++レポレポ++

2002年12月21日(土) TBSラジオ『城島 茂のTOKIO CLUB』ゲスト:剛(2回目)レポ#1

城:ハイ!トキオのリーダー城島茂でございます〜さぁ今夜のTBSラジオ『城島 茂のTOKIO CLUB』はですね〜SPウィークと言う事でゲスト!をお招きして居ります。キンキキッズの堂本剛くんです〜
剛:ども〜よろしくお願いしま〜す
城:宜しくお願いしま〜す 
剛:おねがいしま〜す
城:さ、え〜今日で2週目、ということでね 
剛:はい!
城:ま、前回はアルバムのニューアルバム『F-Album』の話、裏話を聞きまして、今週はですね。最後のJ-Friends SP と題しまして、ちょっとお送りしたいなと思いまして 
剛:はい
城:え〜、ホントにあのぉ〜阪神淡路大震災の、チャリティーを目的にですね。ま、TOKIO、Kinki Kids、V6 の三つのグループで結成された、このJ-Friendsが、今回の活動をもって一旦終止符を打つと、ま、はい、と言う事なんですけれどね〜どですか?最後ですけども 
剛:ま〜〜〜ぁ、しょーじきさびしいです。ね、も・・っと、もっと、やり、たかったな。て言うのはあるんですけれどもね。
城:そんな思いと共にね、今日はですね、今までのJ-Friendsの活動を、に、ついてですね。えぇ振り返りながら、ちょと話していきたいなと思います〜宜しくお願い致しますぅ〜 
剛:よろしくおねがいしますっ!
城:リスナーの皆さんにはSPグッズをご用意しております、詳しい応募方法は番組の最後にお伝え致しますので、皆さん最後までお聴き逃しのないように!それではですね、今夜の一曲目、12月4日にリリースされたニューシングル、皆さんのお陰でね。シングルチャート1位なりました。TOKIOで『ding-dong』聴いてください

