日記のような語りのような。

2004年03月31日(水) 君がいるから6 <ムウラウ>

結局、家の中のどこを探してもラウは見つかりませんでした。
どうしようもないと思ったムウさんは、ちゃんと着替えを終えて玄関の扉を開きました。
ラウの飼い主だと名乗った男の人は、先刻と変わらない場所に変わらない体勢で立っていました。

「あの、申し訳ないんですが、あいつどっか行っちゃったみたいで……」
「え?」

男の人は少しだけ顔をしかめました。
当然の反応でしょう、ラウを引き取りに来たというのに、肝心のラウがいないというのですから。

「どういうことですか」
「っあー……。それがですね、昨日帰ったらいなくなってたんですよ」
「しかし――」

そのあと、男の人はなおも食い下がりましたが、ムウさんにとってはいないものはいないのでどうしようもないのです。

「なんなら、うちの中探してみますか?」

困り果てたムウさんが最後にこんな提示したことで、男の人はまだ訝しげな目でムウさんを見つめていましたが、どうにか納得してくれたようです。

「わかりました。――ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありませんでした」

小さく溜息をつくと、礼儀正しく深々と頭を下げる男の人に、ムウさんも慌ててしまいました。

「いやあの、こっちこそすいませんでした」

へこへこと同じように頭を下げるムウさんに、男の人は少しだけ苦笑したようでした。
それでは、と云って颯爽と身を翻す男の人の背中を思わず見送ってしまいながら、ムウさんはアパートの前に止まっている黒い車に気付きました。
それは、こんな住宅街では滅多にお目にかかることのできない高級な車でした。
車の名前にはそれほど興味がないムウさんですが、それでもその車がとても高いものだということはわかります。

「どうしてこんなとこに……?」

ムウさんの疑問は、このすぐ後に解決することになります。
なんと、ムウさんの家に訪ねてきた男の人が真っ直ぐ運転席に入っていったのです。

「まさか」

ムウさんは思いました。
あんなどこぞのお偉いさんが乗るような車の運転席に入った男の人。
もしかしたら彼は、本当のラウの飼い主ではないのかもしれません。
ラウはどこかの偉い人の飼い猫で、あの男の人は偉い人の部下や秘書のようなものだったのかもしれない、と。
確信めいた想像が、ムウさんの頭に浮かびました。
さらに、ムウさんの貼った少ない貼り紙さえ見つけてここまでやってくるのですから、ラウは相当可愛がられていたはずです。

「じゃあ、どうしてラウは……」

なぜ、おそらくは最高レベルだったであろう生活から離れていたのだろう。
疑問を持たないわけがありません。
首を傾げながら、けれどもういなくなってしまった猫のことを考えても仕方ないと思いながら、ムウさんは部屋の中に戻りました。
ラウのいない部屋。
たった1週間ほどでも、ラウの存在がどれほどこの部屋を占めていたか、ムウさんは今になって知りました。

「こうなってみると、結構寂しいもんだな」

悲しげに笑って、ムウさんは冷蔵庫からミルクのパックを取り出すと半分ほど残っていたものを一気に煽りました。
空になったパックをゴミ箱に放り込み、また寝ようとベッドに向かおうとしたそのときです。
窓の外に、見覚えのある影がありました。

「……え?」

ラウを探していたときに閉めた窓の向こうからこっちを見つめるもの。
真っ白な影。海の色をした深い青。
ほんの数分前まで、どこを探してもいなかったそれ。

「ち、ちょっと待ってろよ」

ムウさんが慌てて窓を開けてやると、白いそれはするりと隙間を抜けて部屋の中に入り、ムウさんを見向きもせずにいつもの場所へと向かいました。
お気に入りの毛布に顔をすり寄せ、身体を丸める様子は本当にいつもと変わらなくて。
どうして同じ光景が目の前にあるのだろう、とムウさんは信じられない思いでいっぱいでした。
けれどそれは、確かにムウさんの前で起こっていることで。

「――お前、本当の飼い主のところに戻らなくていいのか?」

思わず零れた声が届いたのか、ちらりと上がった目線にムウさんはどきりとしますがそれ以上の反応がないのはいつものことで。
どうしようもなくおかしくなって、ムウさんは緩んでしまう頬を引き締めることができませんでした。


「おかえり、ラウ」


1人と1匹は運命的に出会い、こうして共に暮らすことになったのです。


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紗月 [MAIL]