| 2009年12月27日(日) | ||
| あなたにはできることがたくさんある | ||
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もうこれしかいえません。 ゆきぐみがんばろう。 旅立つひとも見送るひとも見守る人も惜しむひとも、皆が最後はしあわせに明るく笑えますように。 今日の日比谷もそんな風であったのだと信じています。 ご卒業おめでとうございます。 今日は伝書鳩返しと、今更のバルセロナ感想文ですよ。 [伝書鳩返し] ・>某しずく嬢のラスト茶に行ったら、 >Q:男女問わずやってみたい役No.1 >A:『スサノオ』アオセトナ >……やややっぱりこの娘案外面白かったのに!! し、ず、く(笑)。いいネタありがとうございます。星娘としてキャラ立ちが芽生え始めた瞬間に月組行ってしまいましたからね……今となっては、彼女のしあわせを願うだけです。 ・>でも、そう思うからこそ、瀬奈くんは余計に >「ひとり」に見える気がします。 >つまり、ファンの方が相手役がいないからと言って >どこか彼女を突き放したような見方をするから、彼女は「ひとり」なんだと。 >「ひとり」にしているのは、そういうファンの視点が・・だとも私は思うのです。 これは本当に目ウロコなお話でした。そういう見方もあるのか、というかそういう見方が正解だったんでしょうか……(だとしたら私はかなり失礼な文章をあげてしまったということかと……)(すみません)。 ものすごく興味深いお話でした。 ただ、今回の事を除いても、私はタカラヅカにツガイ萌えを求めてしまっているのも正直な話で……400人が繰り広げる大かけざん大会!いちゃつくあいつら見てニヤニヤしたい!的な(笑)。頭悪くてほんとすみません。 ・>そして、それでも「もう宝塚なんて大嫌い!ぜったい観ない!!」とは >どうしても思えなかったんですよね。 >こんなに辛いのにこんなに好き。 >ここはなんて世界なんでしょうか。 生存確認に出て来てくれてほんとにほっとしました……っ。大丈夫ですか? 本当に辛いのにでも好き。 それでも「タカラヅカが観たい」って思います。私も十年余りヅカファンをやっていますが、その間に「歌劇事業部め!」と思うこともたくさんあったのですが(今だって思うのですが)、それでも観続けてきたし、観たいと思う、タカラヅカにはそう思わせてくれる、私たちが信じていい何かがちゃんとあるんだと、そう思わずにはいられません(すみませんすごく今感情的になってます)。 とにかく身体だけには気をつけてくださいね。 という訳で、今更ながらのバルセロナ感想文続き。 相変わらず「俺的」です。SSとの違いがわからない(笑)。 [続・俺的情熱のバルセロナ:侯爵の話] あくまでも、私の視点は名古屋止まりであることを念頭においていただき、追記としてもう少し書いておきます。 ・名古屋マイ楽の時に、ふと、「あれ?私がこんなにぐるぐるするのはやっぱりミズナツキさんが恋に暴走する若者にしては理性的なせい?」と唐突に気づいてしまいました(ああ!)。いや、皆さんのご指摘通り、やっぱりミズナツキさんは恋に暴走するニンではないんですよね……だって私の周り、みんな「これれおんがやるといいのにね」って!(そして反論できなかった……っ!)(ごめん!) ・そう思ったのが、フランシスコが海辺の別荘からバルセロナに戻るソロの場面。あの場面が「恋に思い詰めて暴走」には見ないんですよね。初演は知らないのでなんとも言えないのですが、たぶん、本当はあそこはもっとなにも考えずに(そしてこちらに考えさせずに)若さと情熱でばーっと行くところなんじゃないかと。 ・でも私はそこがナツキフランシスコの真骨頂だと思っているんです。若さと情熱というより、もっと重く思い詰めていた。あそこで言う「命など惜しくない」が、前半の牢獄の場面と全く違う文脈になっているなぁと思ったのです。命の重さがぜんぜん違う。 牢獄の場面は本当に、恋する若者ののぼせ感というか、美辞麗句感というか、その言葉にすら陶酔している感じで、もう簡単に「命懸けて」てしまっている。死をおそれない、死の重さも知らないのに。 けれどもその後のバルセロナに再び向かうフランシスコの「命の重さ」はずっしりと重くなっている。命を懸けるが文字通りの言葉になっているというか。そこにぐっときてしまったのです。 ・(そう思うと逆にナツキさんがあのニンで前半の恋にうっとりきらっきらしちゃっていたのが、私的にはすごく評価したいんですけれどね、まあこれは担のたわごとです)(だってちょうかわいかったじゃんか!)(はいはい) (ナツキさんの乙男な部分がちょう発揮されていたじゃないか!)(そこなの?) ※むっさんのカッコ書きがうざいのは仕様です。 ・ところで私は「ラフォーレ伯爵は二度死んだ」と思っています。一度目の死は海辺の別荘の場面。あそこで彼は生きるために脱獄したのに、ロザリアがいないことで彼にとっては「死」と同じと知ったというか。(その死を見てリンダは愕然としたのだと思うし絶望したのだと思うし)。二度目の死はラスト。聖職となることでロザリアとはもう会わない(会えない)事で、彼にとってはそれもまた死なのだと思っています。 ・フランシスコの生と死はおもしろいぐらいに食い違っていて、明日にも殺されるかもしれない牢獄(死)にいながら、ロザリアが側にいたことで生を得ていた。無事脱獄し海辺の別荘で安全で穏やかな時(生)にいながらも、ロザリアがいないことで「死」に漂い、もう一度バルセロナに戻ったら「死」が待っているにも関わらず、ロザリアの元に走るフランシスコには生を目指して走り続け、ロザリアとの再会で「生きている」実感を取り戻し、そして死を受け入れようとした。