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2004年01月29日(木)  死亡
明日で1月の仕事が終わる。ああ、忙しかった。ああ、けどやっと終わった。やるべきことは明日の仕事ですべて終わるだろう。長かったような短かったような。けれど、充実した仕事が出来た月だったといえるだろう。
今月は、営業間でのクライアント移動が多く、毎日毎日日々の業務にくわえ、引継ぎの挨拶に出かけ引き継いだクライアントから、順次契約を進めていく。だから、接点があるクライアントは、“引き継ぐクライアント”“引き継がれるクライアント”と、その数は単純に倍になる。今日だって、朝は8時半から夕方は18時のアポが最後に、22時まで事務処理やミーティングを行っていた。オーバーワーク?月間で、ある一定の残業時間を越えると、休暇をとらなければいけなくなる。早めにタイムシートを押してまた黙々と仕事を続ける。

上司に呼ばれた。ああ、忙しいのに。あの人とあの人とあの人に電話をして、あの書類をつくってメールの返信は23通も残っている。同僚とのミーティングもまだなのに、時計は21時を回ろうとしている。上司の話しは、また長いんだろうな。もしかしたら本社に入ったクレームのフィードバックかもしれない。引継ぎの時期はトラブルが多くなるから。
上司が座っている場所から90度に位置する場所に私は重く腰掛ける。足は伸ばしっぱなしで浅く腰掛け背中をもたせかける。へたれている格好で上司の顔を見る。
「A社の件なんだけど」
ああ、A社。私が他の営業から引き継ぐ予定のクライアントだったけれど、大きなトラブルが起きている最中で、いまは上司が対応しているため引き継ぐ営業マンは、そのクライアントの状況を知らないという。なので、トラブルがある程度落ち着いてから、上司から私へ引き継いでくれるということになっていた。上司対応のクライアントだ。
「今日、派遣スタッフをチェンジしたから。契約も2月から新しく始まるんで、その後任のスタッフが就業開始したら、あなたに引き継ぐからね。よろしく。」
結局、そのトラブルの渦中にいた派遣スタッフは、契約を満了せず終了したようだ。その後任のスタッフが2月に入れ替わるのでそこで引き継ぐのがベストのタイミングだろう。
「わかりました。」
上司は、大きな溜息をついて、こう付け加えた。
「それから、前任の終了したスタッフなんだけど…」
上司は、その先の言葉を躊躇っているようにうかがえる。
「そのスタッフ、なくなったの。だからチェンジになったのよ。トラブルが原因で終了したんではなく、なくなったから終了したの。それを把握しといて。」
なくなった?何がなくなったんですか?
何をなくしたら、契約が終了するんだろう。私は疲れていた頭で考えた。なくなった?
「そう、なくなったの。」
え? 私は大きく目を見開いていただろう。
「亡くなったの」

何かが失くなったのではなく、スタッフは、その彼女は亡くなったんだと、上司は言ったんだ。ゆっくりと理解していく。
「亡くなったって、死んだってことですか? どうして?!」
上司は、あなたも忙しそうだったし、一件がとりあえず落着してから話そうと思ったんだけど、今日、上の上司にすべてを報告して了承してもらえたから、今日から社内的にもその情報(彼女が亡くなったこと)をオープンにすると言う。
「他殺か、自殺か、わからないんだって。家族も何も教えてくれないし、警察もね。何度か足を運んだんだけどわからなかった」

ジサツ?
タサツ?

自宅で亡くなっていたという。今週の日曜日。同棲していた男性が発見したという。いま、警察の取調べが行われているという。

タサツ?
他殺の可能性もあるんですか?!
「誰も口をひらかないから、よくわかんないよ。」
死んだんだ。ひとがひとり死んだ。自宅で冷たくなって死んだ。
死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。
その言葉ばかりがぐるぐる回った。

彼女の雇用元であるうちの会社としては、その情報を知っていたい。その原因を把握していたい。何が起きたのか知っておく必要はある。何万人の人間が派遣スタッフとして登録しているうちの会社は、それぞれの人間のすべての状況を把握していくことは、なかなか難しいけれど、こんなことが起こったならそれは雇用者として把握しておく必要がある。上司は警察でそう言ったという。上司の顔は明らかに疲れ顔だ。
まぁ、あなたは気にしなくていいから。後任のスタッフだけに専念して。あとはこっちでやっとくからさ。それから、後任のスタッフには「前任のスタッフは事故で亡くなった」ということにしてるから。口裏合わせてね。もちろん、派遣先には報告してあるし、求められたらうちが知りえている情報は伝えなきゃいけなくなると思う。それも私たちでやるから。状況だけ把握しといて。
上司は、淡々と私にそれらの指示をした。

殺されたかもしれない。自分で絶ったかもしれない。
私は、彼女に会ったことも話したこともないけれど、それはもし何かのタイミングがずれていたらあっていたかもしれない。話しをしていたかもしれない。
殺された無念はどうだっただろうと。死のうと思うほどの追い詰められた気持ちはどれほどだったろうと。いや、わからないんだけど。私には彼女の死んだ理由なんかわからないんだけど。だって、会ったこともなければ僅かの接点も持てなかったんだから。

席に戻って、いくつかのIDとパスワードを使って、派遣スタッフの個人情報を見た。39歳。独身。その言葉が目に飛び込んで来た。そして、赤い文字でこう記されている。
死亡確認。
就業不可期間には、平成16年1月25日からエンドの日付は入力がない。入力がないということは、永遠に就業が不可能だということだ。永遠に働かない。

死亡。独身。エンドレスの就業不可。死亡。39歳。同棲していた男性が確認。詳細確認中。○○警察署。家族に確認中。死亡。死亡確認。

真っ赤な字でそう記されていた。

彼女は、一体どんな気持ちで死んでいったんだろう。
やけに、死が身近に感じられて、なんだ、死ぬことなんて簡単じゃないかと思った。
人は、一体どういう死に方が幸せなんだろう。自分で手首を切ることか、電車に飛び込むことか、ビルから飛び降りることか。それとも誰かに刺されることか。わからない。けれど私はふと思う。誰かに殺されることが、一番いいような気がする。私は、自分で自分を殺す勇気はない。そうしようと思えば思うほど、死にたい気分が萎えてくるような気がする。それならいっそ、暗い夜道で後ろからぶっすりと刺されたほうがいいような気がする。相手の顔も見ることも出来ずに。私にはたぶんきっと敵が多いだろう。味方の人間は、いまではもういないと思っている。だから、自分の死に方の希望は、案外に叶うかもしれないな、と帰りのホームでふと思う。
気が重い。私は敏感性が高い。
ライトを照らして電車がホームに滑り込む。
体を放り出せばよかったかもしれない。電車の前に。
なんだ、そんなこと簡単じゃないか。そう思う。
電車の前に体を倒れこませるなんて、いとも簡単に出来る気がした。

今晩も寒い。
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