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2004年01月17日(土)  殺伐としたセックス
久しぶりにかかってきた電話で、彼はよくしゃべった。私はさっきから「うん」という言葉と「そうだね、それでいいよ」という返事しかしていない。

鼻歌を歌いながら駅に向かっているのは、気分がいいからではなくあれこれ考えないようにするためだ。歌は「forget me not」という歌詞を繰り返している。電車を2回乗り継ぎその街にたどり着くと、丁度うちを出た時間から一時間がたっていた。

駅には彼が迎えに来ていて、そのまま喫茶店に入った。頼んだ紅茶が渋すぎるのでミルクを多めに入れて味を誤魔化した。ブラックコーヒーを飲む彼の洋服の袖から、白い糸が垂れていたけれど、私はそれを黙ってそのままにしておいた。

住宅地を歩くと、途中に公園があり、子供たちが元気よく遊んでいる。
狭い玄関に入るとときれいに整頓された彼の部屋がある。
外からは先ほどの子供たちの声が聞こえる。
公園にさしかかった辺りから、ふたりの口数が少なくなってきているのはわかっていた。
私は、ずっと頭の中で「forget me not」と歌っていた。

休日の昼間のテレビ番組は、どれもこれも再放送ばかりで楽しくも面白くもなんともない。彼の部屋にあったレンタルビデオを見ながら、クッキーをかじった。退屈で死にそうになった。締め切った部屋にタバコのにおいとクッキーの匂いが立ち込めていた。映画の途中にとうとう痺れを切らした私は、彼の本棚におさまっている本の背表紙を眺めた。理系の勉強をしていた彼が持つ本は、ほとんどがそれに関係するものばかりで、私が読みたくなるものはなさそうだ。それ以外の本は太宰治や宮沢賢治の本が並んでいた。それを手にとってぱらぱらとめくり、また元に戻して別の本を手に取り元に戻す。
彼の彼女の写真を見つけて、私はわざとそれを彼に見えるようにしてじっと見つめた。
彼の部屋の薄青のカーテンが、部屋に青色を映している。


彼はベッドに転がって、私は床に腰を下ろして、テレビを見続けた。
この人とセックスをしたことがあっただろうか、あったかもしれないしなかったかもしれない。たぶん、なかっただろう。
私たちはそのあと特に理由もなくセックスをした。
私は眠くなり、夕陽が直接さし込むベッドの上でうとうとと眠った。ひさしぶりに深い眠りについた。
彼に揺らされ、私は目を覚ました。どこからか子供の声がする。部屋はまだ青みがかっていて私は1時間ほど眠っていたようだ。後悔しているかと聞かれ、そんなことを聞くあなたには後悔していると思ったけれど、べつにしていないと答えた。

その後、夕食の買い物をして狭い台所でふたりで料理をした。安いワインを飲んで食事をした。
彼は、以前のキミと比べて、今のキミは殺伐としている、と言った。
特に何も答えられずに、私はきっと眉間にしわを寄せていただろう。

セックスをした理由はわからない。ただ目と目があったから。
彼は優しく微笑んで、優しくキスをして、優しく抱きしめて、優しくセックスをした。けど、その唇は私に向かって「殺伐としている」と言った。彼のその大きな手で、その太い腕の中の筋肉で、その目の奥で、いつか私を威圧して恐怖や孤独に陥れるような気がした。殺伐としていると言った彼はセックスをしている最中に、その目の奥でどんなふうに私を見たというのか、セックスをして心の中を読み取ることができるのであれば、私は今すぐにでもこの部屋のベランダから飛び降りる。

やっぱりダメだった。私はやっぱりダメだった。誰かとセックスをしてもやっぱり私は私のままだった。どうにもならなかった。なんにも起こらなかった。なんにも変わらなかった。ようやく、バカなことをしたという思いに至った。苦笑が漏れた。彼は困った顔になった。そんな笑い方はやめてくれと言った。私はもっと笑った。彼が私を抱きしめてどうしたのと訊ねた。
全てに、辟易とした。特に自分に。

私は、またいつの間にか「forget me not」と歌い始め、彼はその歌に耳を澄ましているようだった。私は、また彼女の写真を見た。何度も何度も見た。


殺伐とした女は、自分の意志でその状況に飛び込んだにも関わらず、ただその孤独を増幅させただけで、やはり彼が言うとおり後悔だけがあとに残った。
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