psyche-deli-chic

2004年06月11日(金) カルマの亡霊/ドラゴンテイル →ドラゴンヘッド/海王星のmessage

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 today's moon うお29'〜 おひつじ12'
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    10th 8:38am〜11th 0:50am

   ★☆今日のbody☆★

相変わらず、気づくと左耳に耳鳴り。左腕のしびれは出ていなかった
けど、今朝になって、また少しびりびりするように。それにしても
揃いも揃って、左半分。どうした?何が起きている?左半身(^^;
いやだなぁ、これも冥王星ちっくななんかの警鐘だったら、あたし、
とんでもないこと、見過ごしちゃっているかも、って、秘かに
ドキドキ、、、。そのうち、また急にパタンって倒れちゃったりして。
怖い怖い。

なーんて、物騒な話をしているけれど、少し前より、大分体力は
回復してきている感じ。なるべく小食を心がけて、胃の調子を
とにかく整えるようにしている。水分もできるだけ控えめ。
胃が空っぽになれる時間を作っている。こうしてみると、
自分の腹具合にも敏感になるもので、少し満腹感を得ると、
ああ、もうこれ以上食べなくても平気なんだな、って
頭が理解してくれるようになった。

それだけ、胃が疲れて鈍感になっちゃっていたのね、きっと。
ほんの少し前までは、空腹感もあまり感じずに、お腹がすかなくても
時間がきたらだらだら食事していた。お腹がすかないのに食べるから
お腹がいっぱい、っていうサインも緩慢で、ほんとにだらけた食事の
取り方だったような気がする。

何かのサイクルを少し変えてみるだけで、体って、こんなに
変わるんだなぁ。お陰で、浮腫んでいた感じも、大分すっきり
抜けてきたのが、自分でわかるし、体重も自然に3kg程落ちた。
体が出すサインに耳を傾ける、ってこういうことなのかも。
まぁ、わたしの場合、周囲の方々のアドバイスがあったから
こそ、気づけたのだけれど。

適切なアドバイスを下さったみなさん、ども、ありがとうです。
お陰で、自分の無自覚さに気が付かされたです。体音痴は
体音痴なりに、無自覚さを自覚するだけでも、少しは進歩できる
ことを知りました(^ー^

 ☆★今日のmind★☆

それにしても、少し自分を見失っているような気がするのは、
もしかして今1hに長期滞在中の海王星さんのせい?なんて
今ふと思った。見失っている、というか、無頓着になっている、
というか。無自覚になっているというか、、、。もともと
1hに天体持っていないから、transitでなんか来ても、絵的には
conjunctionが起こるわけじゃないし、ぴんと来ないんだけど。
あ〜、でも天王星がascendant通過していった時は、面白かった
けど(笑

natalの1hに海王星入っている人は、自分のことがわかりにくい、
なんてことを言うけれど、あたしは今丁度それを経験している
のかもしれないなぁ。transitの冥王星も絡んで、なんだか
知らないけど、頑張りがきいちゃっているんだけど、自分では
無理してる自覚が全然ない。

と思って、ちょっとascendant付近をうろうろしていた時期を
見てみたら、2001の頭から2002の頭にかけてだった。そういえば
あの年って、なんかもやもやしていたような気がするなぁ。けれど
その反面、久々に予知夢を見たり、急に占い師さんに観てもらい
たくなったり。で、明けた翌年の1月くらいに確か、例のめでたい
孔雀の夢を見たんだった!

そーっかぁ〜、いや、実に今更だけど、あたしがこっちの世界、
つまり長い間否定してきた、目に見えない世界に入るきっかけ
って、海王星が絡んでいたのねぃ!!ほんとに今更だけどびっくり。

自分のチャートも、結構楽しめるもんだなぁ。ついこの間、
わたしは、自分のnatalの海王星が、綺麗にdragon headに
trineしているのに気づいたのだった。それで、ふぅん、じゃあ、
占い師の仕事という選択も、あながち的外れって訳じゃない
のね、ってちょっと嬉しくなったんだった。

