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| 2006年02月07日(火) 貴重な存在 |
| 雪なんて降らなかった。 真夜中、雪まじりの雨のようなものは降っていたけれど、朝、目が覚めて窓をあけたら雪は少ししかつもってなかった。 とても残念。楽しみにしていたのに。 大学生の頃、友だちとコンビニで買物をして店を出たら、しとしとと雨が降っていた。 音大生だった私は、なんともロマンチックなことに『雨が降っているのは、誰かがどこかで泣いているからなのかもしれないね』と言った。自分でもあんなことを言ったことを思い返すと、ひどく恥ずかしくなって、どこかの穴にでも隠れたくなる。 だけど、一緒にいた友だちは、何にも恥ずかしがることもなく、『そうだね、そうかもしれないね』と言ってくれた。 私は、その友達の言葉を思い返すたび、ああ私は素敵な人に囲まれていたんだと思える。そのときのことを忘れない。 大人になるとね、周りの人たちは何にも言ってくれなくなる。 何にも教えてくれなくなって、誰も叱ってくれなくなる。 私は社会に出て、それに気づいた。 私がなにか間違ったことをしても、指摘してくれない。 ほっとかれるのです。 「アノ人、間違ってるのに」って周りの人がわかっていても、誰もあえて言ってあげようとは思わないものなのだ。だって、いい大人なんだから、ここは学校じゃないんだから、社会なんだから誰もが一から十まで正してくれるわけではない。 「アノ人、あの考え方ちょっとおかしいんじゃないのかな?」と、誰かが誰かに疑問を持ったりしても、あまりそれを露にすることはない。いちいち反論してばかりじゃ、丸く収まらないからだ。出来れば小難しいことは平和に終わらせたいし、望んで角の立つようなことはしたくないと考えるのが自然だと思う。 だけど、たまに、社会人1年生や2年生の人間は、周りの先輩達にあれこれ口や手を出されたりしながら、仕事を覚えていく。私も、数人の新人の面倒をみたことがある。一から十まで、メールの書き方から電話のかけ方や郵便の宛名書き、送付状や名刺の渡し方、言葉の使い方など。 社会で大人になりきらない人間には、時々だけれど誰かが何かを教えてくれる。誰かが何かを指摘してくれて、話を聞かせてくれるし、悩みを聞いてくれる。 そのうち、経験が積み重なり、自分なりの仕事のスタイルが出来ると、そのうち誰も何も言ってくれなくなる。誰も間違いを指摘してくれなくなり、そうしてほっとかれる。 私も実際、誰にも何も言われなくなってきた。あれこれ指示されずとも自分で仕事をするようになってきた。誰かに相談しなくてもある程度は自分で判断できるようになってきた。 誰かに手出しされずに仕事をすることは、自由で気が楽で楽しい。 だけど、時々心もとない。そして淋しい。 間違いを間違いだと気づかない自分にずっと気づかないままなんて、惜しい。 自分以外の他者の意見が聞けないことはとても淋しい。 だから時々、誰かの言葉を素直に聞きたくなる。 誰かに乞いたくなる。 それは依存することではなく自立するために必要な要素だと思うのだ。 私に何かを言ってくれる人が、そして私の言葉を聞いてくれる人が、私の周りにいてくれることは、とてもラッキーなことだと思うのだ。貴重なことだと思うのだ。 あのとき、コンビニを出て空を見上げたとき、私の言葉を素直に聞いてくれて、『そうかもしれないね』と言ってくれたあの友達は、私にとってとてもかけがえのない存在なのだ。 |
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