| 2009年11月16日(月) | ||
| ザビエルだったり原宿だったり | ||
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美しい叔母と、美しい甥と、粋なところがある愛人と、絶倫大公のことばかり考えていた一日でした(ついった再引用)(だから絶倫とか言わない)。 という訳でバルセロナメモ。「俺的」と付くときは妄想というかSSです(笑)。 とりあえず思いつくまま感じた事を、マシンガンに吐き出しておきます。もう本当に言葉が溢れて苦しいぐらい。 でもそういう作品に出会えた事が幸せだなと思っています。 いつも以上に曲解メモです。 あと私やっぱりナツキ担なんで、フランシスコ・ラフォーレ侯爵視点でモノを見ています。その辺を踏まえた上で(前置き終了)。 [俺的バルセロナメモ] ・それでリンダが大公に「身を投げ出す」とこの話なんですが(イキナリそこか)、最初「一回きりってそれでいいの?!うわ大公その条件のんじゃうんだ!しかも終わった後はルイス伯爵とくっつくんだ!」とびっくりしたのですが(てっきり完璧に大公の愛人となるのだと思ったんで)(そして一回きりで満足するような人に大公が見えなかったので)(笑)。何度か見ているうちに、多分、一回犯されただけで、リンダは一生大公に犯され続けるのだなと思いました。リンダの性格・プライド的にはただ一回辱めを与えればよくて、それをリンダが一生引きずることを大公は知っていた。目的は、快楽じゃなくて、そういう罪科を与える事なんだと(自分をないがしろにしたリンダ、ひいてはルイス伯爵への意趣返し)。それゆえにリンダはもう一生、大公に(肉体的ではなく)おかされ続けて、大公はリンダを(肉体的にではなく)おかしつづける、と気付いた時点でぞっとしてしまいました。 ・そうして大公に「犯され続けている」リンダの傍にいるルイス伯爵の胸中を思うだけでSSが三本ぐらい出来上がってしまうのですが。けれどもリンダの胸中にはもう一生フランシスコだけがいるわけで。そこから更にSSが(略)。 ・ルイス伯爵の「懐の大きい人物」にもほどがある!とびっくりしました。本当に「愛人(身体の関係あり)」なのかなぁとぼんやりと思いました。宮廷の権謀術策を潜り抜ける為の関係性に見えてなりません(対外的に「愛人」と知らしめる事でお互いに利益を得ている、みたいな)。もちろん、ルイス伯爵のそれは間違いなく愛なんですが、リンダからルイス伯爵への感情は「愛」ではないような、その一言では説明できないような。だって「尊敬する愛人」って普通出てこない組み合わせだよね? ・でもルイス伯爵ほどの人なら、リンダをモノに出来たと思うのですが、多分、彼はそれをしなかったのだろうな、と。完璧妄想ですが(いやここまでも十分妄想ですが)、ルイス伯爵がリンダと出会った(そして愛した)時には、まだリンダの夫が生きていたのではないかと。それゆえに彼は最初から、「引き」の恋愛しか出来なかった。彼に出来る事は彼女を守ること。「あなたを守ることができればとためらわずにその道をさぐる」。「引き」というか、遠まわしと言うか、遠巻きというか、直接リンダ自身に触れないというか。 ・それでその後、リンダが未亡人になった時にルイス伯爵はリンダを「押し」たと思うのですが、その時に初めてリンダの中にはフランシスコがいた事に気付く、的な。実は障害は夫ではなく、その心の中にいる彼女の甥だった。けれどもそれを伯爵が否定できないのは、伯爵が圧倒されたという「彼女の中の女」が、そのフランシスコ込みで構成されているからで。フランシスコを想うリンダごと、ルイス伯爵は愛してしまったのだろうな、と。だってルイス伯爵って、フランシスコに嫉妬してないですよね?(少なくとも私の見ている範囲では)(暗転直前にそういう嫉妬の顔してる、とかだったらごめんなさい)。 ・もう伯爵ったらどこまでお人よしなのよ!とも思ったのですが、ただ伯爵はリンダの中に踏み込まない代わりに、リンダの死線(デッドライン)を握っているのではないかな、と。何をしても許す代わりに、彼女が彼女である為のギリギリのラインを守ると同時に、そこを押さえている、そこをそこだけは自分のものにしているというか。 その死線が「フランシスコに最悪の事態がおこったら」だと思うのですが、それを引き換えにでないと伯爵はリンダを手にすることが出来ない(もっと言うと言い出せない)。