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2006年07月19日(水)  三股四股当たり前に鼻で笑った
日曜の夜遅くにやってる、ドキュメント番組を見たんだけど。
小学6年生のクラスが荒れてるんだって。
小6でセックスするのは当たり前なんだよ、っていう子とか、三股四股当たり前の恋愛をしてる子とかいるんだって。「うぜーよ」とか「先生キモイ」とか言うんだって。

世の中からの情報が得られやすい世の中になったりした為に、今までの子供たちよりも思春期が早く訪れるようになったんだってさ。体はまだ成長もしていないのに。
クラスの様子を見ていると、その小学生の荒れっぷり?が、たとえば私が中学生とか高校生くらいにあったことだったような気がするんだけどね。

私が高校生のとき、担任の先生がすんごい傲慢な人で(東大の数学科を出てことを鼻にかけてたから! でも、そのクラスは進学コースだったので今思えば東大という難関校へのただの生徒のコンプレックスだったようにも思えるけど)、「お前を教育委員会に訴えてやる!」って、生徒に怒鳴られてたんだけど、なんかホントに笑えるよね。

だいたい、大人へ怒鳴るその言葉が、「教育委員会」だからね。
自分の力でむかつく大人を何とかしてやろうとしてるわけじゃなく、やっぱり頭の中では、教育委員会=権威に訴えかけ、お前を何とか痛めつけたい! ってことだろうから、まあ怒鳴られる教師も教師で生徒も生徒だね、という感じだけど。

あと、中学生のとき、本当に嫌な先生がいて、キモイっちゃあキモかったけど、その先生が校舎の裏側で掃除をさぼっていた生徒をグーで殴ったのを、ちょうど私と数人の友だちで目撃してしまったんですよ。2階のベランダから。で、「ヤバイ、見ちゃった」と思ってこそこそ隠れたんだけど、結局その教師に見つかってしまい。
で、なぜだか、職員室ではなく放送室(超密室で、音も漏れない部屋だから、何されるか怖かった)に呼び出されて「私が○○君を殴ったのを見たか?」と聞かれて、かなりビビッた。「見た」って言ったら何らかの形で口止めされるの?!って思えるような、このシチュエーション。怖いよね。
たぶん、その先生は不器用だったんだと思う。たぶん「もう殴らないから、(殴ったことを)怒らないで欲しい、責めないで欲しい」と言いたかったんだろうけど、なんてったって、密室の放送室ですからね。マイクのスイッチONにしてやろうかと思ったもん。マイクのスイッチちらちら見たもん。

その後、やっぱり私たちは「見た」と答えて、散々その先生に文句を言ったと思う。「暴力ってヒドイ!」とかね。言葉とは裏腹に少々『自分も殴られる?!』という思いで怖かったけど。
結構、そのことは学校中で問題になったかな……。その出来事の結末がどうなったかはもうすっかり忘れてしまったけど。

まあ、私の話しはおいといても、今の小学生ってこんなんなんだね。
教師にならなくて良かったと心底思った。(なる気もなかったけど)
体は小学生でも、頭がどんどん成長していって心がその成長に伴わなくて乏しいんだね。
もうそういう子は、渋谷の真ん中に3ヶ月くらい放っておいて、いろんな危ない目にあって痛い思いしたほうがいいよ。そしたら、多少いろいろ考えるようになるかもね。それで取り返しのつかないことになっても知らんけど。
というのは言いすぎだけど、こういうの見てると子供欲しいと思わなくなるね。こういう点が日本の問題?少子化を助長させる?

もうね、私の育て方はね、とにかく外へどんどん放り出すよ。
15歳か18歳になったら、出て行ってもらう。自分で生活してもらう。学費だけ出すから、生活費は自分でバイトさせる。ちょっとでも生意気になってきたら、自分で働いてやりくりしてもらう。「自分の責任の下、自由にやってもいいよ」って言うと思う。ただし、百回くらい耳元で「処女(童貞)は、たったひとつだけだからね。一回やっちゃったらそれでもう処女(童貞)はなくなるんだからね。その一回って後々までずーっと忘れられないもんだからね」って言ってやる。「処女(童貞)うざーい、早く捨てたーい」って言う女の子がいたけど、そういう子ほどただ強がって怖がってるだけなんだって。「初体験?はあ?そんなの忘れた。セックスって別にどうってことないし」とか言ってる子ほど全然覚えてるもんなんだって、それもあまり良くない思い出で。

その番組の最後は、その小6の生徒たちの卒業文集で「僕の先生は優しくていい先生です」っていう文章を担任の教師が読んで喜んでる、ってシーンだったけど、本当にあの子供たちがこの言葉を書くのか?本心か?大人を喜ばせる方法をこの子たちなら簡単に思いつくのではないか?と穿った気持ちをもってしまったのは、悪い大人になった証拠ですか。

まあでも、誰かの親になる前に、人を見る観察眼とか何があっても動じない気持ちを持っていたいですね。子供だけじゃなく大人同士でも言葉だけでは補えないものってたくさんあるもの。そして、誰かを型にはめて見るようなことはしたくないかな。昔の子供と今の子供は違ってきている、って当たり前だと思うよ。時代が変わってるというより、時が過ぎて行ってるからね。前例というものに頼ったり比較して、いちいち教育論文に取り上げることは、あまり実りあることじゃないと思うけど。

とかなんとか偉そうなことを言ってみたけども、何年後かに、自分に子供が出来て小学6年生になって、クラスの懇談会とかPTAとかで「こんなふうにクラスが荒れるのは、先生方に問題があるからですよ!うちの子は、優しくて『うざい!』なんていう子じゃないザーマス!」なんてヒステリックに言ってたら笑える。
真面目に考えたくない問題ですね。
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