と基本がしっかりしていたチーム。
大会最多の73イニングを戦い抜けたのも、基礎体力面においても
しっかりした土台が出来ていたからだと思う。
準優勝に終わった広陵だが、こちらも鍛え抜かれた好チームだった。
だけど8回の守りでは中井監督も納得いっていないようだね。
確かにあの1点目を献上した押し出し四球…あれはストライクだと思うけど…。
打者も手が出なくて見逃した球だったと思うのだが…。

だが、公の場で審判批判するのはどうかなぁ。
まぁ、気持ちはわかるけどね。
どこかのJリーグの監督のように
「我々を勝たせたくない何かが働いていたと思う」くらいな発言に
留めておいた方が良かったんじゃないだろうか。
決勝戦の主審を努めた球審は広島県内では今頃
「高校球界のボブ・デービットソン」のニックネームを付けられているかも。

来年は90回の記念大会ということで、参加校の多い地区からは
2代表制になるなど出場校が増える予定だが、
きっと来年の夏も、お隣の空気の汚い所でやる五輪よりも
甲子園の方に興味がいっているかもしれないな。

今大会は沖縄旅行中のレンタカー内で一日中、
数多くの試合をラジオで聞いたこともあって、
東京に戻ってきてからも、気になってかなりチェックしていたが
久しぶりに大会を通じて楽しませてくれた。

だけど…やっぱり大阪桐蔭の中田選手は見たかったなぁ。
来年のプロ野球の試合までガマンかな。


24時間テレビ

2007年08月23日(木)

先週の土日に放映された日本テレビの24時間テレビ。
沖縄から帰ってきた翌日だったが、オープニングと深夜帯、
そしてエンディングは今年も観てしまった。
だけど正直、まったく面白くなかったなヾ(^-^;)
その中でも日本中が「なんでそうなるの?」と声をあげた
欽ちゃんの24時間70キロマラソン。
年齢66歳、マラソンというよりはウォーキングだったのが影響してか
放送時間内にゴールできなかったが、無事に武道館に到着はした。
最後のあたりなんて痛々しいこと。
以前に丸山弁護士が還暦で24時間マラソンに挑戦していたが、
あの人はずっと運動していたはず。
確かに、それ以上の感動を呼ぶには、それ以上の年齢の人を走らせなければ
視聴率が取れないのだろうが、スタッフに引きづられて歩いている欽ちゃんは
どう見ても「老人虐待」にしか見えなかった。
もし昼間に熱中症で倒れ、仮装大賞ならぬ「火葬大賞」になったりしたら
誰が責任を取ったのだろうか?
頑張ることも大事だけど、いざという時にはリタイアする勇気も必要だと思う。

ということで欽ちゃんマラソンも成功してしまったので、
これ以上の感動を呼ぶには欽ちゃん以上の年齢のタレントを
走らせなければならなくなった?
いよいよ来年の24時間マラソンは森光子もしくは森繁久弥の出番だろうか…。


風呂上りの深夜にテレビをつけたら、一山いくらの
二流、三流のお笑い芸人だらけ。
「復活熱湯コマーシャル」のコーナーで
「そんなの関係ねぇ!オッパッピー」でブレイク中の海パン芸人
小島よしおが大失態をしてしまった。
リアルタイムで観ていたが、これはまずい、ヤバイのでは?と思ったが、
すぐにネットやYouTubeとかで動画もアップされて盛り上がっていたみたい。
やっぱりみんなめざとくて、こういうのはすぐに話題になっちゃうんだな。

ダチョウ倶楽部の上島が「オッパッピー」だの「そんなの関係ねぇ!」と
小島よしおのギャグを軽くパクってやってしまった流れで、
ひな壇にいた小島よしおが「え?俺?俺の出番?」みたいな感じで
さぐりさぐり前に出てきたのが発端。
そして小島よしおは熱湯風呂の浴槽に自ら突入してオリジナルの
「そんなの関係ねぇ!」をバシャバシャお湯をはねあげながら
独演してみるも次第に問題が浮上してくる。

小島よしおは他の芸人のようにアチチと熱がるような気配を
微塵も見せることなく、ノープランで平然とお湯をバシャバシャバシャバシャ。
それまでみんなが熱がっていた「熱湯風呂」に入っているのにだ。
そこで事態を重く見たダチョウのリーダー肥後は
機転の利いたとっさの判断で、そんな小島よしおに、やはり別に用意されていた
差し湯の熱湯をタライごとザバッとかけた。
しかし、またしても小島よしおは全然ノーリアクション。
ひな壇に座っていた他の芸人たちが「熱湯!それ熱湯!」と
大声で促していたが、小島よしおはテンパってるためか、聞く耳を持たない。
我れにかえってか慌てて熱湯風呂から出るも呆然。
即、画面はタッキーにスイッチされ、小島よしおはその後、
画面に登場することはなかった。

いきなり売れてしまった若手芸人の不運というべきか、
暗黙のルールの上に残念ながら乗っかることができなかったようだ。
視聴者だって熱湯でないことくらいは分かって観ているが、
それまで熱湯のように演技していた先輩芸人たちの努力を
一瞬でぶち壊してしまった罪は大きいのではないだろうか。
そこは番組に出るからには最低限守らなければいけない不文律がある場面だ。
はやり言葉でいえば「空気を読む・読まない」の話にもなってくる。
小島よしおは「熱湯コマーシャル」が分かっていなかった。
ダチョウ肥後も、そりゃ首を傾げるよ。寺門の顔はマジで怒っていた。
ダチョウ倶楽部は長年、この熱湯コマーシャルで地位を築いてきたからね。
本当に下手こいてしまい、そんなの関係ねぇ!では済まされない行為だ。

今回の24時間テレビのテーマは「人生が変わる瞬間」だったが、
もしかすると小島よしおの「人生が変わる瞬間」になってしまったかもしれない。
小島よしおは日本テレビの「グルナイ」や「エンタの神様」に
よく使われていたが、今後、日本テレビは小島よしおを使うのか、
ちょっと注目しておきたい。

ちなみに、そんな騒然とした展開の後、最初から予定があったのか無かったのか
知らないが、番組メインでもあるタッキー&翼の2人は
「ためしに」と熱湯風呂に近寄るや否や、やがて2人とも熱湯風呂に
半ば自発的に落下して「熱い熱い!!」と、きちんとしたリアクションを取った。
スタジオ内は悲鳴と感心と称揚に包まれ、小島よしおのチョンボを消し去った。

タキ翼は髪も衣装もびしょ濡れだが、ジャニーズのタレントなのに
自ら入った2人に男を見た。
今回の熱湯コマーシャルは結局、タキ翼というジャニーズのスター達の
説得力をもってして、なんとか力業で正当性を保った気がする。
だけど、これ来年やるのも見るのもしんどいだろうな。


佐賀北劇的優勝

2007年08月22日(水)

ハンカチ王子こと斉藤祐樹投手擁する早稲田実業と、
マー君こと田中将大投手擁する駒大苫小牧との足掛け2日にわたる死闘から
早いもので1年が経った。
今大会は注目の中田翔選手のいる大阪桐蔭が予選の決勝で敗退し興味が薄かったが
沖縄旅行中のレンタカーはCDは付いているものの、
もちろん音楽CDなど持って行っていなかったので、常に高校野球中継を聞いていた。
これほどまでラジオで高校野球中継を聞いたのは久しぶりだ。
ちょっとした営業マンになった気分だった。
そんな夏の甲子園決勝は劇的なドラマが待っていた。

