日英双語育児日記
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2006年06月15日(木) 保護と支配

Tに英語の読み方を意識的に教えているのは主に私で、Dは、主に、読んでやるほうに徹しているのだが、ときどき、DがTに、これ読める?というように特定の語の読み方を聞くこともある。

たとえば、この間は、アルファベット積み木でhugという語を作って読めるか、と聞いて、ハグと読めたら、じゃあ、これは、と語末にeを足して、再び聞いていた。

それをそばでみていた私は、「あー、そんなこと聞かないで。それはまだやってないよ。無理無理。ややこしいこといって、混乱させないで」とやきもきしていたのであった。

同じようなことは、先日、保育園で、家庭内日英二言語育児環境にあるお母さん仲間の英語話者の人と、いっしょに子供に英語を教えようか、という話が出て、一度トライアルでやってみたときにもあった。(結局この企画自体は、時期尚早ということで、延期になったのだが)。

彼女は、Tに、riceの読み方を説明するときに、cの文字にはソフトc(/s/の音)とハードc(/k/の音)とあって、この場合は、ソフトc、というような説明を始めた。そばで聞いていた私は、「あー、それはやめて。混乱するわー。riceはi-eの長母音読み語の例で、出てきたけれど、cのほうは、cakeやcatの/k/で導入しているの。riceの場合は、この場合は/s/になる、と言って、そこはまだ軽く流してあるから。。」などとやきもきして(でも、もちろん、そういうことは言わずに)見ていた。


結局のところ、私のなかには、Tの英語の読みの知識のインプットをコントロールしているという思いがあって、そして、だから、Tのアウトプットを予測できるという自負があるのだ。だから、Tが「まだ習っていないから答えられない」(と私には思われる)問いを、他の人がTに向けると、やきもきする。そんなことを、聞いても、答えられないのに、混乱するだけじゃないか、かわいそうじゃないか、という思いだ。

それは、Tを保護しているという意識であり、でも、同時に、支配していると考える驕りでもある。

もちろん、実際には私の保護・支配圏の外でも、子供たちは、いろいろな語に触れ、音に触れているのだから、何も、びくびく、やきもきすることはないのにー。


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