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2005年04月21日(木)  刺激的人生
女であることが面倒だなぁと思う。女性であることがなにになるの? と思う。女であるのに、どうして自分には魅力がないんだろうとか、どうしてセンスがないんだろうとか、どうしてこんなにもアンバランスなんだろうとか、そんなことばかり思ってしまう日もある。
女性であることを求められる瞬間は、きっと恋人と過ごす時間だけなのではないだろうか。女性であって良かったと思える瞬間など、24時間のうちの168時間のうちのたった一瞬でしかない。
だけど、私が女性であることは重要なことだ。私が女だから、恋人が男であり、だからこそ今があって、あなたと私がいる。その喜びと女性であることへの疑問とを天秤にかけたら、どちらに大きく傾ぐだろう。

若いうちに死んでしまいたいと思っていた。
高校生くらいのとき、今以上に何も知らなかったとき、ろくに恋愛もせずセックスもせず、社会を知らなくて人を知らなくて、今よりももっともっと馬鹿だったとき、物事を知らなかったとき。早く死んでしまいたいと思っていた。
生きることの希望や可能性が絶えていたわけではない。死にたいする憧れがあったわけでもない。老いへの恐怖があったのでもない。太く短く、ぎゅっと凝縮された短い時間の中でただただ生きたかったのだ。刺激的に生きたいと思ったのだ。極端なことを言えば、その短さの中に私の生きる希望や可能性や夢があったのだ。あったはずなのだ。

けれど、振り返るにも及ばない26年の時間の中で、私は刺激的に生きてきていない。平凡だと思ったことはあまりないけれど、刺激的だと感じたことはない。
刺激の裏には疲れがあって、自失があって、長い長い眠りがある。

私は自分を見失っているのだ。その証拠に、今の自分には余裕がない。

君はとても近寄りがたい人間だと誰かが言った。
それはたぶんきっと、私が誰にも近寄って欲しくないと思っているからだ。
誰もかまわないで欲しいし、誰も近寄らないで欲しい。
その線から一歩でもこちらへ来たなら、私はもう一度新しい線をひくのだ。
新しい白線を。


そんなことを思う日もある。
そう思う夜もある。
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