今大会の決勝は開会式直後の第一試合で福井商を破り、
宇治山田商を引き分け再試合の末に撃破、優勝候補筆頭の帝京を延長で破って
ここまで勝ち上がってきた佐賀北と、
準決勝で常葉菊川の春夏連覇の夢を打ち砕いた広陵が対戦。
どちらが勝っても初優勝となる決勝戦。
試合は序盤から広陵ペースだった。
しかし、ドラマは8回裏に…。
一死から連打と四球で満塁として、際どい押し出し四球で1点を返し、
続く打者は今大会2本のホームランを打っている3番の副島選手。
その副島選手が甘く入ったスライダーを完璧に打って、
打球は超満員のレフトスタンドへ飛び込む逆転満塁ホームラン!
そのまま5対4で第89回全国高校野球選手権大会は佐賀北の初優勝で幕を閉じた。

参加4081校の頂点に立った佐賀県代表の佐賀北高校は、2度目の出場で初優勝。
佐賀県勢としては平成6年の佐賀商以来となる優勝である。
ちなみに決勝での満塁ホームランも佐賀商と佐賀北の
佐賀県の2校のみというのは面白い記録である。
一方、40年ぶり3度目の決勝進出で初優勝を狙った広陵だったが、
またも涙を飲むこととなり夏の甲子園初優勝ならず。

佐賀北は問題となった野球の特待生制度もなく普通の公立高校。
そして、そんな普通の公立校が甲子園で優勝するのも高校野球の醍醐味である。
2回目の出場とは言いながらも無名に近い公立校が東の横綱・帝京を破り、
決勝では名門の広陵を破り堂々の優勝か。
公立校の日本一は1996年の松山商(愛媛)以来だ。

選手名鑑を見ると佐賀北の選手は全員が地元中学の
軟式野球部出身というのに驚いた。
また、ベンチ入り選手のうち7人が身長160センチ台と、
本当にどこにでもある普通の高校であった。
なのでクラブ活動の毎日の練習時間は3時間足らずだし、
「スポーツ科」もない学業優先の進学校。
専用グランドや室内練習場も勿論ないので、基礎練習に時間を割くという。
選手の中には「自分たちは陸上部かと思った」と言っている人さえも。
だが、その走り込みが2度の延長戦や再試合でも疲れることなく、
今日の栄冠を生んだのだろう。
この佐賀北高校の今大会での戦いぶりは、全国の高校球児に夢を与えたことだろう。
野球エリートでなくても、設備が充実していない学校でも、
頂点を掴むことができることを教えてくれた。
応援団もバスで日帰り応援の連続だったというが、
今日のバスの旅は嬉しさ満載だっただろうね。

今大会は仙台育英の佐藤投手が155キロを投げて驚かせてもらったり、
延長や逆転なども多く、決勝も奇跡の大逆転で全体的に面白い大会だった。
それにしても開幕第一試合の佐賀北の勝利から始まった夏の甲子園大会、
最後も佐賀北が優勝と、まさに「佐賀北に始まり佐賀北に終わった」大会だったかも。
大会前の注目度は低かったにも関わらず、延長15回の死闘に再試合を勝利、
帝京には延長13回のサヨナラ勝利と一戦ごとに強くなって、
最後は優勝の栄冠を掴んでしまったのだから見事と言うしかない。

それにしても長い甲子園の歴史の中で、開幕試合を行ったチームが
優勝した例はあるのだろうか?
甲子園でオープニングゲームとラストゲームを
プレーしたことになるのだからスゴイね。

8月に入ってから連日猛暑、まだまだ暑い日が続くが、
毎年のように甲子園が終わると夏の終わりを感じてしまう。
まぁ、大阪の今年の夏はまだまだ世界陸上で盛り上がるのだろうけどね。


猛暑

2007年08月21日(火)

8月1日に梅雨が明けてから本当に暑い毎日が続く。
今年は冷夏とか言っていたのは、どこのどいつだい?(にしおかすみこ風)
しかし、こう暑いとある意味、沖縄のほうが東京よりも過ごしやすかったかも。
自分が沖縄に行っていた頃、15日に群馬の館林市で40℃を記録。
翌16日にも各地で猛暑日を記録し、埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市では
なんと40.9℃まで気温が上がった。
1933年7月25日に山形市で記録した40.8℃度を上回り、
日本の観測史上最高気温が74年ぶりに更新されてしまったのだ。
沖縄で夜のニュースを観ながら驚いた。
ちなみに沖縄は連日31℃くらいだったが台風接近のためか
風が強く吹いていたので、それほど暑さを感じなかった。
しかし東京に戻ってきてから、ここ数日の暑さは常軌を逸しているね。

埼玉県の熊谷というと暑いことで有名だ。
夏の天気予報でも予想最高気温の高さは甲府と双璧である。
関東平野は盆地なので熱がこもりやすい。
その中でも熊谷や甲府は気温が上がりやすい土地である。
東京でいうと練馬と八王子だろう。
東京の中でも低い位置にあるので最高気温が出やすい。
実際、練馬に住んでいる時はテレビや新聞で東京の予想最高気温を見ても
それに+2℃くらいは覚悟しなければならなかった。

今は銀座も暑い。
汐留に高いビルが並んでいるので海風が通らなくなり、
熱がこもって気温が下がらない。
汐留が開発される前は、そんなことはなかったので
明らかに高層ビル群の影響である。

それに比べ自宅のある江東区は意外と涼しい。
やはり近くに海があるからだと思うが、南と北の部屋の窓を開けておくと
風が通ってクーラーをつけなくても済む時が多い。
寝る時も扇風機だけで十分という日が何日もあるので、かなりエコかも。

この暑さで熱中症による死者が多数出ている。
暑さで死んでしまうとは本当に「灼熱地獄」だ。
外ではなく、家の中で熱中症に罹って死亡する人も今年は多い。
他にも暑さで鉄道の踏切が変形したり、火の手も上がっていないのに
火災報知器が鳴ったりするなど各地で暑さによるトラブルも出ている。

この季節の野球は気をつけないと。
以前、大宮で審判が熱中症でやられて意識朦朧となったのを
目の当たりにしているので本当に恐ろしい。
こまめに水分補給を摂るようにしないとね。
しかし、この時期に熱戦を繰り広げている夏の甲子園大会も
よく考えると恐ろしい大会だ。

夏は暑くて当たり前なのだが、ここまで暑いのは考え物。
これも様々な原因があるだろうが、やはり一言で言えば
地球温暖化が原因なのだろうね。
今年から35℃を超えると猛暑日と呼ぶようになったが、
近い将来に最低気温が30℃という日が来てしまいそうだな。
本当に地球は悲鳴を上げている。
今の子供たちが大人になった時、地球は住みにくい星になっているんだろうな…。


沖縄旅行記 完結編

2007年08月20日(月)

長い夏休みも終わり、今日から仕事始めである。
今年の夏休みは9日間だったが、そのうち合宿と沖縄旅行で6日を使った。
なので、ほとんど休めていないような…。

日記も早く通常に戻したいが沖縄旅行記の3、今日で完結できるかな?

