ゆうべの酒日記

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2009年04月20日(月) 原稿用紙20枚制限ていうのが出たので続きは4/19

金曜日からか。
会社では細々としたことを片づけて、翌日の準備とか確認とか段取り的なことを。

定時に退社して増田さんと自宅最寄り駅で合流。
前日に、土曜の朝が早いから金曜は早寝(いつにも増して)すると告げてあり、夕飯の支度が全部済んでいた。

飲んだのは、スーパーブルーロングと日本酒だったかなあ。
肴:豆乳鍋、ポテトサラダ

鍋には豚と、殻から外した全部付きホタテと、私のリクエストで餃子とレタスと、あと大根人参長ネギなどが入っていた。
磯っぽい味がしみた大根がことのほかウマイと思った。
あと豆乳鍋にはラー油も合う。

片づけとかしたんだったかどうだったか。
簡単に荷造りとかはした。
んで21時就寝。

予約して以降、寝坊して飛行機に乗り遅れる夢を見てたけど
実際当日は三時に目覚めた。
メールチェックとかして支度して出かけた。
オオノさんが、「昨日の朝は雪降った」と報せてくれたので、冬装備で。
留守電入ってたので確認したら正子さんからで、「お父さんが痙攣起こして病院から呼ばれたのでこれから行く」と22時に。

午前四時半とかの新宿は、夜明け前なのに雀がチュンチュンいってた。
歩いてる人は、飲んで始発で帰る感じの。
だるそうだったり、まだ遊び足りなさそうだったり。

新宿駅には15分で着いてしまい、始発まで結構時間が空いた。
品川で京急に乗り換え、羽田行き特快みたいなのに乗る。
始発の飛行機に乗るらしき人たちは意外とたくさんだった。

カウンターに直行して手続き。
前髪切ろうと思って持ってきたハサミは預けなきゃならなくてミス。

年会費無料期間内に解約予定の楽天プレミアムを満喫するため、搭乗待ちフロアのラウンジに入った。

おひとり様2個までのクロワッサン1個とコーヒーと牛乳飲んだ。
視界のなかではすべての人がクロワッサンが入った口をもぐもぐさせていた。
時間がないので飲食済んだら即出。
でも飛行機は10分遅れ。

遅れたけど無事に新千歳に着いたので
またラウンジ。もと取るために野菜ジュース。(退屈なので長くはいられず)
飛行機に乗る寸前に正子さんに電話した6時半。

まっすぐ大麻行って包括支援センターで話を聞いた。
やっぱり何もかも安心てわけにはいかない。
期待してなかったけど、やっぱり軽く失望っていうか。
つまるところ期待してたってことだな。

まあそれはいいとして、二番通りでバスに乗って病院へ。
北海道中央バスはのんびりしてる。
おばさんが普通に長々質問しても、運転手さんが余裕で自然に応対してたから。
(東京には、ヤクザかと思うような態度の悪いバス運転手がしばしばいる)

病院着いたら、役所の福祉課の人やらお医者さんやらが「待ち構えてた」と言っても過言ではない。
(お父さんはそんなに迷惑かけてる状態なんだろうか?と不安がよぎったり)

お医者さんはランダム勤務で日頃から過酷な労働状態なんだろうと思う。
福祉課の人も公務員なのに土曜日出勤して半日つぶれたりしてる。
みんな大変というか、なんだか申し訳ない。

お医者さんの傍らには正子さんもいて、皆で面談室に入った。
痙攣を3回くらい繰り返したお父さんは、ヘルペス脳炎が疑われ
2日くらい前から「入力と出力を合わせないと」って言ってパンツ脱ごうとしたりと奇行があったのが前兆だったと考えられると。

病名言われて深くはわからなかったけど、脳細胞が傷ついたら何が起こる可能性があるかは思い当たった。
でも目の前にはショックで口半開きでまばたきもしてない廃人のような正子さんがいる。
それに結果が確定したわけじゃないから動転してもしょうがないので冷静に面談続行。

正子さんの状態のことも説明された。
依存心が強くなってるとか、本当のうつだったらこういうふうじゃないとか。
私はそうは思わなかった。

正子さんはどんなときでも言葉がよく出てくるけど、考えてることと発語が直結してるタイプなだけで
「こんなに喋れるからある程度しっかりしてる」とかでは全くない。
どうしてこう思いがすれ違うのか不思議だけど、私にはどう見てもパニック状態と映った。

あと正子さんは自分の状態について説明をよくする。
「だから誰かどうにかして」っていうアプローチだと受け止められてるみたいだけど
それもそうじゃない。
ただ自分が、とっちらかってる自分の状態を分析したくてアワアワしてる。
自分のことを哀れっぽく表現して甘えようとしてるのとは訳が違うということが微妙に理解されてない。

