2010年07月29日(木)


 はいはい、さくさく続きにいきますよー、のはずが全然さくさくしてないし、終わってもいない(笑)。



 千秋楽の話とは全く関係ない話になりました(笑)



[千秋楽辺りメモ:ロジェにまつわるいくつかの話]

・なんだかんだで、初日明け、中日(茶会遠征)、楽辺りと見てきました。初見時のメモに「マリポーサより平易」と書いたのですが、ごめんなさい、やっぱりわかりにくいわー(笑)。

・わかりにくいことと、深いことは、同じようで違うようで、これはどっちなんだろうなぁ、とぼんやり思ったり。もちろん私にとっては後者ではあるのですが、やっぱり一見さんには厳しいよなぁと思います。正塚君はそのあたりをよく考えるように(なに口調)。

・が、そんな風に見れば見るほど深まる作品なんて、私がきらいなわけないじゃないかー!
 見るたびにどんどん引き込まれていきました、うわーん、好きだー!

・見れば見るほど、ロジェさんがどんどんかわいそうになって、どんどんかわいくなっていきました(笑)。いや、何度も言っているのですが、「復讐こそが癒し」というロジェさんは人間的には欠けているように思えるのです、いっそ情緒欠陥、未発達。それがどこかロジェさんを幼くみせているなぁと。もう何あの小学生みたいな恋愛スキルは!ちなみにタンゴの場面でロジェさんがテーブルの上にねそべるのは、サービスショットというより、「ぼくもうやだ」って言って駄々こねてる子供みたいに見える(笑)。まあ、そんなこんなで妙にかわいくなっちゃたんですよね、あんなコワモテなのに(笑)。

・で、もう一方の「かわいそう」は本当にロジェは「ひとり」だったんだなぁと思うことです。シュミット先生のところで言う「ずっと、ひとりですよ」は公演が深まれば深まるほど、ぐっときてしまいました。ロジェが「ひとり」だったのは、実際に家族を失って「ひとり」もあるのですが、自ら「ひとり」を課しているような気もしていました。じゃあバシュレさんは?となるのですが、彼はもうロジェの一部(あるいはロジェがバシュレの一部)なんじゃないかな、と。まあ、この辺はSSで(笑)。

・そうやって「ひとり」だったロジェが「ひとり」じゃなくなったのがこの物語の結末なんだと思っています。最後にリオンに銃を手渡したとき、そしてそこにレアがずっといてくれたとき、初めてロジェは「ひとり」じゃなくなった。それはロジェが血塗られた部屋から出てきて、初めて世界と触れ合った瞬間なんだと思います。そして愛することの意味を、生きることの意味を問う。だって彼はそれまで愛することも生きることもしらない、子供だったから。

・最後の場面でロジェが皆に見送られるのは、そういう風にロジェが「ひとり」じゃなくなった象徴なんだと思っています。そうやって「ひとり」じゃなくなったロジェの視界にはいる「みんな」(=世界)ロジェが銀橋をわたる事で、その世界に劇場にいる私たちも含まれるのじゃないのかな(と、勝手に思ってじーんとしてた)。

・もうひとつ、この最後の場面は私は「誕生」なんだと思っています。ロジェが「ひとり」じゃなくなった瞬間、新しいロジェが生まれた。それまで世界を知らなかったロジェが世界に触れる、誕生。あの「うあああああ!!(表記不可能)(笑)」の叫びは、まさしく誕生の「おぎゃー」と同じに聞こえるのですよ、私は。

・ところで「うあああああ!!(表記不可能)(笑)」の叫びは、業平の高子の着物を前にしての慟哭と同じぐらい難易度の高いものだと思っています。ほら、男役の慟哭って難しいじゃないですか?初日明けはちょっと、ひっかかっていたんですが、楽近くなってぐっとよくなってました。あれは泣きを入れるのが正解だよねぇ。

・まあ、そんな風に「ロジェ」のラストシーンを解釈していた私……ええ、どうしてもあの場面を「水夏希」としては観たくなかったんですよね。それぐらい私はあの作品を「ロジェ」として見ていて「水夏希サヨナラ公演」としては観たくなかったんですよ……。いやどうみてもあの場面は正塚先生からの「ミズ、好きなだけ大劇場に別れを告げてこいや」なんだけど、いやだからこそ!!(むだなあがき)。

・だから私はあの場面では泣けなかったんですよね。あれは水夏希(今回退団する雪組トップです)じゃなくて、私にとってはあくまでも「ロジェ」なんだと、千秋楽までずっと頑なに思っていました。

・いや、あの場面が普通は泣く場面なんだとはわかっていますが!でも私は泣けなかったんですよね。だって、あれは「ロジェ」でミズナツキではないものなぁ……そこが私がガチ担であってもマジ担になれないところなのかな、と思ったり。あるいはファン歴が浅いから、そういう投影をしないのかなあと思ったり。

・でも、ロジェという役は実にミズナツキさん的だなぁと思っているのです。上手く言えないんですが、ものすごくミズナツキさんが滲んでいる役だなぁと。

・例えば、っていつも比較に出してしまってアレなんですがネロの時は、ネロの生き様にそのまま雪組トップのミズナツキの生き様が投影されていたような。ミズナツキとネロが表と裏みたいな。でも今回は、ロジェの生き様はミズナツキとは重ならないなぁと。その代わりに、ロジェのたたずまいと言うか、ちょっとしたしぐさが、すごくミズナツキ的。もちろんそのまんまミズナツキさんが素を出している訳じゃないんだけど、確かに、ミズナツキが演じている(というか中に生きている)ロジェだな、と思えるのです。

・それで思い出したのが茶会での、「境界線」の話。「自分」と「役」ロジェはリアルな感情を要求されるから、「自分」の方にいながら「役」近づけるのが難しい、って話。でも、ナツキさんはこれを実現できているんじゃないかな、と。だから、ロジェの中にミズナツキ的なものが垣間見える。ロジェ=ミズナツキに見えてくる。

・ネロでは「境界線」の向こうに行った。けれどもロジェでは、「境界線」のこちらにいながら、舞台に立っているのかな、と。

・実に自然体だなぁと思うのです、今のミズナツキさんの舞台でのあり方が。それは最後だから、できること。最後にしかできない最後の挑戦、かな。

・そう思うと、最後の場面で「これはロジェだから!」と頑なになっていたのも違うのかな、と。ロジェとかミズナツキとかじゃなくて、そこはもう一体なのだから、ただ、感情にまかせればいいのかな、と。そんな事を千秋楽に思いました。そしてそんな瞬間を見られた事に、そこまでたどり着いたミズナツキさんを見られた事に、ようやく泣いてしまったのです。

・そういうミズナツキが観られたことも、またあの場面の「誕生」なんだと思っています。初見の感想で思った「新しいミズナツキに出会えた」はやっぱり間違っていなくて、そうやって「ロジェ=ミズナツキ」が生まれた「誕生」でもあったのだと思います。



 「退団」は「誕生」なのだな、そんな事をずっと感じ続けた、この1ヶ月でした。








 えーっと、これは観劇感想なのかしら?
 引き続きショーとサヨナラショーの話をしようと思ったのですが、タイムリミット!
 続きはまた後で、ってまだ語るの?(語らせて)



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