2009年10月25日(日)
SSレスとAIDAメモ(めったにない本文との一致タイトル)


 過去更新。
 SSレスとAIDAメモです


[SSSレス]


・>幸福の王子になっちゃうアルバートさまと必死に止めるヘンリーもいいなぁなんて思ってしまった、どえむなミズさんが好きな六実さんファンです(笑)アルバートさまが実は相当困ったやつな気がしてきました!公演小説がどれも素敵で大好きで、作品の延長にこんな世界があるんだ!と思ってとても楽しませていただきました!

 ありがとうございますー。これ「どえむ」はミズさんと私にかかっているんですよね?(笑)。 アルバートさんはほんと、困った人だとおもいます。でもそんな人だから「魔法」をつかえるのかな、とも思います。


・>「♪思春期に少年から大人にかわる〜」って聞こえてきそうなSSでした


 相変わらず年齢設定が難しいなあと思いつつ(十五歳でこういうこと言うか、とか十七歳でこういうこというか、とか)(笑)、直感を信じて書いています。
 ロシアンブルーSSはもうひとつ書く予定ですのでー。


・>銀橋上手での絡みと「私がなぜあなたについてきたのか、ご存じですね」「あの人にやりたいことが見えていれば、それでいいんです」これこそ、「萌え」と呼ばれるものの真髄です(真顔)。ホモではいかんのです。

 ですよね!「ホモではいかん」のですよ!(力説)あの関係性はホモじゃないほうが絶対に萌えますよね(でもやっぱり萌えなのか)(笑)1、2で主従、なんてなんかなかない関係性だなと思います。そんな意味でも見ごたえあったなぁと。


・>DVDみながらまた一段と萌えちゃうじゃないですか…!

 萌えちゃってください萌えちゃってください(笑)そう言っていただけて嬉しいです。


 今回ちょこちょこ反応いただけて嬉しいです。わーい。









 今更ですが、9月に見たAIDA観劇感想です。だらだら言いたい放題ですが、面白かったのは確かなので、メモメモ(ナツキ語録)。


[AIDAメモ]

・どうしてもタカラヅカ版との比較になってしまうわよねというのを前段に置いて……開幕しょっぱなにドン引いて(!)しまったのは、あのセットとウバルド兄さんの人の芝居……すまん、ごめん、でもそれが第一印象です。ほんとビックカメラあたりまで引いたもの(笑)。セットは他の場面ではよかったから、幕開けのライティングがどうも安っぽかったなぁと(頂上席でみたからかな)。

・さらに半笑いになってしまったのが、ラダメス将軍の「エジプトは領地を広げている」で、上半身裸のひとがうっほうっほと(まさにそんな風に見えた)からっぽな舞台を埋めようと走り回っているのが非常に、その、寒かった……。ちょっとこれは劇場サイズがあってないのかなぁと思いもしました。

・が、(私にとっての)「AIDA」の真価が発揮されたのは、ラダメス将軍にアイーダがひれ伏した瞬間でした。いや、マジ奴隷だった!(衝撃)いや、タカラヅカだとどうしても「きれいに出る」が命題だから汚したり落としたりができないじゃないですか?でもこの物語って、エジプトとエチオピアの格差が表現できないと、作品がものすごくブレるんですよね。タカラヅカではオブラートに包まれて、そして私が中日王家の大真くんの芝居で気づいたその「格差」を最初からきっちり提示してきた!これが外部でやるということなのかと目鱗。

・まったく同じ文脈が「光ってやがる」にも適用されます。ほんとにエチオピア兵がきったなくって(ほめ言葉)、もう明らかな「格差」なんですよ。きんきらの衣装に包まれているエジプト側と、上半身裸ボディペイントのエチオピア、あの歌の「ぜんぜん違う」「そもそも生まれが違うのだ」すべての歌詞がそのまま響いてきた。だってそれを今、目の当たりにしているのだもの。ぞくっとしたなぁ。

・でもそうやって「格差」を隠蔽したタカラヅカ版はタカラヅカ版で、そのスケール感は半端ない訳だし、ああ、これはもう次元が違うなあと。でもこの次元の違いが生まれるのは、単に「タカラヅカ」「外部」の差ではなくて、実はこの脚本が持っている「ゆがみ」故と思っています(後述)。

・とはいえ最初に言ったように、芝居がハコにあってない感はなかなか拭えなくて、それが払拭されたのが「凱旋」の場面……いっやああれおもしろかった!男子の肉体が砕け散っておりました(そのいい方やめなさい)。あそこで一気に空気変わった。一気に私も引き込まれて、それ以降は人数の少なさも「タカラヅカとの違い」も気にならず、ようやく「AIDA」として楽しめたなぁと。

・で、トウコさんのAIDAが相変わらず黒猫だった話はさておいて、脚本に今回、AIDAのモノローグがちょくちょくさしこまれて、文字通りタイトルロールになっていた。けれどもそれで世界観がちっちゃくなったなぁと思いました。「AIDA」のアイーダは本当にただの「愛することに生きたい女」で、すべては愛する男を得るための行動、あるいは本能。「わたしはただのおんなになりたいの!」がタカラヅカ版より身にせまってきました。でもその分タカラヅカ版のアイーダにあった神懸かり感とかは薄れたなぁと。世界の平和を求む、が愛する男と一緒になりたいから、っていうものすごくわかりやすい文脈になって、正直安くなっちゃったなぁと思った次第です。

・で、ここが私の言うこの作品のゆがみなわけでして。
 タカラヅカ版をムラで見たとき、最後になんかすごく感動したけれど、なんかおかしくないか、と思って、東宝版でもそう思って、それが私的に解釈がストンとおちたのが中日版だったんですね。で、実際その中日版よりも今回の方がわかりやすくなっていたのに、わかりすぎちゃって小さくなっちゃったなという印象です。

・ただその「隠蔽」(そしてそれゆえの私が解釈した世界観の広がり)はタカラヅカだからこそ必要で、タカラヅカだからこそ成立したものなんですけれどね。だから、今回の「AIDA」の解釈は正しいのですが、正解ではないかなと。なぜならそもそもキムシンがこの作品にテーマを入れ込みすぎているから。やっぱりゆがんだ作品だなぁと思います。

・非常にうっとおしくて申し訳ない。でもうちの昔からのお客様にはわかっていただけると思うのですが、むっさんはタカラヅカ版でも非常にうっとおしかったから!(笑)。そんな解釈をふまえた上で今回のAIDAは非常におもしろかったです。いや、興味深かったというべきかな?これはこれでトウコさんのライフワークとして続けるといいなぁと。作品として一番シンプルでゆがみが少なくなったと思うので、後は補正していけばいい。
 ただ私はやっぱり中日版の王家がベストだったなと思いました(好みの問題です)。

・じゃあ最後に俺たちのヤツカの話でもしましょうか!
 一番の見せ場は美女選びで金のビキニででてきた時だったんですが!(ふ い た)。ちょ!ヤツカ!たぶんこっちが本質なんだろうなぁ。すずやつのやつはどこにもいませんでした(そもそもいません)。でもアムネリス様がでてきてあわててマントかき抱いて、ビキニのまま恥じらう姿には非常に萌えました。ゴチ。





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