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2004年08月08日(日)  痛みの中にある記憶
私が18歳で出会ったとき彼はちょうど30歳だった。21歳で別れてしまったとき彼は33歳だった。いま、私は25歳になって彼はきっと37歳になっている。時間はなんのために正確に進むんだろう。
私が好きな本の中にこんな言葉がある。
「心がこんなにも切なく『待って』と頼んでいるのに、体はどうして耳も貸さずに足早に行ってしまうんだろう」
本の内容とは全く違う解釈だけれど、私の体は私の心を無視して、ただ正確に時を過ごしてしまった。時間が流れるほど体はどんどん前へ進んでいくのに、心だけは後ろばかりを振り返る。過去に惹かれながら前へ進むことを躊躇っている。そんな心の動きに、しかし体や時間は耳を貸さず足早に行ってしまう。そして、最後に彼を見たときから4年も過ぎてしまった。


私がその彼を思い出すとき、私は十分に自分に酔っている。それはわかっている。よくわかっている。思い出は美化されつづけ、結局、最後に残るのは笑ってしまうほど自分に都合のよい事柄しかない。ひどく醜いことや都合の悪いことは上手く忘れてしまえる。

好きな人と好きな気持ちのまま別れなければいけないとしたら、それは美化された思い出の中で自分に酔いながら生きたとしても罪にはならない気がする。そんな別れと引き換えに、どんなに感傷的になって思い出を蘇らせても許される気がする。
私は、そんな都合のいい言い訳で自分を弁護しながら、ただ自分に酔っているだけなんだ。


『離婚する』というのを初めて間近で見た。
どうして離婚したのと、私は、彼が一体どんなシーンで女性と破綻するのか、ただの興味本位で聞いた。聞かなければ良かったとあとで後悔してももう遅い。結局、その話しが私と彼の本質を共鳴させて私は引き返せなくなったし、彼は彼で更に苦悩することになった。
美化された思い出の中では、私はそんな風に「彼が離婚したこと」を覚えている。
僕みたいな男は好きにならないほうがいいと言われたし、僕といてもつまらないよとか、当分女性とは関わりを持ちたくないなんて、散々なことを言われた。ただ私はそれにたいして、だって私はあなたのことが好きなんだものと、馬鹿の一つ覚えみたいに直線的に突き進むことしか出来なかった。

恋人だとか、両思いだとか、片思いとか、結婚とか離婚とか、不倫とか、セックスとか、いろいろ考えたけど、どれもいまいち現実的には感じられなかった。だからと言って、私は、私たちのことを世の中から一線を引いた特別な世界に存在しているものと考えてはいない。特別な私たち、特別な恋愛、他とは違う、皆とは違う、と考えるよりむしろもっと現実的に捉えたがっていた。私たちの関係に俗っぽい名前をつけたがったし、例に漏れず私は私たちに意味を求めたがった。
でも出来なかった。やはり少し違ったのだ。何が違ったなんて言葉ではいえない。悲しいことに、私たちはどんな意味を求めるより遥かに重すぎたし、私たちは私たちの関係に名前をつけることに苦労した。
私は、一体どんな次元で彼に恋をしたというのだろう。

今の私は、少なくとも彼に影響された部分がある。
物の考え方とか、何かへのスタンスとか、嗜好とか、それは価値観の影響と言うかもしれないし、ただの受け売りのような気もする。私という鎧を脱ぎ捨てたらそれは彼になるかもしれない。それほどの影響力で、私の美化された思い出の中で彼は、絶大な信頼を寄せる相手だったし大きすぎる存在だった。たとえ、僕と一緒にいないほうがいいと言われても、少しでも優しくされれば私はずっと呼吸をしなくても生きていける気がした。
行き過ぎた思いだった。美化された思い出の中で彼は、美しい。


出会わなければよかったと、いまはっきりと後悔する。
これほどの後悔を私はこれまでしたことがない、というほどに。
もし彼に出会わず、いまの私という人間がいまの価値観を持たなくなるとしても、私は彼に出会ったことを、痛切に後悔している。痛いほど後悔している。
胸がとても苦しいからだ。
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