「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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| 2007年08月20日(月) |
ありのままということ |
暑さのせいか、バイクさんが力をなくしてエンジンがかかりませんでした。セルはあるけれど正しい使い方を知らないまま使ったら壊れてしまいそうなので止めました。知識を持っていそうな方に尋ねて様子を見ました。エンジンがかからなかったおかげで散歩が出来ました。歩くのも身体にいい。自然を見る事が心にいいのです。 夕方には空に薄く延びた雲がオレンジ色に染まってきれいでしたよ。 夜には台所でびっくりすることがありました。それは、8月15日に常滑海岸で獲ってきたイワガキが想像以上に大きかったこと。本当に驚いた。そしておいしかった。自分でとったものだからおいしさも格別でした。
“ありのまま”ってどういうことかな。 私は自分をよく見せようとしているのかな。よく見せたいという気持ちとは違う。よく見せる必要はないと分かっているから、それとは違う。
高校を卒業して就職のために大阪へ出てきたとき、私は自分のことが何も出来ない自然の法則に従って身体だけがかろうじて大人になった人間でした。だから、きっと仕事をするのは大変だったのです。 しかし、一年くらいたった頃には、私は周囲からひょうきんで身軽いさっぱりした人という印象を持たれていました。いつの間にか、頼りにされる人にもなっていて。始めのうちは受け入れられたことで自分をOKにしました。でも、しばらくしたら自分の内部とのギャップが息苦しくてたまらなくなりました。その頃は息苦しさの原因は分かりませんでしたから、「そうじゃない。私はそうじゃないよ。助けて。」でした。 そして、本当の自分なんて分からなかった。
何かを感じても感じたその時にそのまま表すことができなかった私。それで、1つの思考を状況や自分の心に関係なく同じように演じさせられてきて。心からそう感じてしているのではなくそうせざるを得ない環境で生き延びるためにそうしてきたのだから、生き延びてきた・演じさせられてきたその通りです。感じたままでいいのだから、感じるということに、大人だから子どもだからはありませんよね。年齢や性別も別のところ。
感じたものをそのまま感じられる自分を生きたいな。そして語りたい。私は今、病院職に戻ろうとしていのですが、仕事をする自分をイメージする時、自分の中にピンと糸が張り詰めるのを感じます。糸は張っていてもいいのかもしれないけれど、今はまだ、その糸は頑張りに近いです。自由なようで自由とは違うようで。 そして好奇心もあります。行った場所で、わりと楽しめることが多い。小さな石ころの中に面白いものを探したい気持ちがある。子どもの頃一人遊びをしていたから、楽しみを見つけることに慣れているのかな。 ということは、どこに居ても楽しめる私がいるということです。 だから、きっと大丈夫。どこで働いているとか何をしているかよりも、そこに居る自分がどうであるか、こちらが大切なのです。
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