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若干気が触れているように振る舞え - 2003年03月30日(日)
こんばんわ、生活サイクル作りと維持がすんげえ苦手なアキヅキです。 今日は午前10時の来客の後、すぐさま寝ました。1時に寝て、午後七時に目覚めました。昼寝過ぎ。
■その答え、「ナマモノゆえに」。
えー、身内(特に友人)にヅカを見に行くのっていうハナシをするときは、何となく後ろめたいので「東京に行くの」って言います。遠回しにしようとして必死です(どうでもいい)。
因みに、3回同じ公演を見るって言うと、皆軽く正気を疑うのですが(朗らか)、答えはタイトルまんまです。気が触れてるっていうンじゃなくて、「ナマモノだから」(前者も若干は…)(うつむきつつ)。
本を読んで気に入ったら、何度も繰り返して読み直したりするかと。 映画も面白かったら、映画館に再び足を運んで行くとか。 好きなサイトがあったら、日参するかと。 同じ事ですな。その上、タカラヅカは再演をすると言っても、メンバの出入りがべらぼうに激しいので、1年も経つとキャストは結構、変わってくる。即ち、同じモノになるには、他の再演舞台以上に可能生が低いという事になります。 舞台だけでなくて、本でも映画、ドラマといったメディアでも、何度か繰り返して見て行くうちに解釈が変わるということがあるかと。 タカラヅカみたいにヒト組80人とかいうべらぼうな人数で、べらぼうな広さの劇場を使われると、メインの他にも端で何かやってるヒトが居たりもするわけです(首傾げ)。それゆえに、ビデオが残ると言っても、画面に映らない部分で起こっているコトの方が、いっそ多い(震)。
例。 記憶喪失になっていた主人公が記憶を取り戻し、フィアンセを思い出して歌う場面。 映像ではひたすら彼を写していましたが、実際に舞台を見ると、それとは違う離れた場所から、彼を助けた娘(=notフィアンセで主人公が好き)が、恋人を想っている主人公を見つめて、逃げるように立ち去っています。 映像に映らなかった彼女を見るか見ないかで、かなり解釈と言うか、見方が変わってくるわけです。
映像のために作られたメディアでは無いため、所詮は生で見ないと話しにならない(痛感)(アタシが)。
そして今、このヒトトキに公演されているものは、ムラ(=兵庫)と東京を合わせてもせいぜい2ヶ月ちょっと。まさに賞味期限のついたナマモノ(ぼんやり)。 あああ、書いてて切なくなってきた、ホントにあそこは刹那な場所だよなあ(どうした)。
ま、作品そのものが浅く、繰り返して見ても仕方ねえよって思うのもありますが(ドロ)。 そう言う場合は、ジャニーズとか好きな人にも解りやすい感情です、 「気になるあのヒトだけ眺めて」いれば、それはソレで楽しい(後ろめたいですが)。 あと、ヅカは前述、大変な団体競技ユエに一回見たくらいじゃ、端のヒトまで目が行きませんなあ。よりどりみどりで綺麗なヒトが並んでるので(何て事を!)(誤解されます)(ヅカを)(そしてアタシも)。
ということで、改めて結論。 「この期を逃せばもう有り得ない、なら見られるうちにめいっぱい喰え」。
その後は、自分の脳内再生だけが頼りです(…)。
あァ、一生懸命になって正当化してみました。 どうだろう?(最後辺りにダイナシー!)
因みに、今の気分は遠足前の幼稚園児と、危なっかしいコを見る親心と、両方を孕んでいます(振り回されっ放し)。 公演が始まって、色々と耳にしています。 やはり今回はショーメインに見るべきなんだなあ。 うわー、ダイスケ(演出家)有難う!中詰めと薄ピンク最高!(意味解んない!)
……近くなって来ました。 やはり軽く気が触れているようです(青褪め)。
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