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2005年03月16日(水)  希望というものはもともと根拠などない
3月の頭に、課長よりも部長よりもずっとずっと上の人から、お前の課長をどうにかしてやれよ、と言われた。どうにかしてやれよというのは、メンバーと課長とのあいだに出来たちぐはぐなコミュニケーションやかみ合わない仕事を、なんとかしろよということなのだ。

勿論、課長はそんな内部の空気を感じて焦っているようだ。けれど、彼が焦れば焦るほど、溝は深まるばかりで、空気は刺々しくなるばかりだった。メンバーは悩みもしたし不安もあったけれど、結局はそんな状況の中で流されるままだったし、納得できないことも疑問を感じることにも目を瞑って仕事をしてきた。

そんな状況をどうにかしろよと言われたのだ。

どこかしら、4月からの人事異動でこの課長から離れ、この最悪な状況から抜け出せることを願ったけれど、結局、よくよく考えてみれば、私に「どうにかしろよ」と3月に発破をかけてくるということは、来年度も私はその課長と一緒に仕事をするという布石だったのかもしれない。


私は、黙っていられないタチだ。
自分自身、それを不幸に感じることもある。
主張が強いとか、反発心があるということなのかどうかはわからない。
若しくは、ただ気取って正義感ぶっているだけなのかもしれない。

私は、自分自身に納得しないと、どうしても仕事に身が入らないのだ。
自分に嘘をつきたくないからだろうか?
それほど格好よいことでもない。
なぜ、自分がこの仕事をしてその結果何が生まれるのか、私はそれを知りたがり、その全貌を把握してないと気がすまないのだろう。

自分が納得しないでも言われたことを素直にただ仕事できる人もいるらしい。
私は、そんな人たちを見ながら、自分の中の「納得することの拘り」をより一層感じる。


だからこそ、そんな状況下で一番疑問を感じていたのは、私自身だった。誰よりも誰よりも。「どうにかしろよ」と言われたのもそんな性質があるからこそ、ということもあったかもしれない。


来年度の人事が決定し、発表があった。
任される仕事と課内の顔触れを見て、(勿論変わらない課長と、半分以上メンバーの入れ替わりがあった)自分の立場を知ろうと思った。


私は、今の状況に人一倍敏感になり、危機感を感じていた人間にもかかわらず、先頭に立って組織を引っ張る立場でいようとは思わなかった。避けてきたからだ。これまで、誰かをおだてては先頭を人に預け、自分は悠々と一番後ろから歩いていくタイプだったかもしれない。誰かが置いていかれそうになったら「どうしたの?」と聞いてフォローしていくような、ただそんなことばかりしていただけだった。
ただ単に面倒だったからだ。皆を引っ張っていくことを面倒に思ったからだ。

けれど、新しい課での自分の位置を考えて、これからはそうもいかなくなりそうだと思った。
自分が課を引っ張って、課長と結び合わせて潤滑にしていかなければなりそうだと思った。
どうにかしろよ、の言葉が今まさに「やらなければならないこと」になってしまったのだ。


よそから、「あの課は大丈夫かしらね?」というヒソヒソ声が聞こえ、「頑張ってね」と無責任な笑顔で私の肩を叩く人もいる。
最初は不安を感じた。
出来るのだろうかと思った。
ただ、最悪だ、不幸だとは思わない。

他のどの組織と比べても、私たちはマイナスからのスタートを強いられることになるかもしれない。スムーズに出来ることに苦労ばかりしなければいけないかもしれない。でも、もしかしたら他には出来ないことが私たちだけは出来ることがあるかもしれない。
すべてがマイナスだと決め付けるには早い。
方法がただ他の課と異なるだけで、目標までの道のりは探せば見つかるかもしれない。
嘆くより、それを探したほうがいくらか楽しくなるかもしれない。
もし、その方法やその道のりを探し当てれば、私の引き出しはまたひとつ多くなるかもしれない。


「君の好きなところは、希望を捨てないところだ」と誰かが言ったことを思い出した。
たとえ、誰かが君の希望はただのきれいごとだ、君の希望には根拠がないと言われても、自分で可能性を捨てたら周りは壁だらけになってしまう。
何事もやってみなければ。
そう思ったら、4月からが楽しみになった。
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