「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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祝日。 寒い朝。予定していたカブト虫のお家を掃除しました。 それから、HPを修正。ブラウザに表示できなくなっている原因が少ーしわかり、わかったところをいじっているつもりがまたまたおかしくなってしまったり…。 目が疲れる前に止めているので、進みも少しずつなのです。 午後は電車に乗ってあちこち。私は車の運転も好きですが、電車に乗るのも好きです。運動目的に歩くのが好きです。
昨晩、インターネットでフィンランドの教育方法を見ていたら、フィンランドでは「子どものときから、徹底した個人主義」と書かれていました。 私も今は、個を大切にして生きています。 この頃の新聞には、「○○の会」という言葉が目に付き、仲間を募る心って何かなぁと自分に問いました。 ひとつのものを同じ視点で見れる人たちが集まり、仲間と仲間となるのでしょう。 小さな力でも、集えばたくさんになるから、世の中のおかしさを訴えるとき、たくさんの人が集うと、集った分の力でおかしさを訴えることが出来るのでしょう。 日本でも、時々、国の決めたことに対する反対集会というのが、開かれているのを見ることがあります。メーデーというのはその代表のようなものなのでしょう。 人数の規模はさまざまなのだろうけれど、知人の話によると、現在外国で見るような大きなデモは、日本では、60年安保以来無くなってしまったそうです。
ネットで見つけたHP、「ネット発声を挙げよう」によると、デモ行進をするには、警察に申請して許可がいるそうで、警察の許可を頂けばデモが出来るということに少しびっくりしました。警察は市民の安全を守るのが仕事なので、危険を防ぐために許可を頂くというのはわかりますが、私は自分のこととして捉えた場合、自分の“No”を伝えるときに、他者の許可が要るというところまで、つなげられませんでした。それに、私自身の経験から、先に記述した反対集会などに募っている人々は本当に100人が皆、心から望んでそこに居るのかな?という疑問も感じます。
声を挙げるとは、どういうことかな…。 もしも私がデモをするのなら、私は一人でします。 そして、私は自分の言葉で、より丁寧に伝えたい。 そして、このように感じられる自分を意識していたい。
でも…一人で、デモをしても、デモっていうのかな。
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