「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は Nhatrang に田舎がある女性の友と会う約束があったので、いつもより早起きしてまとめをして、それから彼女と会いました。ベトナムに来てすぐの頃に2度会ったきりでネットを通じて話はしていましたがお顔を見たのはほぼ8ヶ月ぶりです。 彼女は日本語が少し話せるので私も楽に話が出来ました。彼女は私の日本語を一生懸命聞き取ろうとしていました。私も彼女の目を見て言葉を選びながら語りつつ、自分よりも力の小さな人に合わせようと意識することが出来ている自分を見て安心していました。安心の理由は、そうしている自分は 「人としてやさしい」 ように感じたからです。 そのうちに 「対」 という言葉が浮かびました。私は自分よりも力の小さい人と会話をするとき、私がその人の語ることに合わせることが出来て、その人が自分を語ることでご自身の言葉の面や心の面を深め、それらが彼女の心の満足につながるとき、私達は育ちあっているような気がしました。そして私はその人と私との年齢や性別や持っているものの違いを降ろした世界で「対」を感じることが出来ると思いました。 うまく言えないのですが生きるのに不必要なものを全部降ろして 「人として対である」という意味でいいのでしょうか。それはもちろん私の中にこの上ない心の満足として浸透するのです そういえばいつ頃のことか忘れましたが、あるとき 「力の小さい人が生きやすい社会が広がるとやさしい社会が出来る」 と感じたことがありました。 今、たまたま日本で生まれた私と外国の人との心を通した橋は、私の中で4つになりました。それらは心を基準にして生きる私の 「楽」の中で自然に出来た橋だと思っています。 本 『インナーチャイルド』 に 「人と人とを結ぶ橋は母親との関係の中で作られる」 というようなことが書かれているのですが、心の勉強を始めて間もない頃は「私にはこの橋がない」と悲しい気持ちになりました。でも今は、私の心を大切にしている分だけ、橋が出来ていると思えています。これからも増えていくといいなぁと思っています。
明日はサイゴンに帰ります。耳を澄ませば波の音が聞こえてくるこのホテル。寝付けない夜は、子宮の中で眠ろうとする私を手伝っててくれました。
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