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2004年10月17日(日)  ありきたりな存在になれればいいと思う
子供のころ、クリスマスの前とか誕生日の前とか、よく大人に「あいちゃんは、サンタさんに何をお願いするの?」とか「誕生日は何をプレゼントに貰うの?」って聞かれた。私は、誰かからそう聞かれるたびに、アレも欲しいコレも欲しいと頭を悩ませていた。
「ねえ、あいちゃん、弟か妹が欲しいってお願いしてみたら?あなたも一人っ子で淋しいでしょう?」って、その大人は決まってそんなことを言った。そんな言葉に、隣にいた母が、面白くも無い冗談を交わすように愛想笑いを浮かべていたのを見て、小さいながらもなぜだか肩身の狭い思いがした。意味もよくわからないのに、なぜだか少し傷ついていた。

弟か妹が欲しいと私が望めば、父と母はそれを叶えてくれるのだろうか。

けれど、私は弟も妹も欲しくない。父と母の子供の席は自分で独り占めしたかったし、何より自分より小さな子供がいると、自分が可愛がられなくなるんじゃないだろうかと恐れもしていたからだ。私の従兄弟たちは、みんな、私より年下だ。母が私よりもまだまだ幼い従兄弟達を可愛がるたびに、私は嫉妬していたし、「あいは、お姉ちゃんなんだから」と、年長なりの我慢を強いられるのが苦痛でならなかった。
だから、私は弟も妹も欲しくなかった。

一人っ子で淋しいと思ったことがない。
兄弟や姉妹が、そもそもいないのだから、何が淋しくて何が楽しいのかわからない。
ただ、もしも叶うなら、私は兄が欲しかった。

友だちのお兄さんは、足が長くて腕が長くてのっぽで野球をしている男の子だった。一緒にファミコンをしたり、キャッチボールをして遊んでいる友だちを見て、とても羨ましかった。自分は女の子なのに、男の子の遊びに加えてもらっているその友だちが羨ましくて仕方なかった。
そんな部分が、姉ではなく兄が欲しいと思った理由だと思う。
毎日、お兄ちゃんが家にいて、毎日、遊んでもらえたら、今よりもっともっと楽しいだろうなぁと思っていた。

「あいは、お兄ちゃんが欲しい!」と叫ぶと、決まって大人たちは微笑んだ。それは無理なお願いね、と言って微笑んだ。自分だって、無理な夢だとはわかっている。でも、兄のいる毎日はどんなに楽しいものだろうかと空想してはため息をついていた。

小学生くらいまで、ずっとそんな空想をしていた。


17歳の高校生のとき、突如、私の目の前に兄が現れた。
それは、青天の霹靂のような、足元が突然にすくわれたような、ナイフで胸をえぐられたような、驚きと絶望だった。

血の繋がった関係とは、一体どんな感覚のことをいうのだろう。
腹違いの兄は、私と同じ血を、その半分だけ流しているということ。

私は時々イメージをするのです。
私と兄との繋がりは、きつく手を握り合うよりも、指3本か2本くらいでしか手を繋ぎあっていないように感じる。たとえば、お互いの人差し指と中指とでしか手を繋いでいなくて、だからこそちょっとした刺激ですぐ離れてしまうかもしれないし、だからこそちゃんと繋いでいないともう二度とその手を探し出すことは出来ない気がする。
私と兄は、ぎゅうぎゅうと押される人ごみの中で、そんなあやふやな手の繋ぎ方しか出来ない。
だって、半分しか血が繋がっていないのだから。
なんだか、そんなイメージがする。

世の中の、すべての兄弟がどんな風に相手を思っているかなんて、私には計り知ることは出来ない。問題も何もなく100%完全に血の繋がったもの同士が、その相手とどんな風に付き合ったり、どんな風に思いを馳せているかなんて、私にはわからない。それほど、たいして相手を意識していなかったり、たいして相手を思いやったりしていないのかもしれない。たとえば、空気のような存在や、ありきたりな存在を感じるように。

私と兄は、充分に自分たちが異母兄妹であることを、意識している。
様々な問題が、その現実を忘れさせてくれないからだ。
異母であることを残念に思う。
それと同じように、私と兄は、自分たちが兄妹であることを意識しようと努めている。
同じように、様々な問題が、その現実を突きつけてくるからだ。
兄妹であることは、一体どういうことだろうかと、時々悩んでしまう。


私は兄が欲しかった。
幼い頃、自分がそう願っていたことを思い出した。
そして、その夢は叶った。
幼い頃の私は、きっと今この現実なんて想像も出来なかったに違いない。
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