days
2005年05月28日(土)  limit
給与明細をもらっても開かないまま引き出しにしまい、ATMでお金を引き出すとき、その残高の表示にたまにビックリすることがある。
働くからお金をもらって、たくさん働いたからたくさんのお金をもらう。
当然の報酬ではあるけれど、私が一ヶ月間働いたその量を質を時間をお金に変えると、こんな金額になってしまうのかと、驚いてしまう。
それは、たくさんお金をもらって嬉しいとか、だからもっとお給料をもらえるようにもっと働いて頑張ろうとか、そういう意欲に変わる驚きではなく、私の一ヶ月という時間が、なんだか無機質なものに変えられてしまったような、そんな気分になるのだ。


限界に達すると、途端に他人に興味がなくなる。
他人に興味がないということは、自分という主体がなくなることと同じだ。
自分がないから他人というものを意識する気が起きない。
電車に乗っていて窓の外を見る自分、前の座席に座った人間を見ている自分、つり革に捕まったその手や、スーツのボタンを外すその指が、もう自分のものではないのだ。

自分がどこかへ行ってしまって、自分という肉体を感じないのだ。
意識だけが浮遊して、音も聞こえる、目も見える、肌で雨も風も感じるのに、自分の触覚、その肉体に自分というそのものを感じることが出来なくなってしまう。
パソコンのキーを叩いている指が自分の指だとは思えなくなり、ご飯を食べたときの味覚に何の意味も見出さなくなる。体と心が乖離していつまでも戻ってこない、そんな毎日を最近送っている。

そうなると、仕事も、ただ右から左へうつすだけの作業になり、そのうち、限界という歯止めが吹っ飛んで、自分のキャパシティを無視した大量の情報がただ私の中を素通りしていく、素通りしたものに執着するはすがない。限界を超えた時点で、それは限界ではなくなり、無限の世界の中で私は生きなければならなくなってしまったのかもしれない。私は無機質でも無限大にも耐えられるロボットになってしまったのかもしれない。


ただ、人間はロボットのままではいられず、無機質な時間やお金を使い続けることも出来ず、やがて人間らしさを取り戻す瞬間、抑圧されていた大量の水が溢れ出すような、その水圧はすべてを破壊してしまうほどの威力を持って、それは恋人に向かっていく。
渦を巻く水流に上へ下へと押しつぶされながら、私たちは水の中をただひたすら太陽に向かって泳いでいるようだ。水面でキラキラ輝く太陽の光に向かって泳いでいるようだ。

では、恋人の恋人に対する限界は一体どこにあるのだろう。
どこに向かって発散され、どこで遮断されるのだろう。
Will / Menu / Past