●8月16日
昨日書き忘れたけどホテルに戻る前にDFSギャラリアに寄って少し買物をした。
沖縄にはデューティーフリーがあるのでブランド物が好きな人にはいいかも。
自分はブランド物には興味がないが、ハンティングワールドのベルトを買った。

さて翌16日、この日も早起き。
7時からの朝食バイキングを朝一で食べて8時10分にホテルに迎えが来る。
沖縄に行く直前にネットで体験ダイビングを申し込んでおいた。
人生初のダイビングは恩納周辺のビーチエントリーも考えたが、
那覇から車で恩納まで行ってダイビングをして帰ってくるのも疲れると思い、
無謀にも那覇港からクルーザーに乗ってダイビングスポットまで行く
ボートエントリーに挑戦した。
定刻どおりダイビングショップのマイクロバスに乗り込み那覇港へ。
そこに待っていたのは豪華なクルーザー。30人乗りと書いてあった。
言われるままに乗り込んで渡されたウェットスーツを着る。
出航間近に説明を聞くと那覇港に戻ってくるのは15時。
ん?確か申し込みをしたのは12時までの半日コースだったが…。
船が出る直前に間違いに気づき、隣に停泊している
半日コースのクルーザーに移動。
あのまま出航していたら、どこへ連れて行かれたのだろう。
半日コースのクルーザーは少し小さめで15人乗り。
参加者は自分たち以外には7人の家族連れの計9名だけだった。

いざ出航し船は大海原を走る。
しかし調度、台風が沖縄の南海上に接近していたためにものすごい揺れ。
自分は乗り物酔いは一切大丈夫だが、一緒の家族連れはすぐにグロッキー状態。
本当に信じられないくらいの揺れで普通に座っているのもままならない。
約30分くらいでチービスという無人島近くのダイビングスポットに到着。
まったく平気な自分たちだったが、家族連れはほとんど瀕死だった。
結局、船の錨を降ろして停泊しても多少の揺れはあり、
ダイビングに挑戦したのは自分たち2人と家族連れの中の中学生の女の子だけ。
お父さんもお母さんもお兄ちゃんも妹たちもみんな船酔いで断念。
なんか見ていてかわいそうになった。

初めてのダイビングに少しドキドキしたが、ウェットスーツの上から
4キロの錘を付けられ、フィンを付け、ボンベを背負い、ゴーグルをしたら
なんだか海猿気分でワクワク。
普段は穏やからしいが、この日はかなり荒れた海へ。
最初は船から張られたロープをつかんで水中に潜っていくのだが、
荒れた海のために体が流されて思うように下へ潜れなかった。
さらにゴーグルのゴムがきつかったのか、水圧でさらにきつくなり
頭が痛くなるが、徐々に慣れて水深4メートルくらいの珊瑚礁(リーフ)に。
だが海中でも時々、流れで体のバランスが取れなくなる。
岩やサンゴをつかんで身体を安定させ、写真撮影。
目の前にはコバルトスズメやツノダシなどの熱帯魚。
大きなイソギンチャクの間からクマノミがオドオドと顔を出している。
まさに映像や写真などで見る世界が目の前に広がっていた。
しかし台風の影響でいつもより海中は濁っていて、魚の数も少なかったらしい。
いつもの穏やかな状態ならウミガメも泳いでいるという。

インストラクターの指示でリーフの上から、さらに下へ潜って海底へ。
船に戻った後に聞いたら水深9メートルから10メートルだったという。
体験ダイビングの場合、3〜4メートルまでしか潜ることはないようだが、
ボートエントリーだったし参加者も少なかったので海底まで連れて行ってくれたようだ。
どれくらいの時間だったか分からないが、人生初のダイビング、
なかなか楽しかったな。
できれば台風接近していない穏やかな海に潜ってみたかったが、
それは次回の楽しみとしてとっておこう。

海中からボートに戻ると家族連れの皆さん、デッキで横になってダウンしていた。
自分も海から上がった直後に一瞬、今まで感じたことのないような
立ちくらみのような感じになったが、たぶん海中の水圧と地上の気圧の違いで
クラッと来たのではないかと思う。
すぐに普通に戻ったので良かったが、圧力という目に見えないものの怖さを知った。
港へ向かう船は来たときよりも速いスピードで荒波の中を進む。
そんな揺れの中でも疲れと睡眠不足から爆睡してしまった。
途中、インストラクターのお兄さんが携帯で話していた。
「もうチービス無理!波が高すぎて危険」
13時からの午後の部もあるが、どこのダイビングスポットへ向かったのやら。

港に着いて代金を払い、迎えのマイクロバスに乗ってホテルへ帰る。
まだ大浴場の入浴時間になっていなかったので部屋のシャワーを浴び、
少し休んでからメシを食いに赤いデミオを走らせる。
目的地は嘉手納。
国道58号を北上し、普天間や嘉手納の米軍基地を横目に見ながら
嘉手納にある道の駅へ。
そこの2階のレストランには沖縄で一番大きなハンバーガーを食べさせてくれる。
すぐ目の前には嘉手納基地の飛行場。
2階のレストランの窓から米軍戦闘機を見ながら食事ができる。
出てきたハンバーガーのでかさには驚いたが、空腹だったのであっという間に食べてしまった。
つい最近、嘉手納基地に配備されたステルス戦闘機ラブターが離陸体制に入っていた。
写真は禁止されているので撮れなかったが、かなりカッコイイ戦闘機だ。

腹いっぱいになってから北谷にあるアメリカンビレッジへ向かう。
近くに多くの米軍基地があるので、名前の通りアメリカっぽい店が並ぶ。
ブラブラといろんな店に入ってアメリカの雰囲気を味わう。
土産物屋もあるが、那覇の国際通りより少し安い。
PUMAのロゴを真似たSHI-SAのTシャツやタオルは那覇の半額だったので
おもわず自分用に2着買ってしまった。
北谷を後にしてホテルへ戻る。
今日の走行距離はかなり少なめの50キロだった。

ホテルに北谷で買った荷物を置いて国際通りへ。
北谷は安いが品揃えはやはり那覇のほうが充実している。
公設市場でいろいろ買い込み、国際通りにある今、何気に流行の美ら玉を買ったり、
ホテルに帰る途中にあるマックスバリューでテッチャンとチャーミンのリクエストの
A&Wのルートビア缶を買ったりして買い物を全て済ませた。
ちなみに350mlのルートビア缶はマックスバリュー価格で70円と激安。

生まれて初めてのダイビングをしたので、この日も大浴場に入ってから
アッと言う間に寝てしまった。

●8月17日
いよいよ沖縄最後の日である。
しかし帰りの飛行機は20時発。
レンタカーは18時半までに返せばいいので時間はタップリあった。
毎朝、朝一で朝食バイキングに行っていたが、この日は少しゆっくり。
9時頃に食事を済ませ、10時過ぎにチェックアウト。
まず向かったのは世界遺産にも指定されている首里城。
20年前に訪れたときは守礼の門しかなかったが、1987年頃に復元され、
いまは琉球王朝時代の立派な城を見ることができる。
世界遺産なので多くの人が訪れるから全てバリアフリーで
周辺施設もキレイに整備され、トイレなんかもすごくキレイだった。

首里城の次に向かったのは沖縄県南部。
南部は第二次世界大戦で唯一の地上戦の部隊となった場所である。
沖縄に訪れるたびに、なぜか必ず南部には行ってしまう。
戦争の悲惨さ、平和の大切さを教えてくれる場所でもある。
まずは、ひめゆりの塔へ。
その前に今回の沖縄2度目のA&Wで腹ごしらえ。
さすがにこの日はルートビアは飲まなかった。
A&Wからひめゆりの塔へ、さらに平和祈念公園へ。
いずれも20年前とは見違えるほど整備されてキレイになっていた。
先日の終戦記念日には平和祈念公園で記念式典が行われていた。
10万人以上の日本軍、1万2000人のアメリカ軍、
そして10万〜16万人の一般市民が犠牲になった沖縄での地上戦。
万単位で犠牲者の数が分からないこと自体で地獄のような戦争だったことが分かる。

