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2005年02月21日(月)  どうぞご自由に
ここ4,5年でわかったことは、私は12月頃から3月頃にかけて途端に無気力になったり塞ぎこんだりしてしまうということだ。流行の言葉で言うと、プチ鬱みたいなやつだと思う。
しかし、よく考えてみると、私は年中無気力だし、年中「やる気が出ない」と言っているような気がするし、自分で自分を「鬱」だということほど、おめでたいことはないとも思う。

だいたい、最近は私の中の私を30%しか使っていない気がする。日々、30%程度の力加減で事務的に仕事を右から左へ流している、休日をやり過ごしている。

はい、構いません。はい、わかりました。はい、了解です。
という、同意の言葉、了承の言葉、理解して受け取ったという意志を表す言葉。それの本音を言えば、
はい、どうでもいいです。はい、どちらでもいいです。はい、なんとも思いません。
という意味でしかない。

派遣社員が「仕事をやめたい」「契約を中途解約したい」と言った。
「わかりました。解約しましょう」「わかりました。もう終わりにしましょう」という言葉で私は流すようにしている。
本当ならば、理由を(愚痴や本音を)聞き、その問題解決に努めて、出来るなら私たちの会社の利益・売上げのため、躍起になって対応しなければならないのに、それはかなり心労があるし肉体的にも疲れるし時間もかかるので、私は易々と了承することにしている。

会議中、ぼんやりとみんなの口元を見ていた。
ああ、みんな、よくあんなに唇を動かせるなぁ、よくもまぁ身勝手なことがいえるなぁ。よくしゃべれるなぁ。私なんか、なにひとつ意見がない、なにひとつ考えられない、なにひとつ、何も思わないし感じない。
そんなことを思いふけってぼんやりと会議をやり過ごす。


ベッドに寝転がって眠れるのを待つ。眠れる日は週の半分ほど、眠れない日は週の半分ほど。どんな朝が来ても、顔を洗って、出かけなければならない。その動きはもうオートメーション化されている。そのことに、ああ、自分は立派な会社員になったのだなぁと感慨深く思う。

やる気がない日は、やる気がないらしく、無難に仕事をすればいいのだし、セックスをしたくなければ眠ればいいのだし、誰とも会いたくなければ布団にもぐってすごすのがよい。
たぶん、私は環境の変化に追いつくのが苦手なのだろうと思う。周りの変化についていけないのだ。これは致命傷である。ただ望める変化は自分自身の変化でしかない。それを促すものは、そして自分自身でしかない。とても致命傷だ。この年末に引越しをしたのがいけなかった。1月から会社の組織が変わりすぎた。しかし私の最も重大な致命傷は、多分、誰かか何かに責任を転嫁してしまうところだろう。

こんな無気力な時期、私はとても多くの水分をとりたくなる。
今日も飲み干したペットボトルが転がっている。
誰にも干渉されたくはなく、だから誰をも干渉する気はない。

だから、どうぞ、私のことは気になさらずに。
どうぞ、皆さん、ご自由に。
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