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2005年05月01日(日)  強烈な赤
昔、「あんたを産まなきゃよかった」と、息子に言った母親がいた。

従姉妹が妊娠し、同僚が産休に入り、友人が出産した。
張ったお腹を、恐々触らせてもらったことがある。
とても硬かった。それが驚きだった。
確かに中に何かが入っている、そんな感覚で、だからこそそれが新鮮で驚きだった。
母親になった友人は、何かが変わった。
確かに何かが変わったけれど、それが何かは私にはわからない。

電車の中、赤ん坊を抱いた女性が私の隣に座った。
腕に抱かれて、母親と向かい合った赤ん坊の小さな足が、私の太ももに触れていた。
小さくて白くて柔らかな足だった。
それはとても小さかった。
驚くほど小さくて、胸が締め付けられるほど小さくて、それはあまりにも儚いために胸が締め付けられるのではなく、何か失われてしまいそうな、何か奪われてしまいそうな、そんな怖さが胸を締め付けた。それほどその足は小さかったのだ。
赤ん坊を見て、胸が締め付けられる気持ちは、混みあった人の群れの中、大切なものを落とした感覚に似ている。大切な誰かとはぐれてしまう気持ちに似ている。

私は、よく夢を見る。
いつも同じ夢だ。
自分の大切な赤ん坊を、手を滑らせてしまい、ぐつぐつ湯が煮えたぎる大きな鍋の中に落としてしまう夢だ。ふやけて溶けてしまったチョコレートみたいに、肌色はみるみる膨張してより透きとおる。目玉は鍋の底に沈んで、唇は強烈な赤さを放っている、そんな夢。
私は、パニックになって助け出そうとするけれど、ただその透きとおった肌色と、ふやけた黒い目玉と、強烈な赤色をずっと見続けていたい気持ちにもなった。
いつも同じ夢を見る。


小さいから、可愛いから、自分の血を引く者だから、好きな人の子供が欲しいから。
子供が欲しいと言う人は、子供の身になって子供を欲しがらない。
キャッチボールをしたいから、ピアノを習わせたいから、可愛い洋服を着せたいから。
とてもバカバカしい理由だと思う。

「可愛いですね」と、その場でお愛想を言うだけなら何度だって出来る。
その場だけ、子供をあやして、可愛いなぁと思うことなら簡単に出来る。
けれど、子供を産んだら、産んでから自分が死んでしまうまで、その子供に責任を持たなければならない。子供を産んだら、親であることを放棄できない。一生、親であり続けなければならないのだ。

それが出来るのかと自分に問えば、出来ないと考える。
だから、子供は要らないのだ。
欲しいと思えないのだ。
きっと、私が子供を産んでも、湯がグツグツ煮えたぎる大きな鍋の中に手を滑らせて落としてしまうかもしれないからだ。
「あんたを産まなきゃよかった」と、私はいつか誰かに言ってしまうような気がするのだ。
あの母親のように。
そう言われた息子の運命を、私はもう知らない。知る術がない。
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