_____________♪ding-dong♪___________

城:ま、あの〜J-Friendsは〜97年にね、え〜このJ-Friendsてのは正式に結成されたわけですけど、ま、その前からね〜震災は95年の1月17日やってんけど〜ま、当時から〜救援物資お願いします〜て、皆で呼びかけてましたけど、ねぇ、当日って覚えてる? 
剛:僕はと・・うきょうでしたね、で〜高校の、え・・面接、的な感じのぉ、ことがありまして、で、母がホテルに、前の晩から泊まってて〜、で、ホテルにおかんと行って、集合して、で、高校まで行ってみたり、な、事をやる日だったんですよ。そいで〜ほんでホテルの部屋入ったらテレビがついてて、で〜おかんが何かスゴイ事になってるって話で、で、テレビ見たらあの高速道路が横倒しになってるっていうような映像が、もぉテレビでずっと流れてて、ほいで〜お姉ちゃんどないなってんねやろって
城:え、お姉ちゃんどこに住んで 
剛:お姉ちゃん奈良で〜
城:あ、そか 
剛:1人で居ったんで、どないなってんねやろって、電話しても、やっぱ繋がらへんし、どぉしよどぉしよって中で〜取り合えず高校とか行く作業して〜で、そのあと仕事〜があったんで仕事やりつつ、で〜お母さん心配やから帰るという事で〜帰ったんですけどぉ、でもずっと電話してもウチ繋がらへんし〜、で、やーっと繋がったんが〜跨いで、朝方でしたかね〜なんか繋がったんですけどぉ、やっぱ奈良でさえも、食器棚の食器が全部われて
城:ああ、そやね・・ 
剛:割れて、もぉエライことになってる、ゆう風な話をお姉ちゃんがしてましたけども、ね。ボクとか、お母さんとか幸い東京の方だったので、ねぇ、大丈夫だったんですけれども、ね。
城:だから僕の方も奈良やけど、奈良市のちょっと外れのほうやけど、ちょうど同い年のヤツが、バーで働いてたんやけど、やっぱり震災終わって店心配で見に行ったら、全部ボトル?棚に置いてあるボトル、全部下に落ちて割れてる?う〜ん。うん、だから奈良でさえもそんな 
剛:ですからね〜
城:う〜〜ん、だからホンマにその日って神戸とかね、淡路のほうとか物凄いことになってるし、だって・・光ちゃん・・ 
剛:光一がまさにもぉ神戸ですからね
城:神戸やもんなぁ 
剛:だから、あのぉ〜知ってる人とか、あの隣近所の方とか〜話聞くと、タンスがね。倒れてくるっていう、ま、岡田もね。ゆってましたけど〜タンスが倒れてきてって話で〜で、お父さんはやっぱ子供守るために、咄嗟にもぉタンスが倒れる時に、その横に入って、で、下で布団で寝てる子供助けようと、思った、んですけどぉ、やっぱりそのまんま上からどんどんどんどん物が落ってきちゃうので、圧迫されちゃったりして、お子さんはお亡くなりになっちゃたりとか、て、言うような話を聞いたことがあるんですけど、だから僕はね、あの〜幸い大阪の方まで出てるっていう友達とかは居なかったので、みな奈良だったので〜連絡は取れたんですけども、やっぱりその、ね、ウチなんか住んでたとこの何歩か歩いたとこでそぉいうことが起こってたり、自分が生まれて見て来た景色が一瞬にして変わったり、とかっていうような、ま、光一もあの東京で寮でね、止まってたんで光一は光一で大丈夫だったんですけれどもね、ま本当にご家族がね、ご無事だったので、それは良かったよな〜って話をしてたんですけれども
城:ま、僕の友達も神戸住んでるヤツが居ったしね〜う〜ん、やっぱり、あの・・ね。不幸なことに亡くなったヤツもいるし〜だから、ま、リアルな話っていっぱいあるよね、ホンマに、そんな中で僕らが何が出来るかって、その、ねぇ。何も出来へんけどホンマに救援活動とか募金活動とか、呼びかけるしか 
剛:そぉですね、だから
城:なかったんですね 
剛:あの、本当に一番イヤだったのが「どぉですか?」とか、あの同じ、ま「関西地方といいますか、奈良出身の剛くんですが」とかそぉいう質問が、凄くイヤだったんですよねぇ、あの、自分は経験してないので、なんせ東京に居った、で、だからその〜オレが別に言えることじゃない、と、言うか〜自分が本当に体感していれば、岡田なんかそぉですけど、自分が本当に体感していれば「こぉこぉこぉで、こぉで」って色んな気持ちを
城:あっV6の岡田は当時居ったんや? 
剛:はい、タンスが倒れて来たみたいな話をしてたんですよ、その、だからそぉいう経験をした人間、は、なんかね〜色々言葉を、言えるんでしょうけど、も。でも実際ボクなんか経験をしてない、なので〜
城:こんな俺がゆっていんやろか 
剛:いんやろかって
城:気持ちがね 
剛:あって、だから〜言葉に、出来ない思いをJ-Friendsの歌に籠めたりとか、ていうような事をしてたんですけどね〜ボクは、ええ。
城:だから今回J-Friends場合、一旦活動休止って言うか、まぁ期限があるんでね。僕らのこの想いっていうの?何も出けへんけどさ〜、なんか次に引き継がれていくか何か想いが伝わって 
剛:ね、何かにホントに繋がればいいな〜とか、何か生み出せばいいな〜と言うような感覚でぇ、もぉ一曲一曲、歌わしてもらってました、ね。
城:色んな方にホンマに提供してもらいました曲、1998年にはマイケル・ジャクソン、99年もね〜マイケル、んで『Next 100 Years』ボンジョビ、うん、ホンマに色々やってもらいましたよね〜で、今回ラストのシングルが、え〜アース・ウィンド&ファイアー、モーリス・ホワイトさん、あとシンディー・ローパーさんとか色んな方がゲストでね〜ボーカリストで入ってくれましたけども、シングル聴いてもらいたいと思います。え、剛くんの方から曲紹介、12月18日リリースってことなんですけれども 
剛:では・・聴いてくださいっJ-Friendsで『LOVE Me All Over』

_________________♪LOVE Me All Over♪_______________

#2へ続く


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