いやこれ言っても理解されないかなあと思ったけど
うちのダンナさんがそうなんだけど、正子さんも発達障害系の可能性がある気がするって言ってみた。
お医者さんにそういうこと言うのは失礼にあたるかとも思ったけど
あんまり決め付けられてるから。正子さん絶望してるし。

実際は、発達障害系とは言わず、通りがいいかと思ってADHDって言ったんだな。
「ADHDにもいろいろなタイプがあるしその問題はどうのこうのだから」
ってお医者さんがスルーを望んだので、とりあえずそっち方面の話はストップ。
でも、正子さんが単なる怠け者とか甘えた性格の人ではないこと、きっかけがあるとメンタル悪化しやすい性質であることを念押し。

そのうちお父さんが検査室から戻って来たので病室へ。
薄く目が開いたりするけど意識はなく、なんかしきりに咽喉が動いてたまにむせる。
お医者さんに、これは?と聞いたら「つばを飲み込む動きです」って言う。
でもお医者さんが立ち去った後、看護婦さんが「痰が苦しそうですね」って口と鼻からチューブで吸引して行った。

しばらくそこで正子さんと話合って、請求書とかのことで判断ができなくて困ってることがわかったので
とりあえず実家に寄ってそれらを回収することに。

部屋から出ると福祉課のスズキさん(八島ナントカみたいな人)が待っててくれて、車で送ってくれた。

正子さんは食欲がなく、でも薬飲むから何か食べなきゃと思って、まあ一日に、バナナ一本と細いレーズンパン2個
くらいを食べる生活を
退院してから二週間くらい続けてる。
そのことを心配して、スズキさんがスーパーで買い物するよう促して寄ってくれた。

何を買っていいかとか、食べたい物がないからわからない正子さん。
「いままでできてたことが失敗するようになってる」ということから
とりあえず低栄養でアミンだのコリンだのが欠乏してると思われるので、タンパク質を補給したいところだけど、乳製品は得意じゃないということ。
食べられそうなのは冷たい野菜ということで、きゅうりとトマトと豆腐と、あと角食三枚と、確かコーヒー好きだったので、カフェインが効くタイプかもと、強引にカフェラテ的なものでカロリー高いやつも三本。

あと正子さんは仏花に目を付けた。
やっぱりちゃんとしたい人だ。

そういえばそれ、生けてくるの忘れた。
正子さんも忘れてて、思い出したら枯れてて、また落ち込んだりしたらやだな。

家に着いたらスズキさんは私に「帰るとき電話ください、駅まで送りがてらお話しましょう」と言っていったん役所へ。

正子さんの状態から、家はあれてるかなと思ってたけど、ものすごく綺麗だった。
そう言うと、正子さんは「物動かさないから」と。

正子さんが直近一番怯えてる件、支払い通知を拝見。
よく見ると支払い通知じゃなくて口座振替日のお知らせだった。
メンタルと片目の白内障から視覚的な処理力もどん底状態の模様。

とりあえず広く郵便物を怖がっているので、郵便物の内容切り分け。
もう一通くらい振替通知があったかな。
あとはダイレクトメール類。

通帳を見せて貰うとは引き落としが3つの口座にまたがってて、収入(お父さんの年金)がある口座はいいとして、残り2つにお金の補充に行くのが体力的に厳しく、振替できませんでした通知が来たりしたらしい。
それをお兄ちゃんが見て「こういうのが一番怖いんだ」と言ったのが正子さんの脳に焼き付いてる。

正子さんはそもそもお父さんの指示なしにお父さんのお金を動かすことが苦手だったりもするようで、心身ともに高負荷かかる。

というわけで、二つの通帳の月間引き落とし額を概算。
たいした金額でもないし、私が毎月そこに振り込みしとくことにした。
それが恐縮屋の正子さんの負荷にならないように、あと一年で正子さんの年金受給が始まるから、それまでの間、と期限を設けた。

あと郵便物は私んちに転送されるようにしますと言った。
定額給付金申請書も来てたので、それは持ち帰り。

ちょっとは落ち着いてくれたかどうか、表情からは判断厳しいところ。
また来ます!と手を振って見送りに応えた。
正子さんも緩慢ながらも大きく手を振っていた。

車内で「どうでした」「こうでした」とお話。
スズキさんはJRと中央バスの時刻表をコピーしてくれており、乗り換え電車に印をつけてもくれた。
なんかサービス向上してるよなあ、お役所。
なにせ大変恐縮した。

