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2005年11月03日(木)  フィラデルフィア
私はフィラデルフィアという映画が好きだ。
トムハンクス演じる、同性愛者でエイズにかかった弁護士が、所属していた法律事務所から突然の解雇を言い渡される。エイズと同性愛者という理由での解雇は不当だと、元職場の法律事務所を相手取り裁判を起こすという映画。

高校1年生のとき、学校の行事で映画館に映画を観にいったことがあった。そのときに初めてこの映画を見た。
私はその当時、エイズという病名は知っていたものの、その詳細まではまったく知らなかった。けれど、ちょうどあの頃、エイズという病気が世間に広く知れ渡った時期ではなかっただろうか。
それからすこしたって、薬害エイズの川田龍平という人を知った。
彼は、薬からエイズにかかり、薬害エイズ裁判の匿名原告者だったけれど、私がフィラデルフィアを見たころ、彼が実名を発表しマスコミなどに取り上げられた時期だったと思う。

フィラデルフィアという映画を観て以降、私はずっとこの映画はエイズ差別を描いた映画だと思っていたけれど、見直してみると同性愛差別の映画だったのではないかとも思えた。

同性愛者の差別について考えてみた。
もし私のそばに、女性を愛する女性がいたとして、彼女が私に好意を持ったとしたら。そんな場合、私は彼女を差別せずいられることができるのだろうか。嫌悪は感じるだろう。だけど、その嫌悪は好みでない男性に好かれたときと同じ嫌悪感であるような気がする。すごく嫌いなタイプの男性が私に好意を持ったとき、私は嫌悪感を感じる。それと同じような気がするのだ。愛せない人間に愛されたときと同じ嫌悪感。
だけど、だけどやっぱり実際にはどんな気持ちになるかは想像できない。実際に同性愛者と出会ったことがないため、私はその想像が出来ない。

エイズは、川田龍平という人間に関する本を読んでよく知ることが出来た。
私が彼を知っていたときの期間、彼はまだ発症していなかった。今はどうかわからない。


今日、久しぶりにフィラデルフィアを観た。
トムハンクスの弁護人が黒人だったということが何かの奇遇なのかどうか、差別を扱う裁判の弁護士役が黒人の俳優であること、また被告側の弁護士事務所の社長や役員達がすべて恰幅のよい上流階級の白人であったこと。トムハンクスのやつれ振り。
そして何よりも、高校1年生のとき初めてあの映画を見たときの衝撃はずっとずっと忘れない。病気で死ぬより先に、社会から殺されるという差別。人の尊厳とはこんなにも簡単に社会は踏み潰してしまうのだと思った。


同性愛にどうこう言うことはない。愛したい人を愛するのは自由だ。それを相手が受け入れるかどうかも相手の自由だ。世の中の皆、誰かを愛して誰かに愛されて、そして好きな人と気がすむまで一緒に居ることは自由だ。そして、同性愛を嫌うことも自由だと思う。そんな自由があるからこそ、同性愛への嫌悪を誰かに向けることや、同性愛への差別を誰かに強要することは、自由ではない。自分の中で嫌悪することと、相手にぶつけることは違う。

そして、誰しも、愛する人が死んでいくのには堪えられない。
エイズであろうが癌であろうが、誰かが死んでいくのには私は堪えられない。

高校生のあのとき、映画の最後のクレジットが流れても、私たち生徒はただじっと席に座ってスクリーンを眺めていた。誰しも動けなかった。けれど、引率で来ていた男の先生ふたりはそそくさと映画館を出て行った。振り返った先生たちの顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
私には涙が出るというよりもあまりにも衝撃的な映画だったけれど、大人には涙を出させるほどの映画だったのかもしれない、と思った。


この映画を見直してみて、川田龍平くんのことを思い出して、いろいろと書きたかったのだけれど、なんだか、うまくまとまらなくてうまく言葉に出来ない。
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