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2005年08月08日(月)  真夏の日の通夜
真夏の日のお通夜は、どこか清々しく思えた。
不謹慎だけれど、悲しみというよりも淋しさと清々しさを思わせるそんなお通夜だった。

私が担当している、ある派遣スタッフのお母さんが亡くなった。
その連絡を受けて、私はお通夜の時間と場所を聞いて参列することを伝えた。

雨が今にも降りそうなどんよりとした夏の日、それでもセミは鳴き道路は乾いていた。
タクシーをおりて葬儀場に下りたら、たくさんの人が集まっていた。
亡くなったお母さんは、70代だったと思う。それと同じくらいの年齢の人が多く、会場の前に飾ってある故人の写真を見入っては談話していた。70代の老人たちはゆったりとした動作で写真を見上げ、確かに頷いて友人の死を偲んでいた。死を悼むというよりは静かに友人の死を受け入れているようだった。

癌だったそうである。
苦しんだのだろうか。
スタッフさんの話では、ずっと入院していたので家に帰りたいと言っていたそうだ。
もう何日もつかわからないんですと、話を聞いたのはつい一週間前だった。
葬儀場で見るスタッフさんの姿は、やはり老人だちとは違い沈痛だった。
向こうが私を認め、頭をさげた。
私も深くと頭を下げて、参列者達の列に並んだ。

お経の声が心地よく、お香の匂いが何かを鎮めているようだった。
心地よさが、夏の暑さの不快を忘れさせてくれるようだった。
初めて見た、亡くなった人の写真の前で、私はお焼香を3回した。
遺族の席に座っていた、スタッフさんとその旦那さんと高校生の息子さんが、私に頭を下げ、私もお辞儀をした。

別室に通されて、私はふるまいに箸をつけた。
支度の手伝いをしているらしいおばあさんが私に近寄ってきて、ウーロン茶をついでくれた。
「○○さんの会社の者です」と言うと、「まあ、まあ、来てくれてありがとうね」と言った。

病気で苦しかったでしょうけどね、こういうのは寿命ですから。
仏様が決めた順番なんですよ、こういうのは。

と、その老婆は言った。


外に出たら、またセミの声がして、そうか死ぬということは順番なのだなと思ったら、「死」というものが少し怖くなくなった。少し身近に感じた。生まれてくる順番があるように召されていく順番もあるのだなと思った。
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