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2004年11月26日(金)  怒鳴られる仕事について
営業だから、(営業じゃなくてもそうかもしれないけど)クライアントに叱られることがあります。その理由は、本当に様々なのだけれど、私が悪い場合もあるし無闇に八つ当たりされることもあるし、とにかく怒鳴られ詰められ監禁され(実際、ねちねちと叱られ2時間あまり軟禁された経験あり、一気に老けた)、私たちは、日々叱られています。

たまに思うのだけど、業者の営業担当に怒りをあらわにするとき、人ってたまに本性出るよね。お客であるという立ち位置から人を見下ろして怒り飛ばす姿って、本性がたまに見え隠れします。そういうときはたいてい、企業同士の話しではなくなり人間の嫌な側面がそのまま表れるような怒りの種類だったりします。

叱られたらへこみます。自分の行動に後悔したり、言葉の軽率さを振り返ります。それって、一般的に「反省」というかもしれません。けれど、叱られたとしても仕事は続くわけで、当然だけどそのあとの善処も求められるわけで、一番大切なのは逃げないことなのかなぁと、すごく当たり前のことだけどじんわりと日々感じます。

「お前みたいなヤツに怒る気なんかないよ」という人だっています。
怒るという以前に、お前になんかアレコレ言ってやんないよという、更にズキンとくるお言葉を頂く場合もあります。なかなか痛いことです。

他人に叱られなくても、「自分のいまの対応ってやっぱりだめだなぁ」と自分で自分にダメだしする場合だってあります。もっとこうしたいのに、こうありたいのに、全然足らないよって、たまにそういう青臭いことを思って自分で自分を叱るときもあります。

私が、営業を始めたばかりのころ、ついて回って教えてくれた先輩が、「今やった仕事はちょうど3ヶ月に自分に返ってくるよ」と言われたことがあります。今月手を抜いて仕事をしたら、3ヵ月後にいろいろとボロが出てくる。今月頑張ってすぐに成果が出なくても、3ヵ月後にはきっと実になって返ってくるよって、そういう意味です。

ある仕事のとき、私はそのお客さんに叱られました。ヒンヤリとするような言葉で刺されました。あーそっかと思って、申し訳ありませんと私は答えた。そのときはそれでも、同じ過ちを繰り返さないようにと気をつけて、無難な形で終われたのです。でも、自分ではやっぱりいまいち納得できなくて、あのときひどく叱られたなぁって、たまに思い出していました。
それからもう、1年近くたって、今日、そのお客さんとちょうどお話しをしたいたら、「あなた、あのときあんなことしたねぇ」って言われたのです。そうですね、本当に申し訳ありませんでしたと答えたら、「でも、あの後、してくれたことは本当に嬉しかったよ。これからもああいう形でやってくれたらこちらも助かるよ」って言ってもらえた。

そのとき、逃げずにいた報いが、今やっと返ってきたような気がしました。
そのとき、逃げないであれこれと工夫をしたことを褒めてもらえたような気さえしました。

だから、そういうところが私は営業という仕事が好きな理由なのです。
報われるためだけに仕事をしているわけではないけれど、お金だけではない“利益”というものを、お互いに感じられることが、私には嬉しいと思うのです。
私は、常に冷静でありたいと思う。
そのときだけの感情に任せて、何かを見失うのはとても損だと思うのです。
叱られれば、こちらだって反論もしたくなる。私もいち人間だし、感情だってある。正論はどこにあるのかわからないけれど、正論だけがまかり通るわけでもない。
だとしたら、正論や反論だけに拘らず、もっと先を見通していたいと思うのです。それだけが、今の私の唯一の“正しさ”だと信じるのです。

ああ、あれで良かったんだと、一年経ってそのときの自分に自信を持てた思いがしました。

私の仕事は、営業です。なんて言うと、キツイ仕事だねとか腰を低くさせて気を使って大変でしょう?と言われることが多いけれど、そればかりではない。それも必要な時もあるかもしれないけれど、営業の仕事だけが飛びぬけて神経を使う仕事だとは思わない。
企業間とのビジネス以外に、人と人の感情同士がぶつかるからこそ、そこに人間の腐った側面が見えたり、本音が垣間見えたり、やりがいや報いや自信が持てるのだと思っています。
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