徒然日記
モクジカコミライ


2006年12月25日(月) 父の死に際して

父が亡くなりました。
63歳でした。もう、18年近く会っていませんでした。
18年ぶりの顔が死に顔でした。

なんだか眠れないので気持ちを書きました。
無駄に長いのでお暇な方だけどうぞ・・・

そして、今日知った嬉しい事実。
父方のいとこは、まだ全員未婚!!(私より年上も)
母方のいとこ(大学生の一人除く)は、ほとんど結婚してしまって肩身が
狭かったので、ちょっと嬉しい(笑)







私は、父にとても似ている。
日焼けをしていない箇所の皮膚の色は、おぞましくなるほど父親そっくりで白い。
時々、自分の皮膚を見ては、父親を思い出していた。

お酒が入ると、自分の中に父がいるように感じた。
お金もないのに、おごってみたり。
普段いえないことをお酒の力を借りて口にしてみたり。
暴れに暴れて、「暴走特急」とあだ名をつけられてみたり。
酔っている自分をどこかで冷静に見ている自分が、感覚的に思った、
おそらく父が酔っていた時も、同じ気持ちだったのだろうと。

血は水よりも濃いとは、よく言ったものだと思う。

14の時に両親が離婚してから、一度も会っていないのに
私は歳を重ねるごとにどんどん父に似てきていた。

私の父は、酷い父親だった。
よくテレビドラマに出てくる「酷い父親」の典型のような人で、
アル中で、ほとんど働かず、そのくせ「女は外で働くな」と母が外で働くことを許さなかった。
あっちこっちで借金してきては、母が内職や、新聞配りをしては、返済をしていた。
それだけでは足りるはずもなく、母は、自分の妹にも借金をして返済をしていた。
酔うと人格的にも、ありえないほどに酷い人だった。
父が母を、怒鳴り散らしている風景が、今でも忘れられない。

でも、私の父は、決して悪い人ではなかったと思う。
お酒さえ飲まなければ、普段は優しい人だったような気がする。
ただ、酔っている姿が強烈に記憶されているがために、普段の姿をあまり覚えていないので
断言はできない。
とにかく、私は、父が怖かった。
いつ怒り出すのか予測がつかない。
どのタイミングで怒り出すのか、分からない。
家の中は、つねに緊張感が充満していた。
私は、そのために、小学生の頃は、自殺をしたくてたまらなかった。
何度か、やりかけたこともあった。


それでも、お酒さえ入らなければ
もう少し、強い精神力を持っていさえすれば
社会生活を営めるだけの精神力だけでも持っていてくれれば、
悪い人では、なかったと思う。
ただ少し、弱くて、・・・弱い人だったように思う。

そして私は、誰よりも父の愛情を欲していたように思う。
けれど父は、妹の方を可愛がっていた。
離婚の時にも、妹だけでも残ってくれないかと懇願していた。


・・・ワタシハイラナインダ・・・


今でも、自分の中で、このときのやり取りが忘れられない。

だけれども、今、この歳になって分かるような気がする。
父と私は似すぎていて、父はきっと、私に近親憎悪を抱いていたんだと思う。
私もきっと、もし私と同じような子と妹とで選べと言われたら妹を選ぶ。
私は私が嫌いだから。
おそらく父も自分のことが嫌いだったのではないかと思う。

私は普段から新聞のお悔やみ欄を見るのが日課になっている。
14の時に離婚してから、ほとんど父とは連絡を取っていない。
正直、報復を恐れて居場所すら教えていなかった。
だから、きっと、父が死んだことを知るのは、新聞であろうと思っていた。
早ければ、母の親戚の家経由で伝わってくるかもしれないとも思っていた。

 

そしてその日は突然やってきた。

仕事を終えて、携帯を見ると不在着信が入っていた。
見ると妹からの留守電。
普段は用事があればメールをくれる妹なので、何かあったんだろうと思って聞いてみた。

「昨日お父さんがなくなったらしいよ」

父の死は、生まれ育った家の近所に住んでいた妹の幼馴染の家から、幼馴染に連絡がいき、
そこから妹へと伝えられ、私の元に届いた。

父親の死を聞いた時、自分はどんな風に思うのだろうと時々思っていた。

突然来たそれは、今まで味わったことのない感情。
悲しいわけではない、つらいわけでもない。でも、何かがこみ上げてくる感じ。
多分、この気持ちを共有できるのは、妹くらいだろう。
普通にお父さんがなくなった人に比べたら、私達は、それほど、大きな感情が生まれているわけではない。
でも、何かがこみ上げてくる。

父が死んでも通夜も葬式も行くつもりはなかった。
私は、父親の愛情が欲しかった分、父を憎んでいた。
今となっては、私の人生に父など存在しないから、憎むというほどでもないものの、
やはり、どこかで憎んでいた。

もし、私のお父さんが、普通のお父さんみたいに、ちゃんと働くお父さんだったら・・・
もし、私のお父さんが、尊敬すべき、お父さんだったら・・・
もし、私のお父さんが、まっすぐに私を愛してくれていたら・・・