軍人や兵士よりも非戦闘員の戦死者が多かったのは
本土決戦準備のために時間を稼ぐ持久戦と位置づけられたからであり、
沖縄県民は何らかの形で無理矢理、直接戦闘に参加させられた。
アメリカ軍による猛烈な爆撃と艦砲射撃に対し、日本軍は無謀な肉弾戦で対応、
戦局が悪くなると日本軍による住民虐殺もあり数多くの尊い命が失われた場所である。
今、平和に過ごすことができるのは、多くの犠牲のおかげかもしれない。
二度と悲惨な戦争を起こさないためにも、沖縄を訪れた時は必ず立ち寄って
手をあわせることにしている。
沖縄県の南部は日本人なら決して忘れてはいけない場所でもある。

平和祈念公園を後にし、琉球ガラス村に立ち寄り、そのままさらに南下して
沖縄県最南端の喜屋武岬へ初めて行ってみた。
2日目には最北端の辺戸岬へ、そして最南端の喜屋武岬も制覇。
断崖絶壁の下は台風接近のためにものすごい波が岩へ打ち寄せていた。
この場所も悲劇の地であり、一度は訪れたいと思っていた場所である。
米兵に追われた住民たちが身を投げたという悲しい歴史を持つ岬であり、
恒久平和への祈りを表わす平和の塔が立っていた。
こんな断崖絶壁から飛び降りたら確実に死んでしまう…。

南部の戦跡を巡った真っ赤なデミオは、一転して最近できたばかりの
沖縄アウトレットモールあしびなーへ。
時間的に最後の場所だが、ブランド物に興味はないので
その近くのショッピングモール内にある沖縄で一番有名なアイスクリーム、
ブルーシールのショップでアイスクリームを食べて時間をつぶす。
18時くらいになったのでガソリンを満タンにして空港近くのレンタカー屋へ。
この日の走行距離は64キロ。
結局、沖縄3泊4日での総走行距離は630キロほどだった。
新型デミオは2度給油したが、燃費は18キロくらい。
常にエアコンを付けっぱなしだったが、まずまずの燃費じゃないかな。

レンタカー屋のマイクロバスで空港まで送ってもらい、搭乗手続きをして
軽くメシを食って飛行機へ乗り込む。
その前にデューティーフリーで買った商品を受け取ったか。
行きはボーイング767だったが、帰りは747のジャンボだった。
すぐに爆睡してしまい、気づいたら羽田に着陸。
民間駐車場のマイクロバスが待っていて、それに乗り込みWISHを停めた駐車場へ。
WISHに重い荷物を積んで高速に乗って自宅へ戻ってきたのが23時半頃。
楽しかった20年ぶりの沖縄旅行は終わってしまった。

結局、行きたいと思っていた場所へはほとんど行けた。
やりたいと思っていたダイビングもできたし、満足度は100%近いかな。
残念だったのはヤンバルクイナに会えなかったことと、
沖縄ぜんざいが食べられなかったことくらい。
満足度は高いが、もう来年も沖縄に行きたい気持ちになっている。
何気に物件も少しチェックしたりして。
ハワイは敷居が高いので老後は沖縄ってなんかいいかもね。

それにしても沖縄ってイオン系のジャスコやマックスバリューは多いが、
同じイオン系のコンビニ、ミニストップがなかったな。
セブンイレブンもampmもサンクスも見なかった。
とにかくファミリーマートとローソンが多い。あとホットスパーくらい。
スーパーもイトーヨーカドーも西友もダイエーもなかった。
そして、ほとんどどの店でもEdyが使える。
A&WにはEdyのチャージ機が置かれていた。
まだまだ沖縄の秘密や楽しさはあると思うので全部知ってみたいね。

近日中に撮った写真、約200枚をどこかのホームページにアップしよう。


沖縄旅行記 2

2007年08月19日(日)

●8月15日
沖縄2日目は終戦記念日でもある。
南部では記念式典が行われていたようだ。
この日は6時半に起床し、7時からホテルの朝食(バイキング)を食べて
8時にホテルを出発。
西原ICから再び沖縄自動車道を北上し、昨日同様に最終ICである許田ICで降り、
西海岸線である国道58号を北上。
途中まで、まったく昨日と同じルートであるが、
昨日は本部地区へ行くためR58からR449に入って海岸線を走り続けたが、
今日は名護で右折し、そのままR58を走り続ける。
最初の目的地はR58沿いにある「ネオパークオキナワ(名護自然動植物公園)」
ここには沖縄の豊かな気候と風土を生かして、中南米やオセアニア、
アフリカといった熱帯地方の動植物を保温なしに、そのまま飼育している。
しかも、その展示方法は広大なフライングケージに放し飼いであり、
自然さながらの方法をとっている珍しい場所だ。
数多くの鳥や動物たちと垣根のない触れ合いを楽しみに
オープン時間の9時に合わせて入場した。
入場料は630円と安いが、前日に国際通りのローソンで格安入場券を500円で入手、
鳥の餌200円を2つ購入して、いざ最初のフライングゲージに突入。
しかし、ガラス戸の前にはすでに多くの鳥たちが待ち構えていて
少しひるんでしまった。
餌を持った人間が来るのを待っている。
その中に背丈1メートル以上のホワジロカンムリヅルが2羽いるが
それがかなりの迫力で正直、怖かった。
通常、動物園では折の中にいる鳥がすぐ目の前にいる。
勇気を出してガラス戸を開けて中へ入る。
アッと言う間に無数のアフリカクロトキやホロホロチョウ、クジャクに囲まれる。
餌を投げるとわらわらと寄ってくる。
餌をあげる手を止めて順路を前に進むと後ろからついてくる。
カンムリヅルは常に横の位置にいて、ジーッとこちらを見ている。
これは子供は怖くて入れない場所かも。
第一フライングゲージが終わり、第二フライングゲージに進む。
アマゾンのジャングルをイメージしている第二ゲージには
水中トンネルがあり、トンネルの向こうには世界最大淡水魚のピラルクや
大きなナマズの一種のレッドテールキャットなどが泳いでいる。
水中トンネルを抜けると再び鳥たちが待ち構えていた。
真っ赤なショウジョウトキやサケビドリ、そしてフラミンゴが近づいてくる。
フラミンゴも背が高いので近くに寄ってくると恐怖。
だが手のひらから器用に餌を食べる。
そのままオセアニアをイメージした第三フライングゲージへ。
ワラビーが木陰で寝ていたり、木の上を見上げると
大きなコウモリがぶら下がっていたり、ちょっとしたジュラシックパークだ。
生えている植物も日本では見たことのないようなシダ類やコーヒーの木、
マカダミアナッツの木など、不思議な植物だらけ。
あちらこちらで鳥たちの叫び声も聞こえ、不思議な空間に迷い込んだ気にさせる。

そして、このネオパークオキナワには失われていく野生動物の保護と繁殖を行う
国際種保存研究センターがあり、そこでは絶滅危惧種に指定されている
珍しい動物や鳥たちも見ることができる。
沖縄に来て楽しみにしていたひとつに、世界で沖縄の北部にしか生息しない
ヤンバルクイナをひと目見たいと思っていた。
ここには保護されたヤンバルクイナが飼育されているという情報を
得ていたので、かなり楽しみにしていた。
しかし、残念ながら見学不可のコースがあって、
どうやらヤンバルクイナはそこにいるようだが見ることはできなかった。

オープンと同時の朝9時に入場したが、結局、順路をゆっくり歩いたにもかかわらず
他の客とは一切、出会うことはなかった。
退場する時も500台以上も停められる駐車場には片手で数えられるほどの車、
昨日の美ら海水族館とは逆に、かなりマイナーなテーマパークである。
完全貸しきり状態のネオパークオキナワはカンムリヅルが怖かったが、
マイナーゆえに、相当満喫できる場所である。
次に訪れた際は是非ともヤンバルクイナを見たいと思う。

