風の行方...深真珠

 

 

僕的ラルク論・詩の世界 - 2001年12月11日(火)

今日から数日に分けて、ラルクについて語りまくります。
僕自身は音楽に関して、楽器一つすることも出来ないど素人なんですが、
感じていること思っていることをできるだけそのまま言葉にしていくつもりです。
アホなラル狂の虚言とでも思ってください。
本当に僕の価値観で話をしていきますので。
とりあえず、詩・曲・世界観・今と昔・hyde・ソロ活動と解散説などなど、まだ具体的には決めていないのだけどテーマ別に話をしていきます。

「詩の世界」
詩だけをとりあげて語り尽くすのは無理だと言うのはわかります。
詩・曲・世界観など様々なものがリンクしあって生まれているのだから当たり前です。
が、ここでは敢えて詩をより注目して見ていきます。

「ラルクの詩は、非常に情緒的で「郷愁」さを感じる。」

うまく説明できないけど、言葉で簡潔に言えばこんな感じだろうか?
具体的にどこがよ?と思う方が多いと思います。
なのでっ!!明日辺り、2.3個紹介したいと思います。
著作権とか触れることがあれば、即削除します。

ラルクの詩は、時間と共に変化してきている。
初期の段階では、彼らは自分自身や過去に犯した罪や自然(万物に対して普遍なもの)などに縛られて身動きがとれない感情を表に出してきている。
自分自身の置かれた場所が未確定でとても不安であり、空という違う空間や夢の中といった非日常の世界へ強いあこがれに似たものを抱いているみたいだ。
社会に対する漠然とした不安や未来に対する重圧なども含まれているのではないかと思う。
この頃はすべてのことが抽象的な雰囲気を与える。
花と言っても、ひまわりなのか薔薇なのか桜なのか不確定だし、
感情に関しても、「何か」を感じるのだけどそれは何?みたいな言い回しが目に付く。
「あなたが好きです」みたいな詩であっても、ちょっと自虐的な方向に走り、
伝えられない想いを諦めるとか伝えればそれでいい。みたいな考え方よりも
その感情を抹殺してしまえ!あ〜、もうウザイから俺の感情ごと消え去れ!!みたいな思考過程が見えてきて、
そういうところがすごく好きなんです。

常に感情が内側を向いていて、聞くたびに胸のところを思いっきり握りつぶされそうな感情に襲われて、
傷口なんて塞がっているところも無理矢理開こうとしちゃうし、新鮮な傷口なんてのは出血多量になるくらいまでかき回されてしまうんです。
でも、すっきりしちゃうんですよねぇ。不思議です。

情景描写も非常に繊細で、目の前にその光景が浮かぶのでとても感情移入しやすい流れになっていると思います。
そこがやはり情緒的だと思う最大の要因だと思うし、
触れてしまうだけで壊れそうな感情と世界観がそこには存在するのです。


さて、最近の傾向ですが、
やはり社会に認められるようになったことや個人としての成長、またはメンバーの起こした事件のせいもあるのか非常に現実直視であると思う。
以前の精神的な不自由さや束縛感とは違い、
社会からの重圧とかファンの肥大化とか活動休止などにともなう周りの反応などが台頭してくるのだ。
いわゆる「メジャー」なバンドになる階段を上がる際には、これらのことは予想がつくだろうし、本人達も思っていただろう。
しかし、それが予想以上であったことであるとか、自分たちと周りの歩む速度が違うことに彼らは違和感を感じ、またそういう違和感の中で自分たちは活動していかなければならないことは分かっていると思う。

内面的なものも着実に具体化の方向だ。
「アネモネ」「snow drop」など、花に名前が付くようになった。
○○の花!と言うと色や形から思考範囲が限られてしまうのだろうけど、
きっと今の彼らはそれで構わないのだ。
その花から連想されるものと自分の感情の行き着く先に共有点を見つけているから○○の花だと断定できる。
昔は、共有点を見つけることが上手くなかったし、自信がなかったのかもしれないという予想が出来る。
それとだんだんいろいろなものを認められる傾向にあると思う。
昔は、重力や四季や風雨などが非常に苦痛であったのだけど、
今では、それが身の回りにあるのは当たり前だ。といった考え方。
だから、そういうものに変化を求めるのはなくて、
自分自身が変わる必要がある。と言ったような想いを感じる。

最近はグーで思いっきり殴られるような想いになっても、
握りつぶされるような想いに駆られることはない。
軽く脳震とうを起こしても自然と回復してくるのだ。
昔の傷口を下手にいじられる心配はない。
ややトゲトゲしい印象が今では丸に近くなって、
こっちが触っても殴ってもびくともしないような彼らの意志を感じさせてくれるのだ。
彼らが地道にやってきて勝ち取ったものであると思いたい。

昔は
「自由になりたい」→「空を飛びたい」→「僕には羽がない」→「羽が欲しい」→「でも手に入らない」→「僕はどうすればいいの?」
今は
「自由になりたい」→「空を飛びたい」→「僕には羽がない」→「地上であがいてみるか」
みたいな違いがある。
注)もちろんこのような短絡的な連想はしていないのだけど。

昔「鳥は自由だ」
今「鳥も不自由だ」
みたいな認識自体の変化もあると思う。

昔から今へ「進化」しているのかと言われたら、僕は答えられない。
しかし、確実に「変化」してきている。
それは詩を見れば一目瞭然であるし、好みもかなり変わってくると思う。

ミュージシャンの中でラルクだけがすばらしい詩を書いているかと言えばそれは間違いだし、
文学的に考えても直木賞は到底無理だろう。

でも、僕は好きなんですよね。うへへ。


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