さて、ここからは長いから、と淡麗二本とオニギリをキヨスクで購入。
しかし、予想外にのんびりしてる間もなく砂川駅到着。
私は時間の計算がドンブリ勘定なので、時刻表を見ても気づかなかった。

駅からバス停が離れてることは過去の経験から知っており、グーグルマップであらかじめ確認しといた。
しかしやはり迷った。
開いてる店も通行人もほとんどないわけだけど、どうにか二人の人から情報を得てライドオンバス。
今度こそ長いはずなので、駅で買った黒ラベルロングと蒲鉾。

田舎のバスは乗客の会話がまる聞こえで楽しい。
(全員老人で耳が遠いため声がでかい)
病院行くときに乗った中央バスもそうだったけど、料金投入口の上がおしぼり布巾で塞いであるのは何故なんだろう。
(透明の賽銭箱みたいな物が手前の床上20センチくらいに据え付けて、というかピンクのビニール紐で吊った状態で台の上に置かれており、それが料金箱という暗黙のルール)

ともあれ宿泊先に着いた。
良かった、バスがある時間に間に合って。

食事の時間はいかがなさいますかと聞かれて、いつでもいいですすぐでもいいですと答えたら、17時半に運ばれて来た。

お酒は自販機で買うシステムなので安上がりでいい。
なんだったか忘れたけど北海道っぽい発泡酒的なものをロング二本と、予備の黒ラベルロングを。

料理は、年寄りがギリギリ食べきれるくらいの量で、程良かった。
漁業も農業も畜産もやってないエリアのわりには内容も悪くはないと思う。
なんちゃら鍋も、うまかったし。

飲食終わって下げ膳してもらったら、布団も敷かれていた。
ちょっと横になろうと思ったら寝てしまい、気づいたら23時半。
それはちょうど、浴場が閉まる時間。

しょうがないからまた寝ようとしたけど部屋の中に紛れ込んできた虫(ベランダ開けると目の前が山)がしきりにどこかに激突を繰り返してる音がする。
電気つけてまた消してまたつけたら、布団の上に小さな昆虫。
コガネムシ的なやつだ。
カメムシじゃなくて良かった。
ベランダに放した。

虫といえば、お父さんトリコマイシンの点滴されてた気がしたけど、脳に虫か真菌がいるんだろうか。

と気になりだして、ググってみた。
トリコマイシンの件はよくわからなかったけど、ヘルペス脳炎は、常に頭痛がつきまとう後遺症が残った人が、
「かなり軽いほうだと言われた」と書いていた。入院期間も長く、面会者が誰なのか思い出せなかったり。

直面したら動転する可能性はゼロじゃないけど、私は先のことしか考えないタイプだから、あるがまま受け入れて対応するだろう。
てか飛行機に乗る前くらいには覚悟が決まってた気もする。
(常に最悪ケースを想像して先手を打つ癖が)

でも正子さんはどうだろう。
お父さん治らなかったら餓死してやろうと思ってたの。
てポロっと言ってたよな。

うちのお母さんは正子さんより4つ上だけど、幸い目立って悪いところもなく(髪の毛も真っ黒)働いたり山登ったり同じ園の人と酒盛りしたりしている。
正子さんだって女の一人暮らしを楽しんだって(楽しいばかりじゃないだろうけど)いいはずなのに、あまりに寂し過ぎやしないか。

そんなこんなで自分にできそうなことを考えたりメモったりして
また侵入してきた虫と一緒に朝方ちょっとウトウトしてから、6時半に浴場へ。
時刻表見たりしてから7時半にゴハン。食べ終わったら少し休んでチェックアウト。
宿の並びにあるお婆ちゃんが住む老人ホームっていうかケアハウスへ。

土曜日なので、広めの事務所に続く受付の中には一人しか人がいなかった。
部屋の位置を教えてもらい、おばあちゃんの部屋のブザーを押してみたけど
聞こえないみたいだったからガラっと開けてみた。

ちゃんと身づくろいしたおばあちゃんがベッドに横になってニッコリしてた。
最初わからなかったみたいだけど、大きい声で「おばあちゃん、ケイコ」って言ったら
「あらまあ!」と体を起こした。

ここに座んなさい、と低い籐椅子を示されて座った。
いきなり
「おばあちゃんは長生きしすぎたの。もう死ぬから、いらないものどんどん捨ててるの。ケイコちゃんそこの箪笥開けてごらん、着られるのあったら持ってって」
と言われた。

何歳だったか忘れたけど、九十代なことは確かだ。
こないだお兄ちゃんが来たときには通帳託したと聞いた。
事情を聞いて、お父さんとはもう会えないと覚悟したらしい。
でもそれも、お父さんももう老人だから仕方のないことと受け止めてる。
私にも、持ってる現金とか寄越そうとした。

