矛盾があって、悩みがあって、迷いがあって、後悔して、痛みがある。 - 2004年08月21日(土) 今朝、電車を降りるときに、お年寄りの集団がドアの前に立っていた。 ドアが開いて、降りようとしたんだけど、その集団がドアの前に立ったままでスムーズに降りることが出来なかった。 「電車の乗り降りのマナー知らない大人もいるんだなぁ」とふと思った。 そのお年寄りは、電車の乗り降りのマナーを知らない。 でも、僕は知っている。 そのお年寄りは、きっと子育ての苦労を知っている。 でも、僕は知らない。 いや、お年寄りが知っているのは、あくまで子育ての苦労のある一つのケースを知っているに過ぎない。 ということは、僕が知っている(はずの)電車の乗り降りのマナーも、ある一つのケースに過ぎないのだろうか。 村上春樹は、僕が惚れ惚れするような小説(例え批評家からファーストフードだと言われようが)の書き方を知っている。 僕は、自分ですら感心するようなものは書けない。 村上龍は、愛と暴力について(ある人から見れば)とてもすばらしい文章を書くことができる。 僕は、自分の中の愛や暴力に関して、その欠片すらも見つけ出せていない。 唯川恵は、恋愛に関してOLが共感(僕はなぜ売れているのか分からないが)するものを書ける。 僕は、恋愛に関して何もわかっちゃいない。 L'Arc〜en〜Cielは、郷愁をうまく表現することができる(最近は少し変わってしまったけども)。 僕は、自分のことすらうまく表現できずにいる。 椎名林檎は、自分自身に問い続けることのできる(最近は更にその傾向が強まっているような気がする)ある意味で強い女性である。 僕は、自問したとしてもどんな解決方法も導き出せていない。 僕はこうやっていくつの例えを挙げれば気が済むのだろう。 一つ例えを挙げるたびに、僕には何一つも備わっていないことを自覚し、同時に一つずつ何かを失くしていっているような気がする。 一年前の僕にはできなかったことができるようになっている。 それはとても嬉しいことだ。 一年前の僕に、微分積分の計算はできなかったし、 もちろん漸化式やエネルギー保存則、金属イオンの系統分離(これはまだ覚えていないけども)なんかもまったわからなかった。 それでも確実に生きていたし、エネルギー保存則について考える必要もなかったわけだ。 それから一年後の、つまり今の僕は基本的な問題であれば大抵は解けるようになっている。 めまぐるしい進歩だ。 いや、進化に近いのかもしれない。 ただ、この一年で失くしたものもある。 例えば、それはあなたであるし、いつでもドライブができる時間であるとか、2,3時間かけて日記を書くといったようなことだ。 ほら、やっぱり得た代わりに失くしていっている。 でも、そんなに悲観するようなことでもないような気がしている。 進化というのは、自分の都合のいいように進んではくれない。 時には過酷で、時には残酷なものだ。 進化とは、孤独との戦いのような気もする。 ここで進化論を議論する気はないんだけど。 どこへ向かって、どれだけ歩けば、あなたの元に辿り着けるのだろうか。 世の中っていうのは、矛盾だらけだ。 BGM:意識/椎名林檎 ...
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