「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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“解離”と“乖離”の違いを調べると、必らず解離性同一障害という項目がいくつも出てくる。その病名を付けられた人々のHPをめくっているうちに心臓がドキドキしてきた。 ドキドキの理由は二つ。社会には、私の体験していたものと同じ経験を繰り返している人が居るということ。つまり自分は複数の人格を持たされていたという実感再び。ふたつめは、自分は、その事実を受け入れ、理由を探して心の傷を癒やしてきたという実感。N1と出会ったその後も、時に離れ離れになるけれど、過去より独りとして楽に生きている。だから、プラスの鼓動だった。
誘われるように、2004年頃の日記を開いた。「生きる」 ということを勉強し、よく生きる練習しながら生きている私が居た。「死ぬこと」を目標にしていた過去からの脱出作戦のようだった。 してきたことを全身に感じたくて、右手に刷り込んだ。ところがその後、いつもと違う感覚が沸いてくる。私はいすから立ち上がって部屋の中を往復した。こんな言葉が沸いてくる。「生きてるんだ、生きてるんだ」。生きている自分を実感しているようだけれど、いつもとは感覚が違っている。 そのうちに、言葉は口から出てきた。 ようく心を澄ませると、自分は 「“まだ” 生きてるんだ」 と言っている。そして私は、生きていることの驚きより安堵のほうが大きいことを感じてる。 つぶやいているのは 私ではなかった。死にたかった自分。 「生きてるよ。生きてるんだよ、尚子さん」。 「いいんだ。いいんだ」 「いいんだよ。いいんだよ」 私が安堵を感じたのと同じくらいに、 “まだ” は “また” になって、その後に “苦しくない” が続いた。「又、苦しくない」 知らなかった。約6年前に出てきたとき、過去よりも苦しみが少ないことを感じていたなんて。 そう。「生きていても苦しくないんだよ。そうなんだよ」。 やっと、「ごめんね」が言えた。
今夜の私、心地よさの中にいたのに、FBしちゃったの? 一瞬にして違う人になっちゃったの? 真実はどうか、わからない。 でも、解らないこともいい。わかっていることは、私はありのままの自分に寄り添ってあげると一番楽だということ。私に一番大切なこと。
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