約1時間半弱のジュラシックパーク体験のできるネオパークオキナワを後にし、
昼食に日本では沖縄にしかないハンバーガーショップの「A&W」に入る。
沖縄を訪れるたびに必ず寄るハンバーガーショップだ。
「A&W」は85年の歴史があり、沖縄に出店したのも、
まだアメリカだった40年以上も前である。
そして、ここの名物といえば、何倍でもおかわり自由のルートビア。
はっきり言って薬臭くて不味い飲み物だが、なぜか1度は注文してしまう。
14種類の薬草が入っているので身体には良い飲み物なのだが、
20年ぶりのルートビアは、やはりクソ不味かった。
だけど、このクソ不味さを味わうのも沖縄旅行の楽しみのひとつでもある。
店内にはハードロックカフェのように各オリジナルグッズも売っている。
ネオパークオキナワで汗びっしょりになってしまったので、
A&WのTシャツを初めて購入してしまった。
色はA&Wのメインカラーでもあるオレンジ、派手だ。

A&Wで腹をいっぱいにし、オレンジのTシャツに着替えて
真っ赤なデミオはそのまま国道58号線を北上。
次の目的地は沖縄の最北端にある辺戸岬。
今まで一度も訪れたことのない場所である。
というか20年前は道が整備されていないために行くことができなかった地だ。
途中、道の駅や比地大滝、茅打ちバンタに寄りながら順調に北上。
そしてついに沖縄最北端の辺戸岬へ。
水平線に与論島が見える景色最高の岬だった。

帰り道は西側の国道58号線を南下したほうが早いし距離も短いが、
あえて島の東側の県道を通るルートを選んだ。
次の目的地はマングローブ林の慶佐次湾近くのヒルギ公園。
国の天然記念物に指定されている慶佐次川沿いは
マングローブと生息する小動物たちの宝庫であり、
シオマネキやトビハゼが大量に生息している。
というか、マングローブ林自体が日本では珍しいので是非とも見てみたかった。
国道58号を使うルートよりも東側の県道を走るルートでは20キロ以上の差がある。
しかし来た道を戻るよりも新しい道を走りたかった。
そして、その県道には野生の「ヤンバルクイナ」が出没するという。
車道にヤンバルクイナが飛び出して車の犠牲になることも多く、
道のあちらこちらに「ヤンバルクイナ飛び出し注意」の看板があった。
運良ければ野生のヤンバルクイナに会えるかもしれないという
淡い期待を持って20キロ以上も多いルートを選んで南下を開始。
しかし、これがアップダウンの連続。いくつ山を登って降りたのか…。
もたろん店も民家もないジャングルに囲まれた道をひたすら南下した。
すれ違う車もほとんどなく、1時間ほどの単独走行後に慶佐次へ到着。
野性のヤンバルクイナには出会えなかったが、運良く干潮時だったので
マングローブ林の中を通る遊歩道から数え切れないくらいのシオマネキや
他のカニ、トビハゼ、小さな魚の群れを観察することができた。
無数のシオマネキが、こちらに向かって片方の大きなハサミを振っている姿は
ユーモラスでもあり、感動的でもあった。

この日の予定は全て完璧に消化。
再び許田ICから高速に乗って那覇へ戻る前に
名護の農協の農産物直売所に寄って実家や親戚へ沖縄マンゴーを送る。
国際通りの店や道の駅よりも農協直営の方が明らかに安かった。
1500円〜2000円くらい値段が違っていたので果物を買うなら農協が一番だ。
その後に名護でソーキそばを食べて、右側に海に沈むサンセットを眺める。
昨日よりも遅い時間にホテルへ戻ってきて大浴場で1日の疲れをとって早めに就寝。
この日の走行距離は290キロ…かなり疲れた。
翌日は、この旅初めて海に入る。

かなり長くなってしまったので続きはまた明日。


沖縄旅行記 1

2007年08月18日(土)

8月14日から17日まで3泊4日で沖縄旅行に行ってきた。
沖縄に初めて訪れたのは1975年、沖縄海洋博のとき。
当時は小学6年生、もう30年以上も前であり、
アメリカから返還された直後だったために道路もまだ右側通行だった。
次に訪れたのはバブル全盛の1985年、大学4年の時。
それから社会人1年目の1986年、翌1987年と3年連続で沖縄には旅行した。
その後、何度か沖縄旅行の機会はあったが、なかなか実現せず
ついに20年ぶりにその地を踏むことができた。

昔から沖縄はすごく好きな場所であった。
だからこそ若いときは3年も連続して訪れていたし、
もし東京以外ならどこに住みたいかと聞かれたら、真っ先に沖縄と答える。
自分でも、なぜそこまで好きな場所なのか分からないが、
なぜか沖縄は昔から好きで何度行っても再び行きたいと思う場所である。

最後に訪れてから20年の歳月が経ってしまったが
やっぱり沖縄は最高の場所だった。
当然、20年前とは全てのものが、かなり変わっていた。
モノレールは走っているし、高速道路も開通している。
道路も整備され、新しい店も沢山増えていたし、
昔、観光した場所も見違えるほどキレイになっていた。
だけど空と海の色は20年前と同じ色で迎えてくれた。
それだけはいつまで経っても変わらないと思う。

●8月14日
早朝5時に予約していた羽田近くの民間駐車場に車を預ける。
すでに早朝便に乗る人が大勢、預けに来ていた。
マイクロバスで羽田空港まで送ってもらい搭乗手続き。
6時25分羽田発那覇行き全日空991便に乗り込み、いざ沖縄へ。
昔、那覇までのフライトには機内食が出た記憶があったが、
飛行時間が短くなったので機内食はなくなったようだ。
今は僅か2時間半で着いてしまう。
しかし機内では当然爆睡した。

那覇空港に到着後、指定された場所にレンタカー会社のマイクロバスが停まっており、
それに乗って近くのレンタカー屋に連れて行かれて、そこでレンタカーを借りる。
車種や色が気になっていたが、真っ赤な新型デミオだった。
車検シールを見たら納車されて1ヶ月の車であり、走行距離も3000キロ。
鮮やかな赤が目立っていて、かなり満足。
そして付いていたナビも自分の車のナビと同じメーカーのために
使い方ガイドを見なくても操作できたのでラッキーかも。

最初の目的地「美ら海水族館」をナビに設定して、颯爽と真っ赤なデミオを走らせた。
沖縄自動車道の一番南のICである豊見城ICから高速に乗り、
途中、海の見える伊芸SAに寄って軽く食事をし、
一番北にある最後のICである許田ICまで約64キロの高速ドライブ。
しかし許田ICから「美ら海水族館」までは、まだまだ距離がある。
許田の道の駅で「美ら海水族館」の入園チケットを買って
赤デミオを北へ走らせる。
ICを降りて約30分後にようやく目的地に到着。
夏休み中ということもあってか、かなり混雑していた。
しかし数年前に大阪の「海遊館」に行った時ほどの混雑ではなかった。
水族館は大好きなので、ついつい時間を忘れてゆっくり見てしまう。
やはり圧巻だったのはジンベイザメやマンタの泳ぐ黒潮の海の水槽。
3匹のジンベイザメ、4匹のマンタ、カツオの群れが悠々と泳ぐ大水槽。
ギネスにも認定されている世界一の大きい水槽は幅22.5m、水深8.2mで
その前に立つと本当に時間を忘れてしまう。
ジンベイザメは大阪の「海遊館」で見たことがあるが
マンタ(オニイトマキエイ)がまるで羽ばたいて
宙を飛んでいるように泳ぐ姿は感動モノだった。