服を何着か風呂敷に包んでもらった。
素材も悪くなくレトロな味があり、案外着るかもしれない。できれば着たい。

株を買った話をした。
おばあちゃんは昔、株で儲けてた当時、膨大な量のノートをつけていたそうで
でもそれも捨てちゃった、見せてやればよかったねえ、と残念そうだった。

一時期白内障で目がかなり見えづらく、手紙が読めない時期があって
それ以来すっかり便りもしてなかったんだけど、今は手術で見えるようになってるので、またハガキを書いてと言われた。

1時間もいなかったかな。
おばあちゃんは「これで最後だね」って終始ニコニコで清々しく言っていたけど
おばあちゃんが思うほどには早く死なない気がするので、また会いに来る。
ちょっと遠くてあれだけど。
元ダンナさんから貰った巣鴨のお守りを二つ渡して「一つは友達にあげて」と言ったら、喜んでいた。
もう死ぬから物はいらないというので、今度も持ってくるならこれ系だなと思った。

立ち去り際、「あ、ちょっと待ってケイコちゃん」と呼び止められた。
「お世話になってる園の人に挨拶してってほしいの」とのことだった。
私の前に立ってスタスタ(正子さんよりは)歩くおばあちゃん。
おばあちゃんはそういうことをキッチリする人だとわかっていたので
羽田で買って来た東京バナナ的なやつのコンパクトで個数が多いやつを手提げ紙袋に入れなおした。

該当の人は日曜日で不在だった。
おばあちゃんに紙袋を託した。
こういうのも次回はもっと高級品とかのほうが、おばあちゃん鼻が高いだろうな。

バス停に行ったら、1時間以上バスが来ないことが判ったので、グーグルマップで辿った道を歩くことにした。
駅までは10キロ以上あるはずだから、行けるとこまで。バスのルートをはずさないように。

考えたり涙したり写真撮ったり奇跡的にセイコーマートを発見して増田さんにお土産買ったり(やきそば弁当とカツゲン)
おにぎりウォーマーの写真撮ったりした。

ふきのとうがやたら生えてて、これ全くふきに似てないけど、どうやってふきになるのかなと気になった。
これだけ道々生えてるから、ひとつくらい中間みたいなのが発見できるかなと思ったけど、そういうのは全くなかった。
ググったらすぐわかるんだけど、こういうのはインターネットとかで知りたくないなと思った。
根っこがつながってて、ふきのとうが栄養源になって違う場所からニョキっと出てくるのかなあ。

途中、お母さんの実家付近を経由した。
昔は私もおじいちゃんのチビトラックの荷台に乗って山道を走ったり
ヤギの乳しぼってもらったり、温めて飲ませてもらったり、
物置裏の小川というにも細すぎる水の流れで、ドジョウつかまえて喜んだりしてた。

おばあちゃん一家は既にそこは売っちゃって、(持ってた山とかも)ずっと前に札幌の娘の家の近くに家建てて引っ越してる。
もう昔の家の位置を見上げても正確に検討つかなかったけど、付近に見たことのない国道?みたいなのができていて、車がそこそこ通ってた。

希望学園前、だったかでバスに乗った。
男の池沼の人が、バス待ちの間にずっと私の前を行ったり来たりしながら時々何か言うのがどうしても怖かったので、乗って後ろの席に座ったとき安心した。

バス代も三百円浮いたし、翌朝の味噌汁の具(ふき)もゲットしたし、歩いた甲斐があった。

駅に着いたけど次のスーパーカムイの到着まで30分あったので、コンビニか酒屋かスーパーのような店を探した。
昔来たことがある気がするスーパーがあった。
よく見たら、去年亡くなったおじいちゃんが働いてた前田ふとん店が側にあった。
とりあえずスーパーは閉まってた。

大通りで酒屋発見。しかし由緒正しい店で、第三のビールとかビール的なリキュールとかは無かった。
コンビニは当然なく、結局キヨスクが最大のお買い物スポットだった。

淡麗ショート缶二本とロバパンのチキンなんとかパン購入。

やっぱりあっという間に岩見沢、そして江別。
グーグルマップの記憶を辿って病院へ。

三日くらいは昏睡かと思ってたお父さんが、目覚めてた。
痰がからんで辛そうだったけど、喋れた。
「へえ、ずいぶん景気よさそうだね」とか
「今は100株でも買えるもんな」とか。
昔は1000単位だったの?ってきいたら「そうさ」とか。

手首ひねったりするのもやっとだったから、からんだ痰をティッシュで受けるのを手伝った。
眠かったら寝て、って言ったらそのうち眠り始めた。