umityanの日記
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2001年06月29日(金) 朝顔と僕

朝顔の双葉が見事に育っている。猫にあらされず幸いだった。もう少し大きくなってツルが伸びてきたら、去年使った、ツル這い登り機をたてて、僕の部屋から眺められるようにしよう。何故か朝顔って好きだ。その理由は恐らく、子供のころから、母親が朝顔を毎年植えていたことと、昔、読んだ源氏物語の「夕顔の巻き」の夕顔という女性のイメージが脳裏にあり、そのロマンティズムにあこがれているからだろう。他にまだ理由を挙げるとすると、「朝顔につるべとられてもらい水」という俳句も好きだ。しみじみとした生活感があり、粗末にできない。それに朝顔、夕顔という言葉の響きもなんとなく心地よいではないか。まあ、こんな具合で、あげればきりがない。家の者から、「ほかの花には目もくれないのに、朝顔だけには御執心ね」と言われている。自分でもそう思う。朝起きて、窓の外をふっと見やると、可憐に咲いた朝顔が僕に顔を向けて、微笑んでいる。なんとなくいじらしいではないか。夕方になると、名残惜しそうに花びらを閉じる。翌朝にはまた、新しい花が一面に咲く。まるで人生の縮図を見ているみたいに思える。僕はコーヒーを飲みながら、物思いにふける。この時間は誰にも邪魔さえない僕の時間である。太陽が昇ってくると、朝の喧騒が始まる。田んぼを隔てた遠くの家から、カーンカーンと、大工仕事の音。車の行き交う音。学校に通う子供たちの声。こういう時間には僕も既に他人顔。「さあ今日はいかにすっべ」と、計らい事が頭を占める。商売下手の僕ではあるが、食べる為には、仕事に精を出さねばならない。もちろん、必要以上の欲得に心を染めてはならない。これが僕の戒めの一つである。


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