館内を一通り見て外に出るとイルカショーのタイミングにピッタリ。
ショーを見てからウミガメ館、マナティー館を見て
さらにイルカラグーンショーも堪能。
人工尾びれを付けた奇跡のイルカ「フジ」も元気に泳いでいた。
食事も忘れて、かなり長い時間「美ら海水族館」を楽しんでしまった。
一応、再入場のスタンプを手に押してもらって水族館を後にし、
名護まで戻り沖縄が日本に返還される前から営業している
ステーキレストランに行って沖縄で最初のメシを食べた。
200グラムのサーロインステーキにライス、スープ、サラダが付いて1575円。
沖縄はステーキがリーズナブルに食べられる。
そして、この店は手作りのパイやクッキーも自慢でテイクアウトもしているので
おもわず買ってしまった。

腹を満たしてから、ちょうどサンセットが近づいてきたので
観光スポットである古宇利大橋に行く。
サンゴの海に架かる全長約2キロの長い橋で景色が美しい。
当然、20年前には架かっていなかった橋だ。
古宇利大橋を渡った古宇利島で暫く時間をつぶしたために
水族館への再入場は時間的に無理になってしまったため、
再び許田ICから高速に乗って西原ICで降りて那覇のホテルに向かう。
ホテルにチェックインしたのは21時頃になってしまった。
初日の走行距離はいきなり200キロオーバーの223キロメートルだった。

ホテルにチェックインして荷物の整理をして徒歩で国際通りへ。
ホテルのすぐ近くにはマックスバリューがあり、明日の飲み物を購入。
国際通りはほとんどの店が22時まで営業しているため、
まだ活気があふれていたが、この日は下見だけでホテルへ戻る。
泊まったホテルは最上階に大浴場がある。
大浴場のあるホテルだからこそ、このホテルに決めたのだ。
長距離ドライブや暑い太陽の下を歩き回ることを考え、
足を伸ばしてゆっくりと風呂に入れば少しは疲れも取れると思い、
大浴場付きのホテルしか考えていなかった。
22時半頃に大浴場に行ったが、ラッキーなことに最初から最後まで
他の客とは会わずに貸しきり独り占め状態で満喫できた。
しかし、やはり風呂から上がったらすぐに寝てしまった。

翌日以降はまた明日。


慌しい

2007年08月13日(月)

一睡もしないで11日から1泊2日の夏合宿。
12日に帰ってきて中一日あけて明日14日から
3泊4日でプライベートの沖縄旅行に行ってくる。
本当は今日、夏合宿中の試合の更新なんかをしようと思ったけど、
明日の用意で何もできなかった。
今年の夏休みは合宿が1週遅くなったので、なんか慌しいな。

明日は早朝の飛行機なのでほとんど睡眠時間がない…( ̄◇ ̄;)
飛行機の中で爆睡しよう。


眠い

2007年08月10日(金)

眠いけどもうすぐ則ぞーが迎えにくる。
悪いけど車の中で寝かせてもらおう。
今年の合宿は今までで一番厳しい合宿かも。


朝青龍問題

2007年08月09日(木)

角界を大きく揺るがしている朝青龍の仮病問題。
廃業させず2場所出場停止の上、謹慎とした
財団法人日本相撲協会の生殺し的裁定には驚いている。
朝青龍自ら辞めることを期待しているのだろうか?
事実上の引退勧告か?なんか大人気ないなぁという印象が強い。
辞めさせるならきっぱりと辞めさせるか、
態度で示させるなら具体的に態度で示させるか、
そのどちらでもないような曖昧な裁定だ。

古い考え方なのかもしれないが、下働きをさせるとか、
奉仕活動をさせるとかの対応で良かったのではないだろうか?
現場復帰を期待するなら、横綱としては屈辱的でも
序の口以下の仕事をさせるとか。
ファンを裏切ったのだから、それも仕方ないだろう。
ケガのため巡業を休んでいながら勝手に帰国し、
サッカー遊びをしていたのだから、あの行為はプロスポーツ選手として
最低であり、関取として給料をもらう価値はゼロなのだ。

そう考えると減俸なんて甘い。
給料ゼロ…それでも続けるか?朝青龍。
最速で横綱に登りつめた実績があるのに関取衆の背中を流す…
それでも続けるか?朝青龍。
自宅ではなく高砂部屋で生活…それでも続けるか?朝青龍。
番付を後援会に届ける…それでも続けるか?朝青龍。

それでも続けるか?朝青龍。そんな状況に追い込むべきだったのだ。
しかし、それでもやる、それでも続ける意思があればこそ、
もう一度、土俵に立ちファンの前に姿を見せる資格があるのだと思う。
逃げ道のない罰は辞めろと一緒だ。
この状況を続けるなら辞めさせたほうがいい。

ただひとつ腑に落ちないというか、注意したいことがある。
現在伝えられている朝青龍の病状が事実かどうか分からないということだ。
もしかしたら意外とピンピンしている可能性だってある。
なぜそう思ったか?
それは、朝青龍を診察した医師がマスコミ相手に病状を語っているから。
ここに守秘義務はないのだろうか?と疑問に思った。
だって普通言わないだろ。「うつの手前」とか「憔悴しきっている」とかさ。
本当のことじゃないから語れるんじゃないのかなぁ…。
なんて、深読みしすぎかな。


あと1年

2007年08月08日(水)

来年に開催される北京五輪まで残り1年となった。
アテネ五輪がまだ記憶に新しい気がすることを考えると、
本当に時の流れは早いものだ。

さて、その北京五輪だが未だに大きな問題が山積み。
開発ラッシュの陰で強制的に立ち退きさせられる人が多いという。
それに中国って国は平気でニセモノばかり作ったり売ったり、
また中国産の食料品や薬品で死者が出たりと
国際社会において目の敵にされている。
そんなニュースを何度も目にする度に
「そんな国で五輪をやらせて大丈夫なのか?」と思うこともしばしば。

何よりも問題視されているのが「大気汚染」
各TV局では北京五輪まであと1年に迫ったこともあって、
ニュースなどで現地レポートなどをやっていたが、空はどんよりとしていた。
単なる曇り空というよりは、何だか排気ガスなどが充満して
あんな空の色になっているように感じてしまった。
事実、北京の大気汚染は「世界最悪」との評判で、
各国も開幕間際まで現地入りは控えるとか、選手村の入村を断るとか、
そんな動きすら出てきているという。
実際に、ここ数年で北京では青空が見られないようだし( ̄◇ ̄;)
そこまで大気汚染が酷いと屋外競技にも影響しそう。
特にマラソンなんかは…。
代表に選ばれた選手は高地トレーニングの他に大気汚染対策もしないとヾ(^-^;)

それにしても過去の五輪で大気汚染がこれほど懸念されたことは
未だかつてなかっただろう。
それも経済建設ばかりに目がいき、環境を考慮して来なかった
「中国式経済成長」の弊害によるツケによるもの。
それでも北京五輪では「緑色五輪」(エコ五輪)をPRしている。
開幕まで残り1年切っていて、あの惨状では「エコ五輪」なんて夢物語。
いざとなったら緑色のペンキを使って緑豊かに見せかける
「北京」ならぬ「ペンキ五輪」に路線変更するのではないだろうか。

しかしながら、五輪における主役は選手達だ。
五輪キップをかけた戦いは、これから本格的になっていくが、
4年に1度しかないオリンピック、1年後の北京が
どのように変化するかは分からないが、代表となった選手達にとって
競技しやすい環境を作ってもらいたいものだ。

だけど…「北京」より「東京」でやった方がいいのでは?