どこまでもどこまでも「引き」の恋だけれども、その死線だけは死守している。それを踏まえた上で彼は問いかける。彼はそのライン上からからリンダに問いかける。 「それでも、あなたの心の中にはフランシスコがいるのだね」 ・リンダの言う「あなたを見つめとおしていれば」という言葉がいやにひっかかって仕方なかったです。見つめ「通す」。この「通す」は相手を見つめ続けるの「通す」であり、相手を貫通する意味の「通す」であり。その言葉が重く、まるで伯爵自身をその言葉で束縛しているようにすら思えたのです。けれどもリンダの「死線」を握る伯爵もまた、リンダを束縛しているのだと。表面的には割り切った愛人関係なのに、その実はがんじがらめに互いを絡めとっているような、それぐらい深い関係性に見えたのです。見つめ通す、は相手を通して、貫いて、繋ぎとめてしまうような、そんな言葉に聞こえたのです。 ・まあうっとおしい作品解釈はさておき、彩吹真央史で考えると、今回のルイス伯爵はものすごくいい役だと思いました。少なくとも私はすごく好きです。初日初見の時、最初に出てきたその歩き方の重々しさのリアルさに、一気にひきこまれました……っ。 ちなみに私の好きなルイス伯爵は、セルバンテス伯爵邸で自由主義者の逮捕の話になったところで「我々政治家の力が足りなくて」とその場の不穏な空気をさっと変えてしまったところと、「手紙の返事を聞きにきたよ」と軽妙に冗談交じりで出てくるところです。あのひと素敵過ぎる、なんでリンダはダメなの?ってかなんで伯爵はもっと強く出ないの?大丈夫だよ!告っちゃいなよ!(女子中学生コス)という疑問から読み込んでいったら↑のような結論になって、更に重くなったという……ね?頭痛くなるでしょ?(つうかむっさんの頭がおかしい)。まあこれもそれも全部「仕様です」と答えておきます(笑)。 [続・俺的バルセロナメモ] ・それでリンダが大公に「身を投げ出す」とこの話なんですが(またそこに戻るのか)、もうひとつびっくりしたのが「フランシスコをこの国の聖職者に」って就職嘆願までしていたことなんですが!いや、だってあの場合、明らかに弱者はリンダであり、そんな要求ぶちまけている場合じゃなくね?と。……で、四回目にようやく気付いたのですが、あれは、その後バルセロナを去る自分(とルイス伯爵)を踏まえて、自分達がいなくても、フランシスコの安全が確保されるようにと、そのための敢えての嘆願だったのだなぁと。直ちに釈放されても、また大公の手にかかる可能性はあったわけで。それを聖域という、大公ですら手の届かないところへフランシスコを『繋ぎとめた』のだなぁと。 ・初見からずっと「フランシスコはどのタイミングで自分の釈放の真実を知ったのだろう?」と考えていたのですが、私の結論は「即釈放」された後、ロザリアの元へ向かうまでの間。その真実を知ると同時に、彼は初めて美しい叔母上の「愛」を知ったのではないかと。 ・逆に言うと、フランシスコはその時までその「愛」に気付いていなかったんだと思うんですよね(にぶちんめ)。リンダの前にいるフランシスコは「甥」でしかなく、むしろいっそ「コドモ」だなと感じました。「あんな立派になって」もリンダの前では無邪気な笑顔を見せていた。ルイス伯爵が「宮廷一の女性」と讃えるのを聞いても「ぼくのおばさんすごいなぁ」って顔しかしてなかったよ(笑)。当然、ルイス伯爵に嫉妬とかそういう感情を抱くでもなく、ただ本当に「甥」で「コドモ」だったなぁと。 ・そして政治向きの話にも全く気付いていなかった。神学校を出たばかりで、世間の荒波をまだ知らない「コドモ」。何故自分が殺されるのかをロザリアが「風が吹けば〜」的に説明しても「意味がわからない」と言い放つ。そして自分の情熱のままに突き進む。周りが全く見えていない。若いといえば若い、愚かといえば愚か。そういう人物だったなと。 ・そのフランシスコが最後の最後でその自分の「罪」に気付く。罪はふたつ。結果としてリンダを大公のもとにやってしまったこと、そしてリンダの愛に気付かなかったこと(そしてそれには一生答えられないという事)。それまで好き勝手やっていた彼が最後の最後にその罪に気付くのだと思うのです。 ・逃亡後にバルセロナに戻ってきた時点で、彼は死を覚悟していた訳で(「命など惜しくない」)。けれどもその命を永らえた、でもロザリアと一緒になることは出来ないわけだから、その時点で(釈放された時点で)再び自ら死を選んでもおかしくないと思ったのです。けれども彼は聖職者として生きることを選んだ。 