もともと、小さい頃はちょっと浮世離れしたところがあって、
まあ、海外でうまれて、途中で中近東で暮らした、っていうのが
あるから、平たく解釈しても、枠にはまりきれずに、浮いて
しまうところがあったんだけど、それを抜きにしても、当時の
時代背景もあって、ちょっと妖しい匂いのする、神秘的な
世界にすごく心惹かれる傾向があった。

profileの所にも書いたけど、植物の気持ちに通じていたし、
妖精のような小さな光がぴゅんって飛ぶのもよく見てたし、
座敷わらしを経験したこともあった。だから、コロボックルって
絶対いる、って確信していた(笑 "誰も知らない小さな国"の
お話が大好きだった。夢中になって読んでいた記憶がある。

面白いなぁー。あの頃って、もしかして、まだ純粋にdragon
headの目指す方向を歩んでいたのかもしれない。

わたしがdragon tailの呪縛に自ら歩み寄ってしまって行ったのは
その少し後からだもの。中近東のヨルダンから帰ってきて、
カトリックの学校に戻った直後くらい。もともと、聖書の世界は
好きだったし、中学からは聖歌隊にもいたし、宗教美術も好き
だったし、そもそも神さまはいる、って思っていたから、宗教の
世界には全く抵抗感がなかった。

自らカトリックに近づいて、そして過度に心酔していくようになった。
結果、わたしはストイックな状態に身を置くことで、安心感を得る
人へと変わっていったのだった。学校というシステムの中では
勉強が物差しになるから、相変わらず美術くらいしか心安らぐ
時間がなかったにも関わらず、大前提がカトリックの学校だったから、
宗教の世界に逃げ込むことができた、という見方もできるかもしれ
ない。

ヨルダンから戻ってきて、学校の閉塞感に窒息しそうになったと
いうのに、今度は自ら、宗教という世界に雁字搦めになることを
選んだのだった。自ら、窒息しそうな状態を作ったのである。
そして、神という、絶対的な規律の元で、いかに聖なるものに
近づけるか、ということを第一目標に、狭い狭い世界にのめり
込んでいった。

カトリックでは、儀式というものや、システム、規律といったものが
とても重要になる。だからこそ、形骸化という負の重荷を背負いつつも、
何千年にもわたって、教会という組織が崩壊せずに今日に至る。
わたしは、そのシステムに取り込まれようと、自ら接近していった
のだった。教会の日曜学校に通ってみたり。友達と誘い合わせて
近所の教会にミサに通ってみたり。中でも、マリアという存在は
わたしにとっては圧倒的だった。女子校にいた、ということも
手伝って、永遠なる汚れなき処女は、わたしの憧れになった。

けれど、それ程心酔したカトリックの世界だったけれど、
やはり最後の最後に、いくつが納得のできない、乗り越えられない
壁があった。"神の愛は平等なはずなのに、どうしてカトリックの
信者にならないと、告解を受けることができないのか"という
疑問は、中でも一番ひっかかった問題だった。カトリックの
洗礼を受けるには、100%の信仰を神と聴衆の前で誓わなくては
いけない。

結局、わたしは神がそこにいるのに気づいていながら、宗教という
システムに入り込むのができなかったのだった。そして、宗教を
捨てる決心をした。

わたしがおとめのdragon tailに一番振り回されていたのは
まさにこの時期だったと思う。汚れなきもの、より完璧なものに
憧れ、自分も他人も律したい衝動にいつもかられていた。
自分はいつも正しくて、だから、周りの友達が何か間違いを
犯していたら、それは修正させなくてはならなかった。
ルールは絶対だったし、ルールに照らし合わせて、それが
正しいことと思えれば、自らの意志など関係なく、相手に
奉仕するべきだと考えた。dragon tailらしく、おとめの悪い
要素が過度に出てしまったのだった。

その当然の結果として、わたしは友達に理解を得ることができず、
どうして当然のこと、当たり前のこと、正しいことをしている
のに、周りのみんなはわたしをわかってくれないのだろう。
でも、わかってくれなくてもいい、いつか理解してくれるなら。
と独善的な世界観に入り込んでいってしまったのだった。