私は、「自分を肯定する」という人生において、一番大切なことを苦労せずにできていたのかもしれないと
時々思っていた。
私が私を嫌いである理由のひとつに父親との関係が大きく影響しているように思う。

それでも・・・
妹も母も行くというので、私も行くことにした。
愛情と憎しみは表裏一体。


私は時々、離婚後、父が置かれている状況をうわさに聞いては、父の孤独を思って切なくなっていた。
父は、離婚後、結局、精神的に立ち直ることなく、10年前には糖尿病を患い、精神的にも鬱にも悩まされ
さびしい毎日を送っていた。
もう、アルコールで頭が少しおかしくなっている、というニュアンスも聞いたことがあるように思う。

私と母と妹は、紆余曲折ありながらも、今現在は、親子仲良く、凛や蓮にも恵まれて、本当に
幸せに暮らしている。
私は両親が離婚してから、幸せな暮らしを送れるようになった。
父の経済力では、大学に行くことなんてできなかったと思う。
それより前に、中卒の父は、女が大学に行くことを許してくれなかったかもしれない。
父がいなくなった、「家庭」では、安らぐことができた。
家に帰ることを怖がらなくてよくなった。

離婚は、私達に幸福をもたらした。

その反面で、父の孤独を思うと、時々会いに行こうかとも思った。
実際、家の前まで行ったこともある。

でも、怖かった。
お酒を飲んでいたら・・・と思うと怖かった。

そうこうしているうちに、18年近い歳月が過ぎてしまった。

そして父は、平成18年12月24日15時頃、心臓発作で他界した。
父と一緒に住んでいる父のお兄さんが外出先から帰宅したのが16時過ぎ。
すでに、帰らぬ人となっていた。


父は、一人で旅立った。
階段のところに、うつぶせに倒れて亡くなっていたのだと、叔父さんから教えられた。
脳内に14年住んだ家の階段が浮かんできて脳みそから離れない。

父の死に顔は、むくれていた。
私の父は、スリムな人だった。
男前だった。・・・18年の歳月と病気が、父の顔を変えていた。

それでも、涙は出なかった。
いまだに、まだ涙ぐんでも、涙はこぼれてはこない。

父は、私と妹の幼かった頃の写真をテレビの上に飾っていたという。
父は、無類のテレビ好きだった。
毎日見るテレビの上に、私達の写真をおいて、どんな気持ちで眺めていたのだろう。
そして時々、幼かった頃の私達のビデオを見ていたという。



その話を聞いた時だけは、涙がこぼれそうになった。






父がどれだけ孤独だったのかを思って、胸が苦しくなった。






18年ぶりに会う父方の伯父さんや叔父さん、叔母さん達に、いとこ達。
口々に「苦労させたね、申し訳なかったね。来てくれて本当にありがとう。
これで、火葬しても、悔いが残らない。お父さんも喜んでいるよ」と、私達に労いの言葉をかける。

そして今日、おばあちゃんが、6年ほど前に亡くなっていることも知った。
父方の一番上の伯母さんも。

私は、まだ悲しくない。
悲しいというのなら、今日、楽しみにしていたドラマの最終回が見れなかったことの方が悲しい。


明日のお葬式の後、私は何を思うのだろう。
きっと私の生活は何も変わらない。


14の時から私には父がいないのだから、何も変わらない。

 

ただ、ほんの少しの後悔が、私の中に生まれている。
会いに行けばよかった、と。

私が最後に父と話したのは、阪神大震災のとき、どこからか、私が被災したことを聞いた父が
10万円振り込んでくれて、そのお礼の電話をした時。

「お父さん、お金ありがとう」と言った私に対して「おぉ、よっちゃん、大丈夫か?」みたいなことを
言っていたような気がする。
でも、電話のリアクションが、少し、(頭が)おかしいのかな?というような雰囲気だったように思う。
あれが最後。
19歳の冬のあの会話が最後だ。
最後に、もう一度、会いに行けばよかった。
凛と蓮をつれて。

 

この後悔が、父を失ったという証拠なんだろう。



明日最後に父の死に顔を見る。

今の私は、父の顔を見たくて見たくてたまらない。
死に顔すら、写真に撮りたい、そんな気持ちすらあったりする。

 

言葉が次々に浮かんできてとまらない。
今夜眠れるかどうか分からない。
でも明日、仕事に午前中行って、葬儀に行って、また仕事に戻ろうと思う。
年末は本当に忙しいからね。

こんな忙しい時期に死ぬなんて、最後まで、本当に困った人だと思う。
そして、なにより、クリスマスイブに死ぬなんて、命日を忘れられないようになってしまった。
私は、これから毎年、相葉さんの誕生日を祝うと同時に父の命日だと思い出さないといけないんだな。
本当に、迷惑な人だ。



お父さん、もう寂しくないから。
先に逝ったあなたの大好きなあなたの義兄(母の兄)もあの世にはいるだろうから、
二人で思いっきりお酒飲んでください。
もう誰にも迷惑かけずに飲めるね。よかったね。

 

安らかにお眠りください。


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