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2005年03月14日(月)  Quiet Life.
Quiet Life.


何かを気にしないでいようとする努力ほど、疲れるものはないと思う。

その何かについて、あっさりと割り切れる者もいれば、そうはいかない者もいる。
かといって、後者が諦めの悪い人間で前者が諦めのよい人間だとは言い切れない。

誰にとっても、拘ってしまう「何か」の視点はそれぞれ違うのだから。
たまたま、その「何か」が前者にとっては割り切れるものであっただけ、後者にとっては割り切れなかったことという、ただそれだけのこと。

気にしない努力というものは、私の精力を著しく低下させて、萎えさせる。
イライラさせて頭に血を上らせる。
とてもやっかいなことだと思う。

煙草の煙を吐きながら、ガラス張りの喫煙室でそんなことを考えていた。小さな空間には、空気清浄機が3つもあって、ゴウゴウと大きな音をたてている。

でも、私も体験したことがある。

あれほど気になって仕方のなかったことが、あるふとしたきっかけで、消えてなくなってしまうということを。理屈などない。理由などない。はっと何かに気づいて、これまで悶々としていた自分が馬鹿馬鹿しくなるのだ。そして、そんなことを気にしようが気にしまいがどちらでもいいではないかと思えるのだ。
気にする、気にしない、どちらでもない感情、それはたとえば無関心といえるなら、「何か」に無関心になれるきっかけがきっとどこかに潜んでいるはずで、今日までイライラしていた種もどこかに吹き飛ばしてしまえる。
そのきっかけは、ある日空から舞い降りて、啓示のように閃く。
啓示がおりてくるきっかけは、時間の長さに比例するような気がするし、反比例するような気もする。
どちらにせよ、私にはまだなんの閃きも啓示も、まだない。


何十年か後、私がおばあさんになったら、とても静かな生活を送りたいと思う。
何にも惑わされることもなく、関心も無関心もすべて大きな器で受け止められる、そんなふうに年を重ね、静かな静かな生活を手に入れたい。
だからこそ、今はこのときを耐えるのだ。
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