そして、その後何年間かに渡って、色んな人から、様々な
場面で"もっと自分を大切にしなさい"とアドバイスを受け続ける
ことになったのだった。最初の頃は戸惑った。正しいことを
しているのに、何故?って。正しいことをすることが、自分を
大切にしていない、ってどういうこと?って。

けれど、あまりにも色んな人からそう指摘を受けるので、
徐々に、何か間違っているのかもしれない、と考えざるを
得なくなっていった。

芸術学科に入学したのを期に、わたしは一度、ありとあらゆる
枠を取っ払おうと考えた。自分を雁字搦めにしてきたもの、
全てを一度、壊してしまおうと考えたのだった。そして
思い切り頑張って羽目を外すことで、それを実現していった。
散々、周囲を振り回してしまったけれど、なんとか自分を
見つけることができた。そして、自分を大切にすることの
意味を、なんとなく理解できるようになっていった。

わたしは、解放された、と思った。

それから更に紆余曲折すること、10数年。今わたしは改めて
自分を見直す時期にきているみたい。それはまるで、星たちに
導かれているように、後で調べると、星の動きと一致するの
だった。

例えば、結婚する直前、わたしのascendantにはtransitの
天王星が通過中だった。みずがめの天王星。それを象徴する
かのように、わたしの目の前に突然ネオ・ヒッピー達が
現れ、わたしは長く眠っていたヒッピー魂を揺さぶられた。
そして、結婚後、徐々に徐々に、色んな意味でヒッピー
度合いを深めて今に至る。

それからsaturn returnがきて、自分の今後の身の振り方に
悩み、脱出した後、月、太陽と土星に乗っかられ、更なる
ブラッシュアップ。n太陽ふたごだけれど、transitの土星が
ふたご入りした頃に、天王星に続いて、今度は冒頭に出て
きたtransit海王星がscendantの上をちょろちょろしていた
ことになる。

この海王星にくすぐられて、わたしはdragon tailに引き戻され
そこから脱出して以降ずっと拒絶してきた、目に見えない世界に
再び辿り着いたような気がしてならないのだが、その直後に
太陽に土星が乗ってきたのは、なんとも不思議!saturn returnで
人生を見直して、月にtransitの土星で、育児というものに
真剣に向き合うことになって、海王星が来た後、akademeiaに
通い始め、太陽にtransit土星が乗った時には、まだまだ逃げて
きた問題の数々を土星先生に突きつけられて、でも、学校の
先生方や仲間に支えられて、なんとかそれを乗り越えて、
新しく、占い師という生き方を身につけることができる
ようになって、今に至る。最後の、太陽に乗ってきた時期なんかは
土星先生に、今後の身の振り方を教えてもらって、形にできたような
もんだと思う。

そして、ここ最近の冥王星騒ぎ。土星なんかより遙かに深い
レベルでの見直しを迫られてるみたい。冥王星opposition
n太陽で表れたと思っていた、ここのところの体調不良も、
こう考えてみると、もしかしてdragon headにも絡んでいそう。

海王星がascendantを通過して、眠っていた、natalの海王星trine
dragon headに揺さぶりがかかって。占いの世界に足を踏み入れて。
去年の10月くらいから、目には見えない世界から色んな働きかけを
受けるようになって。それは確かにtransit冥王星がわたしの
natal太陽square natal冥王星とaspectを形成するorb圏内に
入ってきた頃のことで。

具体的には、亡くなりかけていた同居中の旦那のおばあちゃん
からのmessageを受けたり、クリスタルヒーリング中に、
過去生と思われる人に遭遇したり。その後も石と遊んでいる
間に、2回ほど、別の過去生の人々に出会ったり。というか、
過去のわたしの魂に廻り遭った、という方が正しい表現
なのかな、、、。

これがまた不思議なことに、出会った過去の魂たちは、
みな、宗教に関わりあった人々だったらしい、ということ。
そして、それぞれに悲痛な亡くなり方をしているということ。
この過去生の魂さんたちとの出会いで、わたしは何故自分が
宗教というシステムに入り込むのが怖くなったのか、納得
できたのでした。

わたしが組織やシステムという狭い世界に入ることに
恐怖感を感じるほどの激しい拒絶反応を起こしてしまうのは、
ascendantのみずがめや、ちょろちょろしたがる浮気性の
ふたごの太陽のせいだけじゃなかったみたい。

