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2005年05月24日(火)  二晩目の雨
二晩続けて、雨が降った。
帰路を急ぐ人たちの上に、二晩続けて雨が降る。

昨晩は、雨が止んだころ会社を出た。
きらきら光る濡れたアスファルトを踏んで、駅へと急いだ。

ずっと俯いて本を読んでいると、電車の外の風景は目に入らない。
私の前に立つ人の濡れたビニール傘が、私の膝小僧に触れたとき、ああ雨かとそのときやっと顔をあげる。誰も彼もが傘を持っているけれど、私には傘がない。会社を出るとき、持って出ようかと傘立てにふと目が行ったけれど、結局、無駄になったときに持ち帰るのは面倒だと思い、そのまま会社を出てしまった。

まだ21時の池袋の駅は、サラリーマンやOLでごった返している。
傘を持たない人間は、駅前の信号が青に変わるまで、屋根のある場所で雨宿りをする。信号が青に変わったら、屋根の下を抜けて走って信号を渡る。傘を持った人間は、悠々と横断歩道の前で青信号を待ち、信号が変わればゆったりと足を踏み出す。
傘と傘のあいだをすり抜けるとき、滴り落ちる雫が私の肩に何度も当たった。

屋根のある場所を選びながら走り、コンビニに2軒寄ってみたけれど、どこも傘は売り切れで、私は店の軒先でため息をついた。傘を探して走るよりも、このまま濡れて走りながら家に帰ったほうがいくらかマシなのかもしれない。

パチンコ屋の屋根を借り、居酒屋の屋根を借り、洋服屋の屋根を借りて、私は小走りに走った。でも、結局どんな帰り方をしても、濡れるのは同じだ。スーツはびしょびしょだし、髪の毛は顔に張り付く。バッグの中には、明日の仕事で必要な契約書が入っている。濡れないよう、私は上着を脱いでバッグに被せた。

誰かが、傘、あげますよと言った。
私よりずっとずっと年下の大学生くらいの男の子が、傘、あげますよと、さしている傘とは別の手に持った傘を私に差し出した。

先日の連休。
私は旅行に出かけた。ひとりで飛行機に乗り電車に乗り換えて、恋人と待ち合わせをしたホテルへと急いだ。
電車の中で私は、座席の上の網棚にバッグを押し込もうとした。高くて届かなかったので少し背伸びをして、3日分の洋服が入ったバッグを押し込もうとした。すると、前の座席に座っていた大学生くらいの男の子が立ち上がり、私のバッグに手を差し出して一緒に荷物を押してくれた。
ありがとう、と私は言って彼の隣の席に座った。

ありがとうと言って、傘をもらえばいいのに、私はそうしなかった。
知らない人に話しかけられること
知らない人に親切にされること
私は彼の言葉に頷くことも首をふることもしないで、強い雨が降る中、また走った。

どうして、東京で知らない人に親切にされると抵抗を感じるのに、東京でない場所で親切にされることにはなにも抵抗を感じず、素直にありがとうと言えるのだろうか。旅行をするという開放感や休日であるという安心感があるからなのだろうか。
「東京は希薄な人間関係だから」、「緊張感を強いられる毎日だから」という言い訳を盾にして、私たちは結局、お互いに干渉も邪魔もしない距離を充分にとることに慣れてしまっている。困っていても誰も助けてくれない、むしろ、助けを呼ぶことすら考えに及ばない、そんな感覚を身に付けてしまっている。


家に帰って濡れたスーツを脱ぎ、少し濡れてしまった契約書をバッグから取り出して私はふと思った。いま、胸が痛むのは、明日の大切な契約書を濡らしてしまったからではなく、会社を出るとき傘を持ってこなかったことを悔やんでいるのでもなく、あの大学生の男の子から傘を借りなかったことを後悔しているのだ。彼の親切に胸が痛んでいるのだ。
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