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2004年08月18日(水)  別れの記憶
朔太郎の記憶が美しいように、誰の心にも残るいろんな記憶は美化されていく。美しい記憶の中で眠る出来事や人々は、ただその存在そのものが記憶の中で美しい。

記憶が蘇るとき、記憶の中の出来事がいままた始まるとき、記憶の中の人が私の目の前にいままた現れるとき、そのとき私は一体どう思うのだろうか。

私はあと何年生きるかわからないし、これからどんな風に生きるのかわからないけど、後ろを振り返った25年を考えたとき、私が一番最初にあげる辛かった出来事を、たぶんきっと彼は知っている。彼と一緒に過ごした時間と私が辛く感じた時間がちょうど重なり、私はそのたびに彼に幾度も助けを求めることになり、そして現実に幾度も助けられた。


大学4年間のうちの半年という時間は、私にとってとても長く惜しく感じられた。
東京からずいぶん離れた自分の生まれた家で、私は自分の殻に閉じこもり意味もなく焦ったりイラついたり、とても健康的な過ごし方とはいえない時間を過ごした。あなたの体は良いといえる状態ではありませんと正面から言われ、あなたは休養をとる必要がありますと宣告され、あなたを東京に戻すことは出来ないと遮られた。大学生という貴重な4年間の半年を私は捨てざるをえなかった。
汗のじっとりかいた手のひらを握り締めると、爪が食い込む。頭を抱えて泣いても時間は悠長に流れるだけだ。
だから、私はすべてを諦めることにした。そのときは、半年後に東京に戻れるなんてまだわからなくて、もしかしたら一生こんな生活を送るかもしれないと思っていた。それもあり得るかもしれないとさえ思っていた。音楽もやめることにしたし、大学をやめて友だちも捨てて、兄のことも忘れて大好きな人ともさよならをするんだと思っていた。私は未来に描いていたいろんな計画をそこで捨てる決心をしていたのかもしれない。

私とその彼は、私が東京にいたころよりも、そのときが一番距離を近しくしたように思える。なぜなら、こんな毎日の中で、私にとっての唯一の外界との橋渡しをしたひとが彼だったからだ。彼にとって、私が近しい存在だと思っていたのか、なぜ近しくなれたのか、それは私にはわからない。ただ、私がどんな風になっても、ずっと変わらずに彼が私と接してくれていたことは、ただそれだけのことでも、私には死んでも構わないほど嬉しいことだった。

「変わらない」ことがどれだけの有難さか、普段の生活ではときどきその有難さを忘れそうになるけれど、私は変わらなかったあの頃の彼をたまに思い出しては胸をしんみりと温かくすることが出来る。そして「変わらない」ことがどれだけ難しいことか、いつもいつも感じていて、ときどき難しすぎて放棄したくなるけれどそこで逃げずにいることがどれだけ大切なことか、あの頃の彼をたまに思い出してははっとさせられる。

だから、彼のことを考えるといつもいつも泣きたくなる。


その半年間が、私のこれまでの時間の中で一番辛くて苦しかったことだ。
そんな私のそばには、いつも彼がいた。
彼のことがとてもとても好きで仕方なかった。

私は、朝、とても早く起きて、両親に気づかれないように忍足で家を出て、始発の電車に揺られてバスを乗り継いで羽田行きの飛行機に乗った。誰かが追いかけてくるような気がして私は気が急いていたし、誰かに見つかって連れ戻されやしないかと私はビクビクしていた。飛行機に無事に乗り羽田におりたったら、一気に気が緩んで少し気分が悪くなった。ぼんやりと揺れる視界と力の入らない足で私はふらふらと公衆電話に向かい、何度も彼に電話をした。彼は到着ロビーに飛んできて私は彼の家に向った。夜になって両親に電話をした。黙って家を出たことを母は泣いて責めた。父はいつ戻ってくるのかその約束だけは守りなさいと言った。明日の夜には帰ると、私は告げて電話を切った。翌日までの時間を私たちはどこにも出かけず、じっと部屋に閉じこもって過ごした。その時間は甘くもあったし苦くもあった。
私たちが、どう頑張っても、私たちには未来がなかったし私たちには時間がなかった。素直に気持ちを通わせるにはとても遅すぎたし、だからこそ私たちには未来がなかった。
黒いピアノの前に座って彼はピアノを弾き、私はその英雄ポロネーズに耳を傾けていた。

いまになって、あのときのことを思い出しても、自分ですら何がなんだかわからなくなってくる。

翌日、羽田の出発ゲートの前で彼と別れた。飛行機に乗りバスに乗り、電車に乗って駅に着いたら、父が迎えに来てくれていた。結局、最後に彼を見たのはあの羽田空港で見た姿だった。それから、私が東京に戻れることになったと同時に、彼は遠いどこかへ行ってしまった。少しは会うこともできたはずなのに、私たちはそれを遠まわしに避けていた。そこで会ったとしても私たちにはどうすることも出来ないことを、よくわかっていた。


これからも私はいろんな恋愛をするだろう。いろんな男の人を好きになるだろう。あの人が一番好きだったとか、一番大切だったとか、そんなことは別にどうでもよくって、一番問題なのはぜんぜん彼のことを忘れられないということ。昨日のことのようには思い出せなくなってきているけれど、悲しさとか淋しさとか、失意なんて感情を今でも鮮明に思い出せるし、溢れてくる感情は何年たったとしてもまったく消えることはない気がする。

なんだかそんなことを思うと、とても疲れてしまった。とてもとても疲れてしまってなんだか頭がおかしくなりそうな気がする。

本当は、もっと現実は、生臭くて泥だらけで意地汚くて、うめき声をあげて吐き出したくなるほど苦しんだはずなのに、思い出すたび思い出すたび、自分に都合のよい物語のように、私は彼のことを幻想の中に見出しているだけなのかもしれない。
たぶん、きっとそうなんだ。
だからこそ、とても悲しい。とても悲しいのです。
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