昨日は日記を書こうと思ったが、下書きをした後、
アップするパワーが残っておらず寝てしまったために
公開できなかったので、8月7日の日記も今日、アップした。


開幕直前

2007年08月07日(火)

明日から開幕される第89回全国高校野球選手権大会の組み合わせが
決まってあとは本番を待つのみとなった。
昨年まで初戦の組み合わせは隣県同士の対決を避けるべく、
東西に分けて行われていたが、今大会は2代表制の東京と北海道を除いて
隣県同士の対決もアリの新方式。
その新方式の組み合わせで早速、隣県同士の組み合わせが実現した。

中でも関東同士の対決が2カードもあるとは…。
初日に栃木の文星芸大付と千葉の市立船橋が激突し、
7日目には埼玉の浦和学院と群馬の前橋商が激突することになってしまったか。
埼玉VS群馬なんて、まさに隣県対決である。
「高崎線ダービー」とでも呼んでいいのやら?

センバツ優勝の静岡の常葉菊川は昨夏ベスト8の日大山形との対戦。
静岡県大会では接戦の連続だった常葉菊川だが、
甲子園ではどのような試合をするのか、春夏連覇なるのか注目したい。

その他の注目の組み合わせは、
智弁和歌山VS仙台育英
駒大苫小牧VS広陵
常総学院VS京都外大西あたりだろうか。

選手宣誓は前橋商の樺澤健主将に決定。
なんでも自分から立候補して当たりクジを引き当てての選手宣誓だという。
なので印象に残るような選手宣誓をしてくれるのではないかと、これも注目だ。

今夏、最大の注目株だった中田翔選手の大阪桐蔭が予選で敗退してしまったが、
新たなヒーローが出てくるのが甲子園である。
昨夏の優勝投手だった早実の斉藤佑樹だって、大会前の注目度は高くなかった。
なので、今夏もアッと驚くようなヒーローが出現することも期待したい。


62年目

2007年08月06日(月)

今日は8月6日、広島に原爆が投下されてから62年目を迎えた。
広島では毎年8月6日に、長崎では毎年8月9日に平和式典を開き、
原爆投下の歴史を風化させないように後世に語り継いでいるが、
それにも関わらず世界では未だに核実験をやる国があり、
地球は核の恐怖下にあるのが現状だ。

6月に当時の久間防衛相が「原爆はしょうがない」などと発言し
物議を醸した。
自分は当然、戦争を知らない世代だが、原爆の悲劇は
テレビ等で見たり、本を読んだりしていたので、
何を根拠に「しょうがない」などと言えるのか理解できなかった。

その原爆を落としたアメリカにおいては、原爆投下を肯定する意見が多いようだ。
原爆を投下したことで戦争終結を促し、多くのアメリカ軍兵士の命をも
救ったからだとか。
確かにそれも一理あるが、しかしその一発の原爆によって
ものすごい数の人間が犠牲になっていることを考えると………。
戦勝国と敗戦国の考え方の違いなのだろうか…。
今日の新聞のテレビ欄で夜のニュース番組の内容を見ていると
「がく然・・・原爆が200万人救った米国の教育」などという見出しがあった。
残念ながら番組に気づいたのは夕方だったために録画できなかったので
どのような内容だったのか非常に気になってしまった。

来年の8月6日には広島市民球場で、プロ野球公式戦を行うという案が出た。
ここ数年、8月6日には広島では原爆関連の公式行事が多いことなどから
平和公園に道路一本はさんだ広島市民球場では
プロ野球の試合を行っていないらしいのだが、
再来年には新球場を本拠地にする関係で、広島市民球場をフランチャイズにする
最後の年になることから、8月6日に公式戦を行いたいと
日本プロ野球機構に要請するようだ。
そういう考えは良いと思う。
だけど来年は北京五輪があるから、もし野球が五輪に出場するとしたら
ペナントレースは中断してしまうのでは?
ちょうど北京五輪の時期って、その頃だったような気がする。

そういえば今年の平和記念式典には安倍首相が出席していたな。
支持率が20%台にまで下がっただけに、この夏が総理大臣として
最後の任務になるかもしれないね。


27時間テレビ

2007年08月04日(土)

先週の土日に放映されたフジテレビの27時間テレビ。
今年は土曜日に「あちりさ」と一緒にポケモンの映画を観に行き、
そのまま2人が泊まったのでほとんど観ることがなかったが、
そのタイトルからして最初から興味が失せていた。

「FNS27時間テレビみんな“なまか”だっウッキー!ハッピー!西遊記」

いかにも映画の宣伝の臭いがプンプン。
例年は8月に27時間テレビはあるのに、今年に限って7月、
完全に映画公開にあわせての番組であるのは明白である。
そして蓋を開けてみれば、メインMCの香取慎吾が完全に萩本欽一化していた。
視聴者はフジテレビの27時間テレビには日本テレビの24時間テレビのような
感動は求めていないと思うのだが…。

日曜のエンディングは観たけど、もう根本的にぬるかった。
今年もSMAP様々依存症のエンディング。
そりゃ、スマスマあるし、歌もお笑いもなんとか形になってしまうから
そうせざるを得ないんだろうけど、もう全体に既視感ありありな
小ネタのショーケースであるように感じられて
新味のある見どころらしい見どころにあまりにも乏しかった。

そして、それはいったいワザとやってるのだろうか?
系列各局で統一デザインの「黄色いTシャツ」を着てしまい、
視聴者から絵本の寄付やら新潟中越沖地震への義援金やらを募って、
ラストにSMAPが「世界に一つだけの花」を歌って…(-o-;)
完全に日本テレビのパロディを本気出して半笑いでやってるのかと、
こちらサイドとしても好意的に思わないでもないというのに、
実はそうではなくて、どうやら本気出して
「みんな“なまか”だ!ありがとうウッキー! 」とか言ってたし、
まるで牙の抜けた獣のような超つまらない電波の無駄遣い番組だった。
フジテレビっぽくもなく、別に楽しくもなんともないテレビ。
社会貢献は確かに立派。そこに反論の余地はない。
だけど、こんな年に一度のせっかくの機会に、他局と変わらない番組作って
その先にいったい何があるんだ?

あと、ボーリングは見るものじゃなくて自分でやるものだと思ったね。
「ストライクで○、その他は全部×」みたいなルール設定は、
素人ボウラーにはかなりハードルが高く、ヘッドピン外したその時点で
玉が虚空にすぃーっと吸い込まれるようで、
スタジオの雰囲気もまったく沈鬱なものに。
まぁ、その分ストライクが取れた時の喜びは爆発的になるが、
その確率は自分の見てる限りでは二割に満たなかったような…。
あとは水を打ったような静寂が訪れるので、観ていてとても辛かった。

「西遊記」なり、その主人公の「孫悟空」がモチーフのようだったが、
せっかく全国放送で27時間の大々的なバラエティをやるというのに、
その母体みたいなものが2時間弱の映画で、なんかまるで
「27時間かけて2時間弱の映画の宣伝だけ」みたいな、
バランスの不均衡にとても困惑したし嫌悪感すら覚えた。
慎吾ママもハットリくんも登場して、さしずめフジテレビ的な
香取慎吾キャラクター大全っていうのも、なんだかな。
「SMAP×SMAP」のヒマなときに1時間半スペシャルとかで
済ませられる企画だったと思ったのは自分だけかな。


ところで深夜帯についてだが、ドランクドラゴンが「大人の事情」により
出演しなかったにも関わらず、香取慎吾は平気で「Sma Stathion」にも
出ていて驚いたな。
ジャニーズいや天下のSMAP様には「大人の事情」はないのだろうか?

