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2004年08月30日(月)
アテネ五輪が閉幕した。 日本時間で言えば「真夏の夜の祭典」だった。 なので期間中は時差の関係から寝不足の日が続いていた。 前半はちょうど夏休み中だったから良かったが、 夏休みが終わり、仕事に戻るようになった後半はさすがにキツかった。 だけど日本選手の活躍は見事なもので、 東京オリンピックに並ぶ最多タイの金16ヶを含めメダル獲得数は37ヶと ソ連や東欧諸国がボイコットしたために獲得メダル数が必然的に多くなった 1984年のロサンゼルス大会の32ヶを抜き、史上最多を記録した。 シドニーが金5ヶに終わっただけに、まさかこんなにも活躍してくれるとは…。
オリンピックの17日間、テレビを見ては日本の選手の活躍に一喜一憂し、 日の丸が上がり「君が代」が流れると「やっぱ日本人なんだなぁ〜」と しみじみ思ってしまった。 よくオリンピックで「愛国心」とか「ナショナリズム」を再確認すると言うが 果たして本当にそうなのだろうか? 「愛国心」とは文字通り「自分の国を愛する心」である。 日本に生まれ、日本で育ち、日本という国に帰属する意識はあっても、 国を愛する心からオリンピックの日の丸に感激、感動するのだという実感は、さほどない。 もちろん自分の国である日本は愛している。 だけど、オリンピックという舞台で「愛国心」とは大げさなのではないだろうか。 また「ナショナリズム」とは「民族国家の統一、独立・発展を推し進めることを 強調する思想または運動」であり、日本という国は、 いまさら国家統一を叫ばなければならないわけでもなく、 まして独立や発展をはかることを強調するまでもない。 むしろ、中国でのアジアカップで中国人サポーターたちが 日本チームにブーイングを浴びせたのが「ナショナリズム」の典型的な行為だろう。 その背景にあった江沢民体制化での愛国抗日教育は、 まさしく中国の統一、独立・発展を推し進めるものだったからだ。 自分を含める多くの日本人が五輪中継で興奮するのは、 そうした排他的な国粋主義からではないのは確かなことだ。
そう思って五輪中継に興奮する自分を客観的に見ると、 自分が同胞の選手に乗り移ったような気持ちで オリンピックという世界最高のイベントを疑似体験していることに気づかされた。 日の丸に感激し「君が代」に感動するのも、 達成感の象徴としての国旗、国歌に感動しているのであって、 なにもそれで愛国心を確認しているわけではないのだろう。 昔の選手には「お国のために」とかの意識もあっただろうが、 今の若い選手たちに、そんな考えはないだろう。 もちろんテレビを通じて観戦している者にも、「お国のため、何が何でも勝て」という 右寄りな偏った考えで見ている人は多くないはず。 そうであるならば、テレビの五輪中継に声援を送り、本気で喜び、本気で悔しがり、 日本選手の活躍に感激、感動することに何も遠慮は要らないものだと考えた。 たくさんの感動を見せてもらえて本当に感謝している。 まさに記録にも記憶にも残る素晴らしいオリンピックだった。 次は2年後のトリノ冬季五輪とドイツW杯で感動させてもらおう。(^^;)
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