きのうの夜、もう遅くなったので寝ようと、娘が眠っているベッドにそっと身体をもぐりこませた。しかし、蛍光灯はこうこうとついているし、テレビは筑紫哲也の番組で盛り上がっている。 妻はそばで、仕事にいそしんでいる。もう1時がこようとしているのに・・・。
半分うとうとしていた時、私はむっくと起きあがった。テレビが秋吉敏子の話題を話し出したのだ。秋吉敏子ジャズ・オーケストラが日本の神楽と競演するという内容だった。 それよりもちょっとびっくりしたのは、秋吉のオーケストラが解散するというのである。先日の日記でも、岡山での公演について綴ったばかりだった。 夫君である、ルー・タバキンのホームページを見ると、すでにカーネギー・ホールでお別れコンサートが終わっていた。 http://lewtabackin.com/index2.html
世界No.1のビッグバンドが解散とは、世界の音楽事情も変化してきているのかなと思ったりもする。
いや、じつはルー・タバキンには思い出があるのだ。 もう22、3年前になると思うが、東京であるビッグバンドを主宰しているI氏の紹介で、ルー・タバキンのクリニックに参加した。I氏もまさか岡山からテナーサックスをひっさげてやってくるとは思っていなかったのだろう。 びっくりしていた。それ以上に、感激していた。そして、このクリニックは私のために開催しようとまで言ってくれたのだ。 クリニック自体は、4、5人ほどで、ある専門学校の教室でおこなわれた。生徒もおそらくI氏の関係の人なのだと思う。
I氏はルー・タバキンに私が岡山からやってきたこと、そして岡山の場所の説明をしていたが、ルー・タバキンはヒューと口笛を吹いて、よく来てくれたという仕草をしてくれた。 クリニックでは、最初にルー・タバキンが先生の演台でいきなりアドリブを吹きだした。我々生徒はその前で楽器を持ってすわっているわけだ。 次に順番に言われたように吹き、クリニックを受けていった。倍音のレッスンであった。ジャズでよくやる、最低音のB♭の指使いで、次々と倍音で上がっていくやつだ。ルー・タバキンは華麗に駆け上っていった。生徒は倍音はたいてい二つまでだ。
そして休憩に入ったが、なんとルー・タバキンが楽器を吹かせてくれたのだ。どうもかなり吹きたそうに眺めていたのかもしれない。鈍い光を放つゴールド・プレートのセルマーである。思ったより、以外にも吹きやすかったことを覚えている。 さらにうれしいことに、私の楽器を吹いてチェックしてくれた。コメントは「私の楽器とよく似たコンディションだ」と言ってくれた。 I氏は、この時の写真を後日送ってくれた。
まあ、他人にとってはたわいもないことだと映るかもしれないが、一生忘れることのない想い出となって心に刻まれている。
そんな感慨にふけりながら眠りについた。朝、目を覚ますと、妻はすでに仕事をしていた・・・。
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