| 2010年06月26日(土) | ||
| 君と僕の「今の」話をしよう | ||
|
「さいごの」初日が明けました。 という訳でムラ行ってきました、禁断の弾丸日帰りダブルヘッダー、34の誕生日にやってもうにどとやらないとの誓いをお前の為に破ろうロック・オン・ユー!! っていうぐらい楽しかったです(あったまわるいな)。 その都度感じた事はついったーにもつぶやいているのですが、つぶやききれなかった分とか、あとやっぱり言葉を残しておきたい気持ちで、つらつら書いていきます。 (感想文になってません、なんというか担的禅問答?)(笑) [雪組メモ:ロジェメモ] 初見で観終わってから、言葉になりませんでした。いや、一人だから別にしゃべる必要ないのですが(笑)、いつもなら観終わって言葉がぽろぽろ出てくるというか、言葉にしないと抑えられない衝動があるのですが、それがどうにもこうにも言葉にならなかった。別に悪い意味ではなくて、本当に、ぎゅうぎゅうと色々なものを詰め込まれて、そのどれもがあったかくてやさしくて、言葉にしたいけれど、しなくてもいいような、今はそれを抱きしめていたいような、そんな気持ち?(さあ、最初から歌劇詩壇が始まりましたよ!)(笑) いきなり話が戻るのですが(もしかしたら前にも書いたかしら)、私はネロが本当に好きだったので、サヨナラ公演が正塚と発表になったとき「ネロを越えられる訳ないじゃん!」と本気で思ったんですよね(いたい)。それぐらいあの役は特別で、逆にまた正塚作品が回ってくることで、ネロと比べるものができちゃうのがいやだったんですよ(あんたネロが好きすぎる)(笑)。 ネロを越えてもやだし、ネロを越えないのもやだし、みたいな?(あんたネロ(略)) でもその反面、あの時のミズナツキに「ネロ」を書いてくれた正塚先生だから、きっと今度も「今」のミズナツキに合った役を書いてくれるよね、とも思っていました。 で、その予測はあたったなぁと。「今」のミズナツキにしか出来ない役だな、と。 合った役、というよりも、正塚先生がミズナツキを解放してくれた、って感じかなぁ。 で、また話が戻るのですが、マリポーサの時に 「セリアの感情や出来事が見えにくいのは個人の事だから。ネロたちの世界観がゲリラだ革命だといっているからどうしてもドラマとして小さく見えてしまう」 的な事を書いたのですが、今回は逆で、ロジェの方がセリア的に世界観が小さい(個人の出来事)なんだなぁと。そして逆に大きな世界観(もっと言うと正塚作品の世界観)を背負っているのはレアの方だと思うんですよね(両親から背負わされた大戦の記憶、ユダヤとしての生まれとか)。結果として、主人公はロジェなので、小さい世界観(個人の出来事=復讐)を中心に回る今回の作品は全体的に小さくなったと言えるし、その分、レアの大きな世界観の方が書ききれなくて、若干レアの話がわかりにくくなっているかな、と(ただここはもう少し芝居がつまってきたらみなこが埋めにくると思うの)。 そんな感じで、私にはロジェ=セリア、レア=ネロという方式が見えたわけです。 で、これが私には正塚先生からの「今」のミズナツキを「解放」してくれた、のだと思ったんですよね。己の世界観を背負わせず、最後にミズナツキという役者に「個人」を演じる機会を与えてくれた。思えばミズナツキさんはトップになってから、「誰かため、何かのため」の役を演じ続けているわけですよね。っていうかそもそもヒーローは「誰かのため、何かのため」に動くからカッコいいわけで、ドラマが生まれる訳で。でその「誰かのため、何かのため」を演じるミズナツキはそのまま雪組トップのミズナツキにどんどん重なっていって、私はそれが切ないぐらいに好きだったし、特に後半はもう息をつめるように見つめてきたなぁと。 (なんだか段々担語りになってきたぞ) そういうものを、今回正塚先生はとっぱらって「お前、お前の為にすきにやれ」って言ってくれたみたいな?解放してくれたみたいな?なんかいきなり砕けた調子で書いてむっさんごまかそうとしている、みたいな?(笑) 「今」のミズナツキに宛書いた、っていうとちょっと違うのだけれど、この「解放」は「今」(退団公演)でしかできない事だよなぁと思うのです。実際、これから退団するということは男役からの「解放」なのですが、その前に、ミズナツキを一人の役者として「解放」してくれたのかな、と。 プログラムでもナツキさんが「最後まで役者としてできるかぎりのことを」と言っていたのが印象的だったし、なんか、そんな事を考えました。 なんとなく絶賛?モードっぽいんですが、やっぱり大劇場向けのお話ではないとは思います。ただ今回は演出がかなり大劇場向けになっているので、マリポーサほどではない。且つ個人の感情(ロジェ)が主軸なので、わかりやすいかな、と(何口調?)私は好きです「ロジェ」。 初見で幕が開いた時、とっさに「新しいミズナツキ」と思ったんですね。その時は、「負の感情に走る役ってめずらしい、わたしこういうの観たかった!」と思ったのですが(ほら、ミズナツキさんの役は基本的に前向きにがんばっちゃってるじゃないですか)(笑)、「新しい」と感じたのは、その感情の方向ではなくて、↑でも言ったように「個人」を演じていた事なんじゃないかな、と思った次第です。 最後にまた、新しいミズナツキに出会えたのが嬉しいなと思います。 ぜ、全然ロジェメモじゃないよ。なにこのうっとおしさ! でも自分的には気付きがあって、満足です、つうか書きながら考察しないで!(すまん)。 あー、もっと書きたいことあったのに。「卒業は誕生の物語」であるとか、ショーの孔雀が中二すぎる件とか。なんか空気かわっちゃったので、それはまた別にまとめます。 ただ、これを書いていて思ったのは、「ロジェ」は「役者ミズナツキの集大成」で、「ロック・オン」は「男役ミズナツキの集大成」なのかなぁと、ぼんやりと。 でね。 退団公演って実感が全然わかないんですけどーーーーーーーーー!(笑)(笑うのか)(笑っとけ) でもまあ、それならそれで、と「今は」思います。 あの人は最後だから頑張る人じゃなくて、常に最大限に頑張ってきた人だから。 これまでと変わらないから、だから実感がわきにくいのかもしれません。 そんな人だから、大好きなんだろうなぁとも。 「今は」そう、思います。 |
||
|
|
||
| BACK INDEX NEXT | ||