それはもちろんロザリアの「生きて欲しい」という願い故でもあるけれど、一番は「リンダへの償い」なんじゃないかなと。ロザリアの「生きて欲しい」という願いには一度応えている(聞き入れ脱獄した)けれど、やっぱりロザリアがいなければ「生」はない、というのは既に出た結論で。だから、彼が生きることを選んだのはリンダの為。彼女の愛に応えられない代わりに、彼女への償いに。だからロザリアに別れを告げに行った。 ・ところでロザリアもフランシスコと同じように、周りを全く顧みず、情熱のまま突き進んだのだと思いますが、彼女がその「罪」に気付くのはフランシスコよりも早くて、セルバンテス伯爵が「田舎に帰る(違、わない)」と告げた時だと思うのです。あの賑やかな花祭りの中、セルバンテス伯爵に去られて初めて自分が顧みなかった周囲が見えてくる。もっと言うと、フランシスコと自分以外が見えてくる。あの呆然とふらふらさまようロザリアがそういう回顧をしているようにしか見えなかったのです。そしてすがるようにマリア像に祈っていると、フランシスコと再会。あそこのロザリアの動揺(むしろ狼狽)っぷりは、単に「マリア様との誓いを破ってしまった」だけではなく、「私はセルバンテス伯爵を傷つけてしまった」という懺悔もまざっていると思うのです。けれどもこの時点ではまだフランシスコには「自分とロザリア」しか見えていないわけで。 ・そうしてラストで、再びまみえるフランシスコとロザリア。二人とももう「罪」を知っている。「愛することが罪なのか」は、フランシスコのそれであり、ロザリアのそれであり、そしてフランシスコがようやく知った、リンダのそれでもあると思うのです。 ・フランシスコは「生きる」事を選んだ(選ばざるをえなかった)訳ですが、けれどもロザリアを手に出来ないフランシスコは既に「死」であると思います。彼はこれから一生、「死」を生きていく。皮肉にもそうやって彼を「死」に繋いだのはリンダ。リンダが最初にフランシスコが投獄された時に言う「彼を牢屋に繋いだのはわたしだわ」が、この最後にも繋がっているんじゃないかなと。 ・そう思うとフランシスコの「生」はロザリアに出会って、別れるまでの短い間だけなのかもしれません。「生き続けて来たのはあなたにめぐりあうため」。 そして巡りあって、別れた後、彼が「生き続ける」のは、リンダへの償い。それこそが彼に与えられた最大の罰なのだと。 その短い「生」の間、フランシスコとロザリアがもっとも「生」に輝いていた瞬間が、本来は「死」と隣り合わせであるあの牢獄だったのだと思うと、もうほんと切なくてたまりませんでした。 ・冒頭の神学校の卒業式(だよね?)で、その聖域から「今こそはばたけ」と祝福され飛び立ったフランシスコは、最後に再び、聖域という檻に閉じ込められるのだな、と思いました。 フランシスコが一番自由に「生」を謳歌したのは牢獄、そしてロザリアがいた庭にあったのは鳥籠。「死」と「生」、「自由」と「束縛」、そんな風にダブルミーニングにもトリプルミーニングにも思えてきて、一人でぐあんぐあんきていたのですよ……ね?頭痛くなるでしょ?(つうかむっさんの(略))。まあこれもそれも全部「仕(略) ・フランシスコとロザリアは、一緒にいられないけれど「不幸をわかちあうことで僕たちはひとつだ」と思いをひとつにした。リンダとルイス伯爵は一緒にいるけれど、何かわかちあうことができたのだろうか……そんな対比も見えてきて、またひどく切なくなったりするのです。 ・それでも傍に伯爵がいるリンダ、リンダがいる伯爵。そしてロザリアにはセルバンテス伯爵(きっと結婚したと思うので)がいる。もちろんそこにほんものの感情がないかもしれない、あるかもしれない。 けれども、最後に、ほんとうにひとりぼっちなのは、フランシスコただ一人だったな、と。私は、そう、考えています。 結局、誰も幸せにならなかった物語だと思いました。けれども簡単に誰が悪いとも言えなくて。少しずつ絡み合う愛と罪科、繊細に複雑に絡み合うその人間模様に、やっぱり名作だと、ひどくはまり込んでしまったのです。 ま、大公は幸せだったかもしれないけれどね☆(オチ)。そしてやっぱり幸せな大公妃が「わたくしのサロン(と書いて同人誌即売会と読む)」でフランシスコ総受オンリーをやっている話はまた別のお話ということで(笑)。 |
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