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パルレモアダムール |
| 2002年10月13日(日)→→→big kiss for my friend きょうは友達と青山に行った。 東京デザイナーズブロックを観がてら、友達の話を聞くためだ。 彼女は最近付き合っていた人と別れてしまったらしい。 その話の、色々細かいところを聞いていると、ああIくんと付き合ってた頃わたしもそう思っていたなあとか、Tと付き合ってた頃そうだったなあとか、たくさんたくさん色々な思いが甦ってきた。 そしてやっぱり一番甦ってくるのは、別れるときの身を切られるようなつらさ。 心臓を撃ち抜かれたような衝撃と喪失感。 なんだか、神様はどうして人間みんながこんな思いをしなくちゃいけないようにするのか、とちょっと恨めしく思ったほど。 わたしがつらい思いをした分を、彼女に教えることがどうしてできないのかということ。 彼女は彼女で身をもってそれを感じなくてはいけないということ。 わたしが感じたらもうあとは誰かがそんなにつらい思いをしなくてもいいじゃないか、と思ってみたりしてしまった。 ばかばかしいけれど、あのつらさを思うと、確かにそれをバネや踏み台にして成長することができるとは思うけれど、やっぱり大切な友達にはあまり味わわせたくないなあと思ってしまうのだ。 つらい思いも分担できたらいいのにと。 でも、それじゃ、しあわせな思いも分担しなくてはいけなくなるだろう。 だからこそ、つらい思いも自分で受けとめなくてはいけない。 人生ってなんて厳しくてかなしくて素敵で、混沌に満ちあふれていることだろう。 そして人間ってなんていつもその中を右往左往して迷ってたどり着いてまた見失って、懲りずにそれをくりかえして生きている愚かな生き物なんだろう。 そう思うと、ほんとうに人間は哀しい。生きていくことは哀しい。 人をすきになるということ。 よしもとばななの言うとおり、それはやっぱり、そこにどんなに黒い思案や思惑が存在したとしても、やはりその美しさというものは、変わらないのだ。 その、中心にある無垢なもの。 それがある限りわたしはきっと人をすきになるということをやめないと思う。 みんなを愛したいと思いました、という太宰治「女生徒」のくだり、吉本ばなな「SLY」のあの日出雄くんのセリフを思い出す。 人生にキスを。 |