そういうわたしの魂が今生、目指すべき生き方は、うおの
dragon headが示していて。まだまだ模索中ではあるけれど、
なんとなく、自分的には、あー、こういうことなのかなー、
というような思いが最近、自覚でき始めていて。そのheadは
2hにいるから、世俗的な観点でみれば、自分の収入の
部屋にheadがいるから、headの目指すことで銭稼げる、なんて
話になるんだけど、2hは自分の肉体、五感を含む感覚の部屋
でもあって。

だから、今、冥王星に体のことに目を向けなさい、と呼びかけ
られているのって、ひょっとして、dragon head、つまり
魂の目指す姿のあるところ、という意味でのわたしの体に
目をむけなさい、というmessageなのかなぁ、なんて
漠然と思うのでした。それを理解するのも、結構難しいけど。

ただ、この間、少しわかりかけてきたことがありました。
わたしは、宗教を捨てた時点で、カトリックから解放された、と
思い込んできたのだけれど、伊達に小学生のころから慣れ親しんで
きてしまっていた信仰だけに、実は体のあちこちに、まだその
残骸のようなものが潜んでいて。そのひとつが、人間は
生まれ持って罪汚れた存在なのだ、という教え。

もうこれは、そういうものだ、という価値観として、わたしの
中に染みついてしまっていたので、関口先生の元で西洋占星術に
出てくる天体を詳しく勉強していて、目に見えないスピリチュアルな
存在も、人間も、上下関係はない、と教えられた時に、大きな?が
出てきてしまい、しばらく受け入れることが困難だったのです。

それは取りも直さず、わたしは自分のこと、大好き、って散々
あちこちでふれ回っているのにも関わらず、自分自身のことを
汚れたもの、罪深いものとして捉え続けていることを意味
していたのでした。わたしがわたしを受け入れ、愛していく、
という前提に、わたしは、自分が愚かで罪深い人間だけど、
それでも自分を好きでいたい、という図式が出来上がって
いたのです。

カトリックに染まっていた時は、それでも神は慈悲深く
わたしを救ってくれる、スピリチュアルな存在なもの達は、
神の下、人間の上に存在するもので、人間と神を橋渡し
してくれる、つまり、人間を超えた、上なるものだと
理解していたので、どうしてそんなに聖なるものが、こんなに
汚れた人間と横並びになるの??とパニックに。ここでも
過去のtailの弊害に、揺さぶりをかけられたみたい。

でも、関口先生とのやりとりの中で、そういう聖なる存在と
横並びな人間って、実は汚れた存在でも、罪深き存在でも
ないんじゃないか、って気づいたのでした。少なくとも、
人間という存在そのものは、決して汚れている訳じゃないんだ、
って。だからこそ、こんなにも恵まれた人間という存在に生まれた
ことを、自分自身で、大切に大切に慈しまなくてはいけないんじゃ
ないか、って。

冥王星は魂を揺さぶるというけれど、2hうおのdragon headを
目指してわたしに宿った、わたしの魂が、今ガンガン揺さぶりを
かけられているようです。今、わたしの周りでは、既に解消
してきたはずの、おとめのdragon tailちっくな亡霊たちが
そこかしこに現れてきていて。それは自らの内側から顔を
出したり、人という形を借りて出てきたり。

その度に、激しい動揺を禁じ得ないのだけれど、こうやって
本当の意味でカルマを解消していかなくちゃいけないんだろう
なぁ、って。臭いモノにフタをしてきたつもりはなかったけれど、
まだまだ過去の自分の亡霊に心乱されるのは、解消すること
なく、置き去りにしてしまってきた何よりの証拠。しばらく
居心地の悪い日々は続くけど、今この時期に、解消しておかないと
もっと怖い亡霊となって、わたし自身も、わたしを取り囲む
周囲もカルマに苦しめられ続けてしまうだろう。ふぅ。
少々荷が重い。

それにしても、わたしは何処へ向かっているんだろう。
この先、どこに辿り着くのだろう。わくわくする反面、
なかなかにheavyな人生の宿題を抱える今日この頃。
 





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