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2004年11月08日(月)  「尊敬する人」
残念なことに、私には「尊敬する人」という概念がないようです。

そもそも、それでは尊敬するとはどういうことをいうのか、を考えてみました。
私の考えは、その人のすべて、全てが私にとって絶賛できる、もしくは目指したくなる、存在でなければいけないと思うのです。
すべて、です。
その人の仕事も私生活も、恋愛観も価値観も経験も、全てです。
あの面は、すごいと思えるけれど、あっちの面がちょっとと思う人はたくさんいます。
仕事は素晴らしくできる人なのに、その恋愛観はちょっと……と思ったり、その人の営業姿勢は本当に真似したいなぁと思わせられるものだけど、デスクワークはミスばかりだったり。

あれは出来るけど、これはダメ。あれは得意だけど、これは不得手。
でも、人間ってみんなそういうものだし、すべてを完璧にこなせないことがいけないことだと思っているわけではありません。その、得手不得手がその人の個性であり、好かれる部分と好まれない部分を両方持ち合わせている人は、とても魅力的で、とても人間らしく、愛嬌があるとさえ思います。

「憧れる」ということ。
これについては、私はたくさんの人に憧れています。ああ、あの人のああいうことを真似出来たらいいのに、ああ、あの人のああいうようなことが出来ればいいのに。ああいう30代になりたい。ああいう女性になりたい。
私の憧れはたくさんあります。
でも、憧れと尊敬は同じようで、何かが違うような気がする。
それはなにか、憧れは理想であり非現実的であり、ときとして想像や妄想でだって、出来るものであり、尊敬は実際に実在する人物に投影しなければ、抱ける感情ではない気がするからです。


あちらはいいけど、こちらはあまり好きじゃない。
そういう人ならたくさんいる。
好きじゃないところがあるからと言って、その人を全否定するわけでもなく、その人を嫌うわけでもない。むしろ、そのバランスさが時として、好きになれる理由だったりする。
そして、私はその人たちと上手く付き合っていっている。
そういう人間関係の中に、私は「尊敬する人=すべてを良いと思える人」を見つけ出すことが出来るのだろうか。

私に欠けることは、「尊敬する」概念だと思う。
その代わり、私は誰をも否定はしない。
むしろ、全ての人を肯定する。

ただ、たまに「尊敬する人」がいないということに、限界を感じてしまう。
「尊敬する人」がいない自分は、何かの心を失った冷徹な人間になってしまった気がする。
私の尊敬の念は、理想が高すぎるだけなのだろうか。
私の尊敬の念は、完璧な人間を求めすぎているのだろうか。
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