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2004年05月27日(木)  悲しかった日
あの人の誕生日プレゼントを選ぼうと、週末にデパートをのぞいてみたけれど、そのときふと思った。私はあの人のことを全然知らないなぁって。なにを趣味としていてどんなタイプのものが好きで、今一番欲しいものは何なのかって。私は何にも知らなかった。少し悲しくなった。
ウィークデイになり仕事も忙しくなってプレゼントを買う暇も全然なく、あっという間に今日という日はやってくる。何にも、何にも買ってない。買えなかった。何を選んだら喜んでくれるかわからなかった。ますます悲しくなった。家に帰りたくなかった。ケーキを買って帰るだけじゃ私自身が満足できないし、だからと言って何を買う当てなんかあるわけがない。

プレゼントを選ぶことは、本当ならワクワクしてドキドキするものなのに。プレゼントを広げたときの相手の喜ぶ顔が私にとっての喜びにもなる。品物の高価さではなくて贈ったほうも贈られたほうもふたりが嬉しくなきゃ意味がない。彼には喜んでもらいたかった。嬉しいと思って欲しかった。

昨年暮れのクリスマス。私は恋人へのプレゼントを宅急便に託した。だから必然的に彼の喜ぶ顔を私は見ることは出来なかった。逆に、私は彼からのプレゼントを宅急便から受け取った。そのときの嬉しい気持ちを伝えたい人はもう側には居なくなっていた。とっても悲しい贈り物だった。私はもうそのプレゼントを心の奥に閉まって燃やした。私にとっては消してしまいたいプレゼントになった。


贈り物は、後になれば思い出したくもない廃物となるのかもしれない。それが形になった品物でもいいし、記憶でもいい。楽しかった出来事は未来にとっては忌々しい思い出に変わるのかもしれない。笑いあった日は時間がたてば自分を傷つける刃になるのかもしれない。そう考えるとあの人にプレゼントを贈ることは、未来の私や彼を不要に傷つけてしまう道具に過ぎない。
傷つくのなんてまっぴらだし、悲しくなったり淋しくなったりするのはもう繰り返したくない。もう自分を見失ってしまうようなことはしたくない。

クリスマスの出来事を思い出して泣きたくなった。あの頃のことを思い出して心が固くなった気がした。けれど、そんなことを堂々巡りに考えながらぐずぐずしているうちに私の乗った電車はあっという間に駅に着き、あっという間に私はあの人のマンションまで来てしまった。このままドアをくぐる気にもなれず、だけどその場にずっと立っていられるわけでもなく、今日という日が、たとえばあの人の誕生日がずっとやってこなければ良かったのにと思った。そうすれば、こんな風に忌まわしい記憶を思い出すきっかけにもならずプレゼントを選ぶ悩みに侵される必要もなかった。恋人同士の決まりごとのような「プレゼント」を贈り合うだなんて、とても馬鹿らしく思えた。
私は、何もかもをあの人の誕生日のせいにした。この世の中で一番罪なことを考えていた。世界中から非難されるに値することを考えていた。

けれど、そんなことをいつまでも考えていたって仕方がない。駅前まで引き返せば遅くまで開いている商店街がある。そこにケーキ屋はなかっただろうか。花屋くらいならあったかもしれない。男の人から花束をもらったことがあたっとしても、男の人へ花を贈ったことなんて一度もない。何をどう買えばいいのかわからなかったけれど、とにかく駅前まで引き返してみることにした。

彼の部屋の前まで帰ってくると、少し気持ちを落ち着けてインターホンを押す。彼が花束を見て喜ぶ顔を見た途端、とても自分自身が恥ずかしくなった。泣きたくなって花束から自由になった手で顔を塞がずにはいられなかった。この人の誕生日が来なければよかったなんて、それは彼がここに存在していることを否定するのと同じようなものだ。私は、この人がいなかったら今ごろ一体どうなっていたのだろう。まだ出会ってお互いをよく知らないというのに、私は随分と彼に助けられてきた。それなのに、どうして私はこの人に何もしてあげられないんだろうと思った。そんな自分が恥ずかしくて消えてしまいたくなった。
私の記憶は消してしまえないんだろうか。私の気持ちはもう前へは進めないんだろうか。このままだったら誰と一緒にいたって誰も幸せになれない気がした。自分も相手も。


彼の部屋は私の涙でいっぱいになって、花瓶もなくまだ飾られていなかった花束はそのうち窓の外へと流されてしまった。彼の部屋に会った本も洋服もテレビやパソコンも全部ずぶ濡れになって、彼自身の姿も溢れ続けた涙に飲み込まれてしまってどこにも見えなくなってしまった。さっきまで目にしていた風景はすべて流れ消えてしまい、思い出したくなかった私の記憶だけがあとに残った。

私はやっぱり周りを振り回してばかりの自己中心的で子供じみた人間だ。
彼の誕生日は私の涙のせいで台無しになってしまった。
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