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2004年08月29日(日)  別れを乞う
私は膝をついて彼を見上げる。
下から見上げて何かを乞う。私はいつも彼に何かを乞う。
きっと、私が出会った男性の中で彼は唯一私の乞う人であり、彼以外の誰かに私が乞うことはあり得ないかもしれない。私が誰かの前で膝をつくのは、彼が唯一の人だろう。とても大切な、たとえば何かの本質を乞うことを私は他の男性にはきっとしない、これまでもこれからも。
だから、たぶん今の私もきっと彼に何かを乞うている。

8月の最後の土曜日に、私と彼は再会の約束をして、一度は私も彼に会える日を心待ちにしたけれど、でも結局、会いには行けないと私は彼に言った。過去に好きだった人に会うことは、それが完全燃焼されて完結していることであれば、容易いのだけれど、そうでない場合は会うことは適切ではないこともある。

会いたいとは思う。素直に会ってみたいとは思う。
ただ、会うには重過ぎると感じる。
会うにはまだ時間が十分にたっていないと感じる。
私にはそれがあまりにも大きすぎて、今、私の手の中に持っているものをすべて捨てたとしてもまだ足りないほど、その大きさが自分にのしかかってくるような気がして、怖くもあり、けれど会いたくもあった。

今の恋人のほうが大切だからとか、他のいろんなことが大変だからとか、そういうキレイ事を言うわけではなく、ただただその昔の彼のことが大きすぎて私にはきっと堪えられないだろうと思った。
私が堪えられなかった。
手の中にあるものを捨てる勇気がなかったとかではなく、私が堪えられなくて、自分が怖かった。私自身が彼に会うことを嫌がったのだ。会いたいのに会いたくなかった。

私は利己主義なのだ。
私が嫌だから、私が辛くなるから。すべてがそういう理由なんだ。
たとえば、その彼の将来を思ってとか、今の恋人との関係を思ってとか、そんなこと本当は少しも考えていなくて、私自身が悲しくなるのを避けたのだ。自分を守るために、自分のために。

全ての理由は、とてもつまらないエゴに満ちた理由なんだ。誰かのためにとか、誰かを思いやって、なんて、どうしても嘘っぽく思えて自分自身を卑下したくなる。私はそんなに殊勝な人間じゃない。
そんなふうにしか考えられない自分を、自分自身で同情する。可哀想な人だと思う。

会わずにいようと思った理由はここにいくつも書いてきた。けれど、同じくらいの会いたいと思った理由もある。それでもやはり私の中で何かが勝ち何かが負け、そして会わないでおこうと私は思った。


会えないと告げるまでに、電話をしてから30分必要だった。
会えないと告げて私が泣き出すまで1分もたたなかった。
充分に、お互いが素直に話すまで1時間はかかって、結局、その彼はとても大人なので、私が安心できるような言葉ばかり言って、そして電話を切った。

その彼はピアニストで、拠点はヨーロッパにあるけれどこの一ヶ月間は日本でコンサートを開いた。私は、演奏会のある夜を、いつも祈って過ごした。「今日もうまくいきますように」 遠くで彼の成功を祈って過ごした。ずっと以前、彼のそばにいたときもいつもそうやって過ごしたことを思い出した。「うまくいきますように」そうやって私は彼のピアノを祈った。
彼は、東京にいたこの夏、あの頃を思い出したそうだ。懐かしくて、ただ懐かしくて、自分のマンションがあったあの坂を歩いて、あの街を歩いて、あの本屋に行きあの喫茶店に行き、あのコンビニを覗いて、あのとき捨ててしまったCDをもう一度買い、あの道をひとりで歩いたそうだ。
私もそうだった。仕事をしているとき部屋で過ごすとき、ふとぼんやりとしんみりと、いろんなことを思い出していた。

私はもう、誰かを見送ることは出来ない。
たとえば、彼に会ってまた心を通わせたとしても、きっとその先に彼を見送る悲しさは待っている。私は、それをも避けるために彼と会うことを選ばなかった。もう誰かを見送って取り残されるのはごめんだから。
彼を乞い、そしてその乞いのひとつひとつに彼は正面から応えたというのに、私は彼の望みのひとつも叶えられていない。

だから、私は酷い人間だと思う。
ただ酷いと思う。
私は酷すぎる。本当に酷いと思う。
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