ところがその死の直前に、リンダによってその生を救われる。けれどこれから一生ロザリアとは会えないことで、フランシスコはこれから命の終わるそのときまで、死んだまま生きながらえるのだろうなぁと。 ・最後に一目だけ顔を見せてほしい、とはその「生きながらの死」に向かうフランシスコの、「生(ロザリア)」への決別であり、最後に後ろから抱きついてきたロザリアの手を外すあの場面が、「この命惜しくない」と言い続けてきたフランシスコが本当に「死」を選んだ場面だと思うのです。 ・という風に私は見えたのですが、そうするとラストの教会の場面がちょっと情熱的すぎる(ロザリアとの恋に未練があるというか)ので、たぶん、これは私がナツキフランシスコから読みとった妄想にしかすぎないのはわかっています。けれどもそうやって見えてきた、フランシスコの「生と死の錯綜感、疾走感」がほんとうにたまらなかったのです。バルセロナに向かう場面での主題歌をテンポアップで歌うところが、本当に疾走している感じで、市川名古屋と、フランシスコの人生を共に疾走した感がありました(だからもうほんと今回は疲れたよ)(笑)。 ・ところでもう一点、ナツキさんが今回のフランシスコのニンじゃないというところに「なにも知らない若い僕ちゃんのはずなのにラブシーンがエロすぎる(もっと言うとラブシーンだけトウが立ってんだよ……)」ってのがあったかと思うのですが、そんなの「ドキ!男だらけの神学校!」であれやこれやあったに決まっているので何も問題ないと思っていまーす☆(星をつければいいってもんじゃない) [続・俺的バルセロナメモ:将軍のお嬢さんの話] ・市川名古屋を見終えて、バルセロナを反芻しながら実は一番激しかったのはロザリアだったのじゃないかな、という思いを強くしています。 ・そう思ったのが「私の胸からしたたる血で地面にフランシスコといっぱいに書いて」の歌で、なんて壮絶な、と思ったのです。あの愛らしい外見に似合わず、「修道院からでてきたような」お嬢さんのはずなのに。 ・でもよくよく考えてみると、ロザリアには最初からその激しさがあったんじゃないかなと。激しさというか覚悟というか。それがフランシスコとの出会いの後の「あのリンダ・メレンデス公爵夫人が想いをかける青年」という事なのかなと。あの時、ロザリアはリンダにかなわないと思っているんじゃないのかな、と。それは張り合うとか、ライバルとかそういう意味じゃなくて、直感的に「かなわない」と。そのかなわないロザリアが唯一できることと言ったら、フランシスコに愛を捧げるだけじゃなくて、その命を捧げる事。ただこの身ひとつでフランシスコを愛するしかない。それほどにロザリアは思い詰めて、フランシスコを愛していたんじゃないかな、と。だから「胸が引き裂かれそうな誓い」を立てて「この滴る血でフランシスコといっぱいに書いて」と言える。なぜなら、ロザリアはその命を懸けているのだから。あの歌で「いいわそれでもいいわ」と言い切れるのはロザリアの決死の覚悟以外のなにものでもなくて。 ・牢獄の場面も、恋に浮かれているのはフランシスコの方なんですよね。ロザリアが必死にその命を懸けてフランシスコの命を救おうと守ろうとしているのに「ぼくこんな命惜しくないもん」て!私がロザリアだったら切れる!(笑)フランシスコの「命を懸ける」が後半になるにつれて言葉通りの意味になっていったのに対して、ロザリアはなんの掛け値もなく、言葉どおり「命を懸けて」いたのだなぁと思ったのです。もうほんと男子ってバカバカ!(笑)。 ・フランシスコの脱獄が終わった後のルイス伯爵の「あなたに愛されたからフランシスコは救われた」は、まさにそういうロザリアの「たったひとつの命を捧げた愛」、その決死の覚悟を知っていればこその言葉だったんじゃないかな、と(最初はうっかり「ロザリアがジサント将軍の娘」であることを示唆しているのかと思ったけれど、これは穿ちすぎだった)。 ・そうやって命を捧げてきたロザリア。けれども最後に結局その命は彼女の手の中に戻ってきたんじゃないかなと。もう彼女はフランシスコに命を捧げることができなくなってしまった。いやらしい言い方をすれば、フランシスコはリンダにその「命」を救われて「死にながらの生」を生きる、もうロザリアの手の届かないところにいってしまった。フランシスコとロザリアの恋愛の情熱ベクトルは、どうしてもフランシスコがひとつ上をいっている感じだったのですが(思いの強さが違うというわけじゃなくてね)、最後に「あなたのいない世界など死も同然」と叫ぶロザリアが、それまでの二人の間のどんな情熱よりも一番激しかったと思ったのです。胸を引き裂かれるような。それにものすごく心を打たれたのです。 ・そうやって「死にながらの生」を生きるフランシスコと同様「捧げた命がこの手に戻ってきた」ロザリアも、その生死が錯綜したなぁと思ったのです。その二人が最後に「離れても僕らはひとつ」、生も死も関係なくようやく二人が本当に結ばれたかなと思ったのです。 まあ、俺的(限りなくねつ造)ですからね(笑)。 だいぶ期間をおいてしまったので、台詞等はかなりニュアンスだけでくんでいます。あともういっこしたかった話で、フランシスコが劇中何度か言う「離れても僕らはひとつ」が、物語の進展と共にニュアンスがどんどん変わっていった、ってのがあったのですが、立証する為の細かい台詞がぜんぜん思い出せない……っ! DVDを買ったら検証してみようと思います。でもDVD観たらぜんぜん違うものにみえちゃったりな(収録いつなんだろう……少なくとも私が観たのよりは後のはずだから、その違いも込みで楽しみです)。 |
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