2004年
「FNS27時間テレビ めちゃ×2オキてるッ!what A wide awake↑we are!
楽しくなければテレビじゃないじゃ〜ん!!」

この年に「めちゃイケ」スタッフとナイナイで伝説を作ったものの、

2005年
「FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビ
やっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!」
2006年
「FNS26時間テレビ・真夏のクイズ祭り26時間ぶっ通しスペシャル」
2年連続して残念な結果を残している。
そして今年の2007年は、SMAP効果から平均視聴率はジャニオタのおかげで
良かったみたいだけど、中身はここ数年で一番面白くも何ともなかった。

やはりフジテレビのブランドは
「楽しくなければテレビじゃないじゃん」なんだと思う。
感動は日本テレビ、ドラマはTBS、報道はテレビ朝日、アニメはテレビ東京、
バラエティこそフジテレビだとブランドを誇示する絶好の機会なのに
全然活かせていなかった。

しかし孤軍奮闘とも言えた「あやぱん」こと高島彩アナウンサーだけは
素直にグッジョブだった。西山キクちゃん妊娠休養でも
バラエティは「あやぱん」がいれば安心だ。
収穫はそれくらいだったな。


巨星堕つ

2007年08月02日(木)

70年代、80年代と歌謡曲全盛期に、よくテレビで
歌番組を観ていた自分にとって、作詞家・阿久悠氏の訃報は
また昭和の一時代が終わった気がした。

手がけた楽曲は5000曲以上。
数々の大ヒット曲を連発して「昭和の名曲」を世に生んできた
作詞家の阿久悠氏。
1970年代から80年代にかけてヒットした曲のほとんどが
阿久悠作詞と言っても過言ではないほどである。
ちょうど自分は小学校高学年から中学生にかけての時代。
今と違って歌番組は全盛で、歌手は新曲を出したら
3ヶ月はたっぷりとテレビで歌うので自然と覚えてしまえる時代だった。
自分くらいの年齢は、まさに阿久悠作品のリアルタイム世代と言っていいかも。
なので、30年前のヒット曲でも歌詞を見なくても歌えたりする曲も多い。
いや、昔の曲ほど忘れないものかもしれない。
リアルタイムに作品を聴いたことがない若い世代でも、
「聴けば知っている」レベルの曲が必ずあるはず。
それだけ昭和を代表する作詞家であった。

主な代表作をいくつかピックアップ(順不動)
・石川さゆり「津軽海峡冬景色」
・尾崎紀世彦「また逢う日まで」
・フィンガー5(小泉今日子)「学園天国」
・小林旭「熱き心に」
・西城秀樹「ブーメランストリート」
・桜田淳子「私の青い鳥」
・沢田研二「勝手にしやがれ」「カサブランカ・ダンディ」「時の過ぎゆくままに」
・杉田かおる「鳥の詩」
・西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」
・ピンク・レディー「ペッパー警部」「S.O.S」「カルメン'77」
 「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」
・森昌子「せんせい」
・山本リンダ「どうにもとまらない」「狙い撃ち」
・和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」
・都はるみ「北の宿から」
・八代亜紀「雨の慕情」「舟唄」
・「ピンポンパン体操」
・「デビルマンのうた」
・「宇宙戦艦ヤマト」
・「ウルトラマンタロウ」
・西武ライオンズの球団歌「地平を駆ける獅子を見た」
・福岡ダイエーホークス(当時)「ダイヤモンドの鷹」

う〜ん、ほとんど歌えてしまうかもしれない。
こうして改めて見ると、いずれ劣らぬ名曲ばかり。
そして歌詞のインパクトが強い作品が多い。
特にピンク・レディーの代表曲と言われる作品は、ほぼすべてが
阿久悠氏の作品であり、ピンク・レディーのスター伝説を語る上では、
作曲家の都倉俊一氏とともに、欠かすことのできない存在だった。
さらには歌謡曲だけではなく「デビルマンのうた」「宇宙戦艦ヤマト」
「ウルトラマンタロウ」など、アニメや特撮モノのテーマ曲も手がけていたとは
その才能は本当に素晴らしい限りだ。

ちなみに歴代作詞家のシングル総売り上げ枚数記録でダントツトップの6818万枚。
2位が松本隆氏の4946.3万枚だから、いかに多くの詞を書いてきたかが分かる。
昭和45年3月9日付オリコンで、森山加代子「白い蝶のサンバ」が
初めて1位を獲得して以来、昭和59年6月4日付の田原俊彦「騎士道」まで
全22作品でオリコン1位を獲得した。

また、作詞家としての顔以外に、作家としての顔もあった。
多数の著作を残しているが、最も有名なのは映画化もされた「瀬戸内少年野球団」
敗戦直後の淡路島を舞台に、野球も通じて女性教師と子供たちの
心の交流を描いた作品で、直木賞の候補作にもなったことがある。
映画には夏目雅子や郷ひろみが出演していたっけ。
作詞家としても作家としても成功した「稀代の才能」
そんな昭和の「巨星」がまた一人亡くなってしまった。
謹んでご冥福をお祈りします。


出場校決定

2007年08月01日(水)

本日、ようやく関東地方も梅雨明けをした。
昨年も遅かったが、今年は8月に入っての梅雨明け。
当初はラニーニャ現象の発生により、空梅雨で梅雨明けも早いと
気象庁は発表していたのに、結局すぐに訂正したっけ。
気象庁の長期予報ほどあてにならないものはないな。

さて、季節は8月。8月といえば8日から開幕する
第89回全国高校野球選手権大会の代表校49校が全て出揃った。
内訳を見ると初出場校が4校、連続出場が14校、春夏連続出場が8校。
各地で波乱が相次いだが、意外と2年以上連続して夏の甲子園に
出場している高校や、春夏連続出場が結構出ているね。

今日は残り3地区で決勝戦があり、東東京は帝京VS修徳が対戦し、
帝京が4−2で勝利。
静岡ではセンバツ優勝校の常葉菊川が逆転で甲子園キップを掴むとともに、
春夏連覇の挑戦権を得たわけだ。
潤太の高校も岡村の高校も常葉菊川に予選で敗れたが、
やはり春の優勝校、実力は確かのようだ。
静岡県大会でノーシードだったのが信じられない。
わざとノーシードになるように選抜以降の成績を悪くして
仕組んだのか?とさえ疑ってしまうヾ(^-^;)
中越沖地震による影響で日程が大幅に遅れた新潟では
新潟明訓がセンバツ出場校の日本文理を破って甲子園出場。

この夏、最大の注目株だった中田翔選手率いる大阪桐蔭が
地区予選で姿を消してしまったのは残念だったが、
新たなヒーローが生まれるのも高校野球の楽しみ。
この夏を沸かせる球児あるいはチームの出現を期待したいものだ。

組み合わせ抽選会は5日。
これまで初戦は隣県同士の対決を避けるために、
東西のブロックに分けて行われていたが、
なぜか今大会では東西に分けずに組み合わせを行わうらしい。
なので場合によっては関東勢同士とか関西同士の対決が
初戦から見られる可能性も高いわけだ。
奈良県代表の智弁学園VS和歌山県代表の智弁和歌山の
智弁対決も初戦からあるかもしれない。
ただ、2代表制の東京と北海道では初戦で当たらないようにするそうだ。

昨夏は早実VS駒苫の死闘で盛り上がった甲子園、
今年はどのような大会になるのか楽しみである。

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