負けないように、強く。歩き続けられる強さを。
どこへ だれと みらいへ きみと

 

 

 
oOO 頭イタイ
2002年06月17日(月)

キングダムハーツは私には合わないことが判明。
めちゃめちゃ酔って頭いてぇ・・・・
その上、移動がスティックなんですよ!!!
ハッキリ言って使いにくすぎ。やりにくすぎ。
ドナルド達に会う前にギブアップしました。
うーん、もうちょっと進めたかったんやけどなぁ〜
もうやらないでしょうね。
せっかく貸してくれたのにごめんよ・・・>あだみ


今日は暗幕を返しにいって、本当に芸練が終わってしまったことを実感しました。
むぅ〜、メディセン前の下を覗くクセがついてしまったさ(泣)
楽しかったなー。
まあでも、小道具班の人とは相当仲良くなれたんで。
残るものがあるのなら、終わっていくものも潔く見送れるでしょう?



頭痛すぎなんで、今日はここまで。
明日はサークルの皆とサッカー観なあかんし!
体調回復しとかないと(わくわく)

おやすみなさいーーー。


(追記:どうでもいい話↓)

母と話していて、何でこんなに大学が居心地いいんだろうという話になった。
それはきっと、「言葉が通じる」からだろうという結論になった。

小学校の頃、自他共に認める本の虫だった私は、普通にしゃべると相手に分かって
もらえないことが多かった。
理由は簡単、周りの子よりも語彙が多すぎたのである。
言葉が通じないが故に、私は相手に通じる言葉を話すよう、自然と努力するようになった。
たとえば漢字を平仮名に変換して話すような。
そんな感じで、いつも喋るときは「自動変換」をしていたように思う。

それは、中学生・高校生になっても変わらなかった。
いろいろな事を知り、抽象的なことを考えるようになって、
それもまた「何か難しいこと考えてるんやねぇ」と言われ続けた。
大体において、私の考えること、感じることは人とは違うらしかった。(笑)
また、『通じない言葉』が増えたと思った。


大学に入って、驚いたのは、そういった言葉が普通であること。
私が押し込めてきた感性を、普通に交わしている子達がいた。
そして、私がどんなに自由に喋っても、相手が理解してくれるのである。
教育学部には心理学を目指して入ってくる子も多いから、抽象的な言葉でさえも
通じやすい。

驚いた。
「外国語を喋っていたのが、母国語で話せるようになったような」と母には形容したが、
まさにこれが言い得ていると思う。
自然に喋ってもいいというだけで、こんなにも生活の全てが心地良いとは。

「大学は楽しい?」とよく聞かれる。社交辞令も含め、だが。
そのたびに答えに迷う。
イベント的に楽しいことも多いが、自然体に戻っていられる方が嬉しい。
大学に関して一番に思うことは、まずそれなのだ。
でも、それは『楽しい』というよりも『楽』に近く、楽しいかときかれるとそれは
また微妙な話なのである。
もちろん腹の立つことや、落ち込むことも多いし、何より私は、やっぱり他人といる
だけで疲れてしまうから、正負のどちらかで聞かれると相当答え難い。

とこういうことを書き出すと、どうでもいいやんと思われそうなので、このへんで
やめておく。(笑)
相も変わらずとりとめのない話である